雨の朝

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雨の朝

5月下旬のある朝、美織はいつもよりすいている電車の中で、腕時計を何度も確認しながら焦っていた。 うっかり二度寝をしてしまい、いつもの電車に間に合わず、次の電車は目の前で発車してしまった。 二本遅れのこの電車だと、駅から学校までダッシュしても間に合うかどうかの瀬戸際だ。 駅の改札を急いで抜け、歩道を走る。 鞄は重いし、朝からいつ降り出してもおかしくないような空模様だったから、傘まで持っている。 部活の走り込みのような訳には行かない。 ふと、車道を隔てた反対側の歩道を走る高校の制服を見つけ、その姿が “ 彼 ” 、幸坂拓己だと分かると、さっきまで焦りながら沈んでいた美織の心が途端にパッと明るくなった。 …幸坂先輩も寝坊しちゃったのかな…… 少し前方を軽快に走る彼の姿を見ていたら、走るのに疲れて諦めそうになった気持ちも簡単に甦る。 「単純だな……私」 そう思いながら、美織は拓己との距離を保ちつつ、走り続けた。 ふと、走っていた拓己が、何かに気づいて急に足を止める。 彼が屈んで拾い上げたのは、傘だった。それも折り畳みではなく、長いグレーの傘。 …長い傘、落として気付かない事なんてある? そう思って見ていると、彼も傘を持ち上げて一瞬少しだけ首を傾げたので、きっと同じように考えたのかも知れない。 傘についた汚れを手で払いのけるような仕種をした後、拓己は辺りをキョロキョロと見回し、ガードレールにその傘の柄の部分をかけた。 彼のちょっとした親切を自分だけが見る事ができた小さな幸せに、美織の頬は綻んだ。 通勤通学で沢山の人が行き交う歩道、気付いても知らぬ顔で通り過ぎられていたから、今まで地面に放置されたままだったのかも知れないと。
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