ガンマ ー 精霊師

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ガンマ ー 精霊師

 精霊たちがまとわりつく。  精霊師(ガンマ)は深い眠りから浮き上がった。  入ってくるよ  邪魔してないよ  道教えてる  けど要らないのいる  いるよ  いらない  いるよ  やっていい?  やっちゃう  やっちゃうよ?  そんな意思が流れ込んで、それと共に脳裏に映る二匹の人狼。  精霊たちが要らないとくちぐちに言うのは、そのうちの一匹。ガンマが呼んでいない、だからいらないということ。けど。 「やっちゃわないで。あれは良い子でしょ?」  そうだけど  だけど 「お願い。追い返すだけ」  あ  ああ  あっ  帰るよ  いなくなるよ  いない  うふふ  ふふ  いないよ 「もうすぐ着く?」  来るよ  教えてる  来る  来るよ  えらい?  教えたよ 「えらい。とてもうれしい」  ふわふわと、嬉しげな意思が流れ込む。 「ありがとうね」  ありがと?  ありがと  ありがとね?  えらい?  やった?  えらい? 「うん」  笑みを浮かべ頷きながら、ガンマは心の底からありがとうを伝える。  その意志を受けて、精霊たちは踊る。歓びのあまり森のそこここで踊る。歓んでいるだけ、だけど。  まだ森から出ていないあの一匹はきっと、ひどく怖い思いをする。  精霊は清らかな人狼が大好き。  特に子狼は清らかで可愛いと構いたがる。けど構われ過ぎた子狼は我を失う。意思を無くし、精霊を喜ばせるだけになる。  我に返っても何があったか分からず、やはり恐ろしい思いをする。  子狼ならずとも、この森に入る人狼は精霊の干渉を受ける。精霊たちは人狼が大好きだから。  そして"嫌い"が来ると、精霊たちは虐める。とても残虐なことを、精霊たちは喜々として行う。"嫌い"を虐めるのは楽しいから。  精霊にあるのは、楽しいと、嬉しいと、好きと、嫌い。それだけ。  例外は、精霊にとって好きでも嫌いでもないもの。  たとえば森の木々、虫たちや草、獣や鳥。それは精霊と同じ存在。精霊たちのもとになる存在。精霊たちは構わない。  ただ幼いものは大好き。ガンマの森(ここ)には幼い獣や鳥がたくさんいる。  精霊に嫌われるから、どんな獣もこの森では幼体を襲わない。獣も鳥も、幼いものにとってここが安全と知っている。  そして別の例外。  シグマ筆頭は精霊を感じる力が弱く、精霊からは無視されている。だからこの森に入ってこられる。シグマ筆頭に選ばれるに必要な資質とは、精霊の意識に入らないこと。  アルファが代替わりすると階位の筆頭は変わるのに、シグマ筆頭は変わらない。近い理由で代によって変わらないのは癒し(イプシロン)森林(ラムダ)。ラムダとイプシロンとシグマ筆頭は特殊な人狼。なかなかいない稀有な存在。  そしてベータ筆頭も稀有。  ほんの幼い頃から知っている。賢い子だった。賢い人狼になった。好ましい人狼になった。あれは森に入ってこない。よってたかって構われるのが恐ろしいから。  いつからか鳥を使ってガンマに意思を届けるようになった。はじめて鳥が来たとき、いつのまにこんなものを使うようになったか、小賢しいことをと呆れた。  清らかではない。けど、あれの性根は好ましいまま。  けど、望みを叶えたのは好ましいから、だけではない。  あのこ  あのこ  おもしろい  けど……  けど…… 「そうね。面白いけど」  幼い頃はとても好かれて構い倒され、怖い思いもしたようだけど。はたして今は。  あれは(あた)うのか。  すべてはそれを視てから。  フワフワとした動作で寝床から出て、フワフワと歩み、落ちているローブを纏う。  濃い紫のローブは、数世代前の織り(フィー)が作ったもの。  あのフィーはこのために強い草を採り、叩いて撚って細い細い糸をつくり、小さな花を集めてはひとつひとつ潰して丹念に染料を採り、微かな穢れも寄り付かぬよう目を細かく織り上げた。冬をいくつも越えて織り上げた布で、手も足も毛もすべて覆うよう仕立ててくれた。  軽いのに重たく、寒いときは暖かく暑いときは涼しく、森の外のすべてからガンマを守るように。  けど毛はローブからはみ出すほどに伸びてしまった。身体は細り、背丈も縮んだ。あれからどれほど経ったか。  さまざまな力を失いつつあるガンマに、これは無くてはならぬもの。 「すべてを継げる次代。急がないと」  呟きながら進む足元はフワフワと頼りない。  書物や書付が山積みになった机の隅に、水の満たされたカップがある。それを手に取り、ガンマは飲んだ。  ごくん  ごくん  飲み下すほどに、少しづつ、足元はしっかりと地を踏みしめる。  きたよ  きたよ  すぐそこ  すぐそこに  きたよ 「うん。行こうか」  ガンマは棲まいとしている洞穴から出ていく。入り口は崖の遥か高くから重く垂れさがった蔦が隠しているけど、ガンマが手を伸ばせば軽々と道を開く。  一歩踏み出せば、ぽっかりと開けた場に、さやけき月の光が落ちている。  そこに足を踏み入れようとする人狼がいた。  目深なローブのフードを少し上げ、垂れ下がった白い毛ごしに見つめると、それは足を止めた。  くちを開こうとして声が出ず、喉を一度、ごくりと鳴らし、それはまたくちを開いた。 「ガンマ。お願いがあってきました」  少し掠れたような声。シグマ……とならざるを得なかった人狼。  ガンマはフードにかけた手を下ろし、小さく指先を振った。その先を言え、の手ぶり。  もう一度つばを飲み込むように喉を動かし、シグマたる人狼が声を出す。 「カイ筆頭が、黄金の郷に囚われているようです。いえ、囚われています。私は、カイ二番手とルウ四番手と一緒に救いに行きます。水の道を渡れるようにしてほしいのです」 「……なぜ?」  なぜ、救いに行く? シグマが?  それはシグマの務めではない。あきらかに領分違い。  掟は大切。役目を全うすることも大切。役目を越えないことも大切。  そう考えていたガンマに、シグマは声を励まし続けた。 「もともとは、私がひと族の里にて冬三つの間調べた報告を、アルファが不要としたことでした」  どうやら、問いの意味を勘違いしている。まあいい、と指先を動かす。  シグマは続けた。  ひと族など調べるより山のものを調べろと命じられ、カイにそれを依頼した。カイは山のものだけでなく、ガンマの郷が侵されたという黄金の郷を調べようとして気付かれ、筆頭は二番手を逃し囚われた。  話しているうちに緊張は薄れたか、語るシグマは経緯を要領よくまとめていた。  緊張が解けたから分かるものがある。ガンマは伸ばした毛の奥からシグマを見つめる。 「……ひと里に、行っていた…?」 「あ、ええ。行っていました。学ぶべきは多かった。あれは危険です。郷でも対応を考えていかなければ……」 「ふうん」  様子を見る。  決定的なものが無いから。郷が荒れるから。さまざま。そういう声が多かった。  なんにせよ、ガンマは何も決定しない。精霊の意志を呑むのみ。人狼のことは人狼がする。  精霊たちがシグマの周りを飛び回っている。けど触れようとはしない。  そうしてガンマに群がる精霊は、くちぐちに囁きを伝えた。 「……うん。夜三つ」  ガンマは小さく頷きながら、小声でつぶやく。 「過ぎたら、渡れる。おまえたちだけ」 「ありがとうございます。あの……」  それだけ言って、洞穴に戻ろうとしたガンマに、そのシグマはまだ言いたいことがあるようだった。  振り向いて、伸びすぎた毛の奥から見つめる。 「なぜ渡れなくしたのですか?」  そう言って、必死に目をそらさず問いかけてきた。深い紫の瞳は、ところどころに金の粒が散っている。  まだ、見定められていない。  ふっとくちもとに薄い笑みをのぼせ、ガンマは答えることなく洞穴へ向く。重い蔦は軽い手の動きで出迎えるように開き、ガンマはゆっくりとその中に入る。 「あのっ」  洞穴の外から声がする。蔦を開いて追おうとしているが、入れなくて焦っている。  あの蔦は、迎え入れるものを選ぶ。  まだ定まっていないあのシグマでは入れない。  まあ、なんにせよ 「荒れる」  だとしても、人狼のすること。  微かに頷いたガンマはローブを脱ぎ捨て、寝床に潜り込む。  はやく、次代を。  そうすれば……  思考は深い眠りの中に溶けて、消えた。
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