自らの手で、悪意なく人を殺す

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 何となく分かる気がした。ふとした時に惚れた当時の隆広の姿が脳裏に浮かぶ。この部屋で過している時、隆広からお台場で告白された記憶が蘇る。あの格好いい隆広がいきなり助けにやって来ないだろうか、と想像してしまう。 「でね、私、実は初めてできた恋人が今の夫なの。私はそれまで誰にも好意を持ってもらえなかった気がする。そんな私を選んでくれた夫が、今更になってかけがえのない存在だって分かったのよ。はあ。私って最低な女って思っちゃって。きっかけはただの旦那デスノートに書き込みをしていただけなんだけど。今ではこんな大事になっちゃって」  お湯が清江の口元の高さまで溜まっていた。彼女の口に湯が入り始めていたので、一旦シャワーを止めた。清江には十分思いの丈を喋ってもらおうと決めた。 「そんな大事な夫だから、当時の私は彼との間にできた子供を立派な人間にしたくて仕方がなかった。夫みたいな男になってほしい。いや、彼を超える良い男になってほしい。そして悲しんでいる女性を助けてあげれる王子のような男になってほしいって」  清江はようやく少しだけ笑った。 「気持ち悪いと思いませんか。でもそれが私なんです。それで息子の教育には全く手を抜かなかった。息子にはスラッとした体になってほしいからお菓子やジャンクフードは食べさせなかった。暴力的になってほしくないからって仮面ライダーも禁止にした。他所の変な男の子の影響を受けてほしくなかったから幼稚園以外で友達と遊ぶことを禁止した。息子が女たらしになってほしくないから女子とは話すことすら禁じた」  異常愛だ。清江の一方通行の息子への愛が全ての根源になったようだ。 「もう分かるでしょ、由樹さん。私が失敗した理由。この気持ち悪い教育方法よ。そんな私のことをね、夫はね、怖くて関わり合いになりたくなかったのかなって、今更ながら思うのよ。当時の夫の表情を思い出して一人で納得しちゃった」  ついに泣き始めた。涙が清江の両目から容赦なく流れ出て来る。続きを喋ろうとしたそうだが、上手く喋れなさそうだった。由樹は黙って彼女の様子を見守り続けた。 「ごめんなさいね、由樹さん。そうなの。夫が私のことを無視し始めたのは私の方向性の間違った息子へのスパルタ教育のせいだったみたいなの。息子が私に暴力を振うようになった時なんかは、そりゃそうだろうなって思ったのかもしれない」  清江は笑顔を作って見せた。 「でも、そのことが想像できるようになって良かった。これは成子さんに出会わなかったら、一生気付けなかったと思う。来世では同じ轍を踏まないように生きて見せるわ。ふふっ、はあ、息子が小さかった時に行った三人での沖縄旅行とか楽しかったな。それを経験できただけで私の生の価値を満たせたような気がする。さ、由樹さん。お願いします。私をこの世から逃がして下さい」  由樹は目を瞑ってシャワーの湯を再び出すことにした。シャワーから出る水が浴槽の中の水面を叩く音が響く。
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