11.真実 truth

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 木の芽は今にも弾けそうに膨らみ、開き始めた花芽が蜜の香りを漂わせ、枝の合間からまばらに雪が残る大地へ光が降り注ぎ、下生えが緑を伸ばし始めた。  雪に隠れていた小さな獣は、餌を求めて木々や大地を走りまわり、それを食らう獣が活発に動く。狩りにも採取にも良い季節、春が訪れた。  未だ冷たさも伝える風が、土の匂いを運ぶ森を、私達は木漏れ日を浴びながら経巡っている。森に点在する棲まいを見極めるためだ。 「これは、もう朽ちそうですね。新たに建てるのは難しいですし、たくさんの棲まいが使われず森に残っている。放置すると若狼が勝手に棲みつくかもしれません」 「遊び半分に子狼が怪我をするかもしれぬな……潰してしまおう」  白銅の銀鼠、我がアルファが蹴ると、人狼の巣であったものは倒れ、木と枯草の塊になる。 「広場に近いものだけ残しましょう。若狼たちも決まった棲まいを持たせたいですし」  若狼は好き勝手に森で過ごしながら成人を待つものだが、人狼の仕事に同道させており郷の務めを助ける存在となっているので、所在をはっきりさせるためにも定住させたい。  今私たちがやっているのは、これは本来なら大工(カッパ)の仕事だ。すべての棲まいを把握し、朽ちそうなものは潰すか建て直す。どれを残すか判断するのもカッパなのだが、今の郷にはいない。  いや、(デルタ)守り(ミュウ)探り(カイ)細工師(クシイ)もいない。  本当なら、新たなアルファが起ったとき何匹かの人狼が新たな階位に言祝がれ、新たなアルファの森が始まるの。だが今は人狼が足りず、それができない。  そこで私たちで足りぬ仕事をやることにしたのだ。 「アルファ、狩り(ルウ)が戻って来るようです」  ふと広場へと向かおうとする複数の気配を感じ、私は番を見上げる。 「……ふむ。いったん広場へ戻るか」  我が番は分かっていると言いたげに笑む。 「採取(タウ)は既に広場にいるな。……ああ、子狼どもと一緒に木の実と薬草を選んでいるのか」 「そうなんですね」  語り部(シグマ)たちもタウと共に採取に携わり、癒し(イプシロン)の助けも借りて薬になる草や木の実を選別している。その作業に幼いものを参加させ、毒になるものと喰えるもの、薬として使うものを覚えさせるよう私が考え、アルファがそう命じた。 「幼いものどもも健やかなようで、なによりです」 「……老いたものどもには無理をさせているが、頑張ってくれている。言祝ぎを待つものもいるだろうに……どう償うべきか考えねばならんな」  老いたものは本来、それぞれの棲まいで隠れるように過ごし、言祝がれるといつの間にか存在が消える、いつ失われるか分からないのだけれど、今は幼いものどもの世話をするため館で寝起きしていている。今のところ、一匹も失われずに働いている。 「老いても失われずに永らえているのは、きっと務めを与えられ奮起しているからですよ。幼いものと触れ合うことは、彼らにとっても楽しいようですし、気になさることは無いかと」 「…………そうだな。そなたのいう通りに考えるべきか」  今までのやり方とは何もかも違うので、分かっていないものに任せても混乱するばかりで、仕事が進まないだろう。シグマとして蓄えた知識と、儀式の森の苔の精霊たちから得た知識、ふたつを持つ私であれば、たいていの仕事が分かる。  今は少しでも早く森を安定させることを第一に考えるべき、私に任せて欲しい。  そう伝えると、アルファは言った。 「ならば共に動くとしよう。我はすべてを把握できる故、何かあってもすぐに対処できるだろう」  アルファは森にいるすべての人狼と狼の存在を感じ取る。今は数が少ないからか、どの者がどこで何をしているか把握できているのだという。  二匹で過ごせるだけでも嬉しいのだけれど、のんびり睦み合う暇はあまり無い。ひとまず人狼が増えるまでの間とはいえ、私たちは忙し過ぎる日々を送っていた。  ただでさえ白銅の銀鼠は真直ぐで正しい人狼であり、アルファたるものすべての責を負うべき、自らすべて行うべきと考えている節がある。私はその負担を和らげないといけない、と考え、その為の方策をいくつか助言した。彼はそれを人狼どもに伝えた。 「あるべき郷の姿とは違う。だが今は何もかも通常とは違うのだ、異論はあろうが呑んで従うように」  今は仕方がない。  アルファ自身がそう感じているのが伝わったのだろう。若狼や幼いものまで、みなそれまでとは違う郷の在り方を受け入れようと頑張っている。……愚痴は聞こえるが。  かつて我が番と子を成した雌が毎夜愚痴を吐いており、賛同する雌も数匹いる。また若狼の半数以上に承服していない様子が見える。  新たなアルファの指示する元、みなが団結して郷を動かし、森を治めねばならなのだが、素直に従おうとしないものが若干いたのが納得いかない。  アルファと成ったならば、あらゆる人狼、すべての狼が我が番を尊敬し、傅くのだろうと思っていたのに。  私が観察しているだけでも分かる程度のこと、アルファが気付いていないわけもなく、なにより実感しているアルファが良しとしているのだ。  だから私からは何も言っていない。今のところは。  通常では無い郷の仕組みが動き始めたばかりなのだ。いまだ落ち着かない状態で下手に藪をつつくことは避けたい。本当なら狼どもに対して強く『アルファの従え』と言ってやりたいのだが……少しだけ、前のオメガ(バカ)の気持ちが分かった。  けれど私は『穢れたオメガ』である。  そのことを徐々に実感してきている。  オメガとアルファ、そう郷に知らしめてから七夜が過ぎ、私は以前のように走るのが難しくなっている。鼻も利かなくなっているし、膂力も落ちている。まだ若狼には負けないだろうが、あらゆる力が衰えているのだ。  私は衰えを隠そうとしたのだが、アルファには筒抜けだった。考えれば当然のこと。アルファは森に在るすべての人狼を把握するのだから。  いまだ気配を感じ取れるのは、おそらくアルファと繋がっているからだろう。  アルファとオメガには他の人狼より多くの発情期があるというが、それを私は実感していた。我がアルファは毎夜私と身体を繋げる。それにより私はアルファから力を分け与えられていると感じるのだ。  身体を繋げ互いの血を分け合うことで持ち直すことも、すっかりバレている。そのうえで毎夜愛しんでくれる……つまり一方的に助けられているのだ。  それは私にとってとても悲しいこと。  生真面目でまっすぐな白銅の銀鼠を、この立場にしたのは私だ。身体の調子が悪いなどと言って、愛しい番の負担を増やし苦しめるなど、決して望まない。  なのにこのまま衰えていけば、ただ彼の負担が増えるばかりではないか。絶対に避けなければならない。そのためにどうするか。……ベータが必要なのだ。  アルファの務めを助け、時に助言し、汚れ仕事を引き受ける。私がやろうとしていた仕事を頼めるものが必要なのに、任せられそうな人狼はいない。  「人狼を増やさねばなりませんね」 「それはそうだが、次の冬に成人する若狼は七匹。すぐに務めを任せるのは難しいだろう」 「というより……何匹かだけでも、黄金の森から戻ってくれればよいのに、と考えたのです」 「いや……戻っているものは居るぞ」  驚いて我が番を見上げれば、苦い笑みを浮かべて見下ろしてくる二部銀の瞳と目が合った。 「ではなぜ、アルファの元に顔を出さないのです」 「考えるところがあるのだろうよ。いずれハッキリさせるが、急いではいない」 「愛しいオメガ。そなたが憂うことは無いのだ」 「我が望みは叶った。叶うことなど無いと思っていた望みが叶ったのだ。このうえは精霊に感謝し、献身するのみ。この身が砕けるまで働くつもりよ」  頭が真っ白になった。  この上ない敗北感。  思い起こすのは、眠っていた私に吹き込まれた悪意  ―――器ない人狼  ―――足りないアルファ  ―――愚かなアルファ  ―――ダメなオメガ  ―――哀れな末路――― 「…………そんなこと、受け入れるわけにはいかない」  思わず漏らした声は細く、震えていた。血の気が失せる感覚にくらくらする。 「どうした、オメガよ」  ふらついて足を止めた私を気遣うように覗き込んでくる、鈍色の美しい瞳。 「いえ、ちょっと……立ち眩みでしょうか。でも大丈夫です」 「歩き回らせたからな、疲れたのだろう。どれ」  逞しい腕が私を抱き上げる。  幼いものにそうするように軽々と、そしてとても大切そうに、抱き上げた私の鼻に、あらら開花が擦りつけられる。 「広場までこうして進もう」 「い、いえっ、そんな」 「皆の前では下す。そこまでは我が腕の中にいるのだ、オメガ……いや」  愛し気に目を細め、フフッと笑む白銅の銀鼠。 「菫の白蜜よ。これこそが我が望み」  あまりに嬉しそうなその笑顔に、美しい毛と愛し過ぎる匂いに、私は再びクラッとして、思わず目を閉じる。  私の望みは、白銅の銀鼠を侮る者がいなくなること。みなが我が番を尊重すること。  けれど、そう。最も大きな望み。それは  ―――番と共に在ること。  白銅の銀鼠の叶った望み、とは、つまり 「私と共に在ることが、あなたの望み……?」 「その通り。知っているだろう?」  ああ、そうか。  私がここに在るだけで、我が番は、愛しいアルファは喜んでくれる。  ならば簡単に滅びはしない。我が番を守るため、我が身のすべてを捧げよう。  たとえこの身が言祝がれずに滅びようとも。  ……魂は我が番と共に。
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