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俺の方を一瞥もせず答えた父親の眼差しはオーブンの中で徐々に膨らんでいく成型されたパンから一ミリも離れない。 昔からそうだ。 パンは生き物だから、その日の気候によっていつも焼き加減を調整しないとならない、とオーブンの前に陣取る。 職人気質の父親はどの工程も手を抜かない。 その姿勢は俺の目指すものでもあったけれど、その妥協を許さない信念が父親の体調に無理をさせているのも確かなので俺としては複雑な気持ちにもなる。 ただ、父親の仕事に口を出すことはこの場では御法度なのでせめても、と背もたれ付きの椅子を父の方へ差し出す。 せめて座って焼き加減を見ていて欲しい。 そんな俺の姿が見えているはずなのに、チラリと横目で見ただけで父親の姿勢は変わることがない。 「……はぁ。」 結局いつも俺の気遣いは無視され、心に蟠りを抱えたまま一つため息を吐いた。 俺だけが感じている気づまりな空気が耐えられなくなって売り場の方へ向かう。 「お兄ちゃん、またため息吐いてるよ。辛気臭い~。」 俺の顔を見るなり美月がそう言う。 ちょうど客足の途切れる時間帯だったのか、先ほどの客を最後に店内に人影はないようだった。 「そうか?」 「そうだよ。お兄ちゃんため息ばっかり。悪い運しか寄ってこないよ。それでなくても覇気のない顔なんだからせめて笑顔でいてよね。」 ズケズケと物を言う美月は自他共に認めるこの店の看板娘だ。 細い顎と高すぎない鼻梁。黒く艶やかな髪は腰の高さまで伸びていてピンと伸びた背筋が瑞々しい魅力を放っている。いつも笑顔を絶やさない明るい性格で、妹の周りはいつも輝いている。
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