11.真実 truth

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 求め合い、与え合う。  終生共に在るのだと、声に出さず体で確かめ合う。  心の赴くまま声を上げ、遠吠えを合わせる、それは心胆から震えるほどの歓び。  今まで番であることを秘し、そのように過ごすことなく耐えて来た私たちにとって、それは信じがたいほど甘美な至福のときであり、片時も離れたくないと思ってしまう。けれど同時に、私たちには新たな務めがあることも分かっていた。  私たちは苦笑を交わし合いながら立ち上がり、ガンマの森を出る。  森すべてに響いた遠吠えが、統べるものが現れたのだと知らしめていた、と私たちは知った。  あらゆる生き物が息を潜め、注視しているのを感じるのだ。目配せし合い、苦笑を交わしながら、私たちはかつてアルファの館であった建物のある広場に足を踏み入れる。  人狼がみな、背を丸めて地に伏している。シグマ二席であった人狼が、額と両手を地につけた状態から僅かに顔を上げ、声を出した。 「言祝ぎにお慶びを」  新たなアルファが選ばれたとき、ベータが代表して言う言葉だが、今はベータがいない。そうなると最も階位の高い人狼が言うことになるが、シグマ筆頭は老いて人狼とは呼べなくなっている。次に階位が高いのは癒し(イプシロン)だけれど、こういう場で声を上げないので次に階位の高いシグマ二席が声を発したのだろう。 「背を伸ばせ」  アルファたる我が番は皆を見回し、眉を寄せつつ声を響かせた。  集まった人狼はシグマ、イプシロン、郷に残っていた雌どもを併せて二十数匹だけ。さらにシグマ筆頭と雌のうち二匹は老いてしまったようである。老いたものどもと若狼、子狼や幼狼まで含めても、つい先ごろ迄この郷にいた人狼の三割に満たない。  そう、以前と比べればとても少ない。  背を伸ばし顔を上げた皆へ、我が番は響く声で告げた。 「これからについて決めねばならぬ」  アルファと成った我が番に課せられた最初の務め。この中から階位を定めねばならないのだ。これで森を治められるのかと番は憂いていた。  狩り(ルウ)(デルタ)大工(カッパ)など、いなければ郷が立ち行かない階位もある。喰らう物がなければ子狼や幼狼は失われてしまうし、朽ちた樹や倒木は処分しなければ森が荒れる。棲まいはすぐに朽ちるので、直したり新たに建てる必要がある。  そこで私はアルファに進言した。今までと同じ考えではダメだ、考え方を変えなければならない。暫定的な体勢を汲む必要がある。  新たなアルファは進言を受け入れてくれた。 「ひとまず、ベータは置かぬ。我が自らすべてを成そう」  皮肉なことに人狼の数が少ないので、アルファが直接人狼どもを導くことも可能なのだ。  本当なら雌は務めより子育て優先となるところだが、今はそんなことを言っている場合ではない。雌のなかにルウ、採取(タウ)織り(フィー)がいるので、階位に従い務めさせる。シグマはタウと共に採取をするついでに若狼を導いて、食い物を集める仕事を覚えさせる。デルタとカッパについては、当面はアルファと私で若狼を率い、ある程度のことをしようということにした。  アルファがそれを皆に告げると、ルウである雌が不安げに言った。 「それでは子狼は、どうするのです」 「この冬産まれたばかりの幼狼(おさなご)には乳を飲ませなければ」 「乳は与えてくれ。それ以外のとき、働くのだ」  雌どもが一様に不安そうになる。 「けれどそれでは……」 「幼いものはきちんと育てないと」  くちぐちに問う声を上げる雌どもに、アルファの声が響く。 「それは老いたものどもにやってもらう。幼いものは館に集め、皆一緒に育てるのだ」  かつてアルファの館と呼ばれた、床の高い建物を指して告げると、雌だけでなくシグマもイプシロンも、若狼までざわめいた。 「みなのもの! 今こそ力を合わせる時ぞ!」  威圧の籠るアルファの声にざわめきは収まり、広場に静けさが落ちる。  人狼一匹一匹に目を合わせるように見回しながら、アルファは優しく笑み、声を和らげる。 「想いはさまざまあろうが、今は常ではないと心得るのだ。出て行った人狼も、しばし待てば戻って来るやもしれぬのだ。そうなれば元のようにやれるだろうが、今ではない。良いな?」  しばしアルファを見つめていた人狼の一匹、シグマ二席が黙したまま背を丸め、地に額を付けた。それに倣うように、次々と同じように背を丸める。  私は、冷めた目でそれを見ていた。  以前()()アルファが起った時、若狼であった私は感動に打ち震え、その言全てを無条件に信じた。理屈屋である私ですら、そうだったのだ。アルファの言葉にはそれだけの力がある。まして疑問や意見を述べるなど人狼としてありえないことなのに、今、若狼も含めた何匹かは一時的に反抗的な態度を示した。許し難いことだ。  ―――我がアルファをないがしろにするつもりか。  私は声を上げたもの、懐疑的な顔をしていたもの、なかなか背を丸めなかったものを覚え、注意して見ておかねば、と心に刻んだ。  オメガとしてよりアルファの補助として、私の使命は無用に煩わしい思いをさせないよう動くことだ。ベータを置かない以上、私がやらねば。  ―――アルファに従わぬ人狼など、この郷には要らない。   ◆   ◇   ◆  漆黒の人狼は、なんとか郷に戻って来た。  前も後ろも上も下も無くなるほどの吹雪に見舞われ、崖を落ちたり凍てつく水に流されたりした。月が二つ巡るほどの間、埋もれた雪から抜け出せなかった。道中で共に駆けていた仲間ともはぐれてしまったが、なんとしても戻らねばと、その一心で戻って来た。  番が待っている。あの美しい薄茶の毛に鼻先を潜り込ませ、愛らしい鼻とこの鼻を擦り合わせたい。どうしても番の元へと、必死になったが、ようやく懐かしい森に戻ったとき、雪は解け切る寸前で、森は春の匂いに満ちていた。  ただ、どうも違う。  何が違うかと聞かれれば、はっきりと答えられないのだが、木立も土の窪みも間違いなくわが郷なのに、なんとなく森に違和感があるのだ。  だがそんなのは小さなことだ。なにより番のもとへ急がねばと、漆黒の人狼は愛しい番の匂いに向かってまっすぐ駆けた。  そして出会った番と思う存分鼻を擦り合わせたが、歓びの時間は長く続かなかった。 「務めをしなくちゃ」 「なんだと? まだ若狼なんだから、そんな必要はないだろう」 「ダメなんだよ。あっ、ていうかあんたはアルファのもとへ行かないと」 「なに! アルファが戻っているのか!」  アルファは彼の眼前で黄金のアルファに打ち倒され、地に伏した姿は濡れた枯れ葉のように哀れで、変わり果てた姿には総毛だった。しかしどうあろうとあの黄金のアルファに抗しえるとは思えず、尻尾を蒔いたのだ。いや、何より番に遭いたかったからなのだが、あれから姿を見ていなかったけれど、無事に戻っていたのかと安堵する。  しかし番たる白茶の若狼は首を振った。 「違うよ、アレじゃない。新たなアルファがこの森を治めてるんだよ」 「新たな……?」  愛らしい瞳は真剣で、冗談を言っているようには見えない。 「うん、新たなアルファが精霊に言祝がれたんだ。今は人狼が少ないから、若狼も働かなきゃなんだよ。あんたもアルファのところに行って、働かないと!」   ―――新たなアルファ、だと? いったいどういうことだ。  漆黒の人狼は戸惑いと怒りで混乱しながら、番に詳細を確認したのだった。
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