8.陥穽 pitfall

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 青みがかった黒い毛をそよがせつつ森を疾駆する漆黒の狼は、苛立たし気な気配を隠さずに傍らを(はし)る小柄な狼に問いかけた。 「おい、遠回りなんじゃないか? もっと早く到達する道のりがあるだろう」 「う~ん、早いかったらぁ違うけどもぉ」  農茶の狼は答えながらダラリと舌を出して僅か口角を上げた。狼の姿なのにヘラりと笑っているように見える。 「気付かれっちゃ~ぁマズイっしょお~? 人狼六匹でぇ、殺気まき散らしてぇ、ド真正面から突入ぅ~とかぁ、無ぁいわぁ~、無い無いぃ~」  漆黒の人狼は悔し気に牙を噛み合わせ、鼻を鳴らして走り続ける。  彼はアルファより『一足先に黄金の森へ向かい状況を確認して待機』するよう命じられた。かねてから、あの森を我が森とするときは先陣を切りたいと訴えていて、その望みが叶ったのだ。  しかし探り(カイ)筆頭と共に行くよう言われたのは心外だった。衰えたとの声も高い小柄な人狼。足は速いだろうし探索は上手いのだろうが、爪を立てて殴れば簡単に倒れそうで、頼りなさすぎる。  だが彼が苛立っているのは、それだけでは無かった。  コイツはさっきからバカにしたような声でダラダラ喋って、彼の気勢を削いでくるのだ。 「ていうかぁ、あんたってぇ、アルファになるんだっけぇ? ンでもぉ、受けた階位はぁ、ルウ、なんだよねぇ?」 「最初からアルファにはならないだろう。精霊は、階位を得た人狼の中からアルファを選ぶのだ。知らないのか。我が森には立派なアルファがおわすのだから、精霊が他のアルファを選ぶわけがない」 「ふうぅぅ~ん」 「しかし我が番は雄、つまり俺はアルファとなることが決まっている。ゆえにアルファとして治める森があるのだ。当然のことだろう」 「ほぉぉ~ぉ」 「あの森に至るには水の道ふたつ、その間に光の領域ともいえる山がある。いかに偉大なアルファとは言え、身は一つ。我がアルファは、遠方まで自ら治めることを良しとはなさらぬ」 「うんうん~」  ヘラっと返る声に、漆黒の人狼の苛立ちが増した。  「ここまで言ってもまだ分からないのか。山向こうの郷のアルファは衰え、ガンマは無能。森は強く正しいアルファと力を持つ精霊を求めている。つまりそこの精霊を助け、森を生き返らせるのが我らの務め。この機にあの森が衰えたのも、俺こそがあの森のアルファとなることを精霊が定めたゆえと分かるだろう」  緑の目を細めた農茶の人狼が、プククッと吹き出すように笑った。 「どこがおかしい」 「ええぇえ~? どぉこ~ってマァジィ?」 「なにがだ」 「いやぁ~、マァジでわっかんねぇのぉ?」  鼻で笑うような声が返り、漆黒の人狼は飛び上がって、鋭い爪でカイ筆頭を叩き潰そうとした。  彼の体躯は大きく、小柄なカイ筆頭の倍近くあるし力も強い。ルウに選ばれるだけに敏捷性も高いのだ。爪を叩きつけ、倒れたところを押さえつけて、減らず口など利けなくしてやろうとしたのだ。  しかしあっさり躱されてしまった上に、カイ筆頭の走る速度は全く落ちない。  それどころか飛び上がった分遅れを取ってしまい、漆黒の人狼は歯嚙みし威嚇のように喉を鳴らしながら速度を上げて追いついた。  このようにコイツは確かに階位の筆頭を任せられた人狼で、能力は低くないのだ。それがまた悔しかった。 「あっはっはぁ~」 「おまえはっ! 俺を苛立たせるなっ!」 「はぁ~い、お静かにぃ~。騒ぐとぉ、気付かれっちまうよぉ?」 「うるさいっ! ここはまだ我が森だっ!」  水の道一つを渡ったこの森は、先ごろ見知らぬ獣を狩りまくった場所である。この先に流れる水の道を渡り、山を越えてさらに水の道を渡ったところに黄金の森と呼ばれた森があるらしいが、どの道のりなら警戒が薄いのか、漆黒の人狼は知らない。  時間さえあれば警戒をかいくぐることもできるだろうが、いち早く到着して突入したいので道案内させる方が早いと考え、彼はアルファの命に従った。 「あ~あ、そ~うだねぇ~、うんうん~」  しかしコイツは常時、このようにふざけた態度で、苛立ちは深まるばかりだった。 「ちっ! まあいい。そろそろもう一つの水の道を越えるのだろう。急ぐぞ」 「はぁ~い、急ぎましょ~うねぇ~」  ここまで悔しさを噛み殺していた漆黒の人狼は、もう案内など不要ではないかと考え始めている。  実のところ、漆黒の人狼が先陣を任せてくれるようアルファに頼んだのは、機を見てそのまま突入しようと考えていたからだ。それでこそ新たなアルファとしての威を示すことになる。  だが、ふざけていようが筆頭たる人狼がアルファの意に背くことはない。突入しようとする彼らを止めるだろうが、そうなれば倒せばよい。優秀とはいえ小柄なカイ筆頭に対し、こちらは体躯の大きい五匹なのだ。しかし悔しいが郷に入るまではコイツに従うのが得策。森に入ってから下手に騒がれたなら、あの郷の人狼に気付かれてしまう。  こいつをどうやって叩きのめしてやろうかと、漆黒の人狼は歯嚙みしながら考えていた。  ◆   ◇   ◆  彼らに続く四匹の狼は、二匹のやりとりにかかわろうとせず気配を抑え気味に走っている。みな成獣となったばかりであり、上位に従う人狼としての本能に従って考えようとしない。ある意味純真で人狼らしいとも言えるが―――  カイ筆頭は黒い人狼に気付かれぬよう、溜息を吐いた。  紫のシグマの望み通りに動いた。弱っていると見せつけ、巣に籠ると見せることで密かに黄金の郷へ行き来していた。黄金のアルファと打ち合わせもした。  ゆえにこうして人狼どもを導いている。続く人狼どもも、今走っている人狼の匂いを辿って来るだろう。そうして黄金の森に入った人狼が、どのような目に合うかも分かっている。  この暴走する黒い人狼、アルファやオメガやベータ、ルウどもがどうなろうが自業自得、知ったことかと思えるが、何も知らずただ従うのみの若い人狼どもは、ひたすら哀れだ。  そもそもアルファを決めるのは精霊であり、ガンマの導きなしに決まることはない。  ゆえにカイ筆頭は、そこを踏まえて変な疑いを持たれぬよう報告した。  カイ二席は言葉が少ないし筆頭である自分に従順だが、優秀であると認められている。二席が頷けば、みな信用するだろうということも織り込んで、子狼が少ない、人狼が減っている、森に元気がない、などなどカイ二席が見たままのところを伝えたのだ。あえて弱った姿を晒し、侮らせて、読み違えるよう、言葉と伝え方は選んだけれど。  つまり『ガンマが無能』とも、『黄金のアルファが衰えている』とも言っていない。まして『精霊と森が助けを求めている』など、むしろ思いつかなかった。  アルファを含む人狼十数匹が黄金の森を呑み込まんと向かい、傷を負う。黄金のアルファの偉容に遇えば、多くの人狼は背を丸め地に伏し、黄金の郷に郷替えするだろう。そう仕向けるのが当初の目論見だった。強いアルファに従うのは人狼にとって正しいことだし、幸せなこと。  そこで紫のシグマが、あのアルファはガンマから次代を選べと伝えられていた、と広める。  そうなれば人狼どもは、あのアルファの正しさと強さを疑うだろう。  アルファが失われること無く、力足りずに追われたとき、そのアルファを奉じていたベータや各階位の筆頭は加護を失う。新たなアルファが新たな筆頭に加護を与えるまで、郷は力弱まってしまうだろうが、その後のことはカイ筆頭にとってどうでも良かった。  彼は既に黄金の郷のカイ筆頭であり、彼のアルファの為に働いているのだ。  深き森の人狼どもがどうなろうが、知ったことではなかった。  ただ気になるのは、自分を慕っていた下位のことだ。  紫のシグマは言っていた。  あのアルファさえいなければ楽に過ごせると。  そこに、カイ二席の場所はあるのだろうか。
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