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「たかが一匹の為に動くと?」
ベータ筆頭の言葉に、アルファは目を細めた。
「探りは郷の秘密にも通じる役目。他郷に置いておくわけにはいきません」
「は! カイが我が郷の何を知っているというのだ」
「だとしても我がアルファは、我が郷の人狼が役目以外で他郷へ出るのを、禁じておられる」
「……ふむ?」
アルファはニヤニヤ笑い始めた。
「カイ二番手によると、かの郷は精霊の荒振りによりガンマの森を侵されているとか」
「……ほう? それは難儀であろうな」
「はい、さぞかし大変なことかと。たまたま分かっただけとはいえ、我が郷としても見ぬ振りはできぬかと」
「で? 我が郷はなにをしてやる?」
「困窮しているのです。豊かな恵みを分けてやるしかありますまい。具体的には肉、果実、という所でしょうか。水の道の向こうに獣が逃げ込んでいるとなると、均す必要もあります」
「なるほど?」
「水の道の向こうまで狩りに出る必要もありましょう。ガンマに相談しなければなりませんな」
アルファがブハッと噴出した。
「幼いものは豊かな森に置くべきです。困窮した森を離れたい人狼がいるなら一時的に受け容れるという提案もできるかと。豊かな我が郷に帰属したい人狼が増えるかもしれませんな。相手次第とはなりましょうが」
クククと肩を揺らし笑い出したアルファに、脇に座っていたオメガや、後ろに立っていた大柄なベータが目を丸くした。
「アルファよ。この場には他のものもおります」
たしなめる風に言うベータ筆頭も顔をしかめているが、目が笑っている。
「くくっ、おまえは本当に分かっている」
「付き合いが長いもので」
しれっと答えれば、またアルファの肩が小刻みに震えた。
「今回は、この身で動かずカイ二番手を行かせようと考えます。若いシグマとルウの四番手をつけて」
「ほう?」
「二番手が筆頭を慕うのは当然。生まれが近く、幼い頃より親しかったものどもを付けることで、仲間思いゆえの行動とする。我が郷として大きくは動かない」
「そのような綱渡り、カイやシグマにできると?」
「おそらく、あのシグマなら為すであろうと。ひと里で冬三つを過ごしたものです」
目元の笑みを深めて告げると、アルファはまた肩を揺らす。
「ククッ、下手を打っても、惜しくはないか」
そう呟くと、満足げに頷いた。
「良いだろう。そのようにせよ」
「次の夜にも、三匹を連れてまいります」
ただ頷いて了承するアルファに、ベータ筆頭はうかがうような目を向ける。
「ときに、カイ筆頭については……」
アルファは笑い止み、くちを閉ざす。
本能を削って後進を育てていたと伝えた時、アルファは眉を寄せ、しばらく考え込んでいた。今も少し考えているように見える。
ふっと息を吐き、アルファはニヤリと笑う。
「……好きにさせよ」
「はっ」
指を振って退出を促すアルファに礼をして、ベータ筆頭は出ていく。
「ねえ」
脇で座り込んでいたオメガは、アルファの手を少し引き、声をかけた。
「今の、どういうこと? 何で笑ってたの? 俺分かんなかった」
「あれはな、ああいう言い方をすれば、嫌とは言わぬと分かっていたのよ。幼い頃より小賢しいやつなのだ」
「え? どういうこと?」
「よいよい、おまえはそれで良いのだ。可愛いやつ」
鼻を擦り合わせ始めた二匹の後ろで大柄なベータが、表情ひとつ揺るがすことなく、身じろぎせずに佇んでいた。
館を出たベータ筆頭は、周囲に他の人狼がいないことを確かめて溜息をついた。
本来、アルファの命によらず働く人狼はいない。だから知られていないが、人狼がアルファの認識なしに、つまり勝手に動いた場合、精霊の助けは得られない。
郷内ならばさほど支障はないけれど、探りの役目は特殊であり、精霊の助けなしでは為し得ないはずである。カイ筆頭はそれを圧して身を削った。
本能が削れようが知らぬ、勝手にやったことだと、アルファは言える。見方によっては自業自得なのだ。
しかしカイ筆頭の行動は後を託す人狼を育てようと考えてのこと。それは確かに郷に資する行いだ。不遇に腐らず、己が力の届く範囲で貢献する方法を考えたのだ。そうとしか思えない。
「優秀な人狼だったのだが、な」
良き人狼に残酷なことを為した。惜しいことをしたとアルファも思ったのではないか。いまさら遅いが。
幾度かカイを使うよう進言はしたのだ。しかしニヤリと笑うのみで、アルファは動じなかった。
冬二つ前のこと。調子を尋ねたベータ筆頭にカイ筆頭は
『ずいぶん仕事をしていない』
へらりと笑って答えた。カイの状況に気づいたのはそのときだった。
それまで気づかなかったのは、アルファが他郷の詳細な情報を持っていたからだ。ベータを通さず直接カイに指示を与えているのだと思いこみ、質さなかったこの身にも落ち度はある。
カイを使わないのはなぜか、どこから情報を得ているのか、問うてもアルファは語らぬゆえ確証は得ていないが、推測はした。
『掃除屋』を使っているのだ。おそらく。
プシイについて、詳細は分からない。アルファの意のままに、汚れ仕事も厭わず為す階位とは聞くが、何を為せるのか、どんな加護を持つのか、知るのはアルファのみ。郷にはいない、はずだが、他の階位と兼任している可能性もある。
ただひとつ確実に分かること。
それは探るために探りを使わず掃除屋を使った理由。
「我らに報せないためであろうな」
階位の筆頭はベータに報告する。通常はベータからアルファへ報告し、アルファが仔細を求めた場合のみ直接報告させる。つまり筆頭とアルファが直接やり取りすることは、まずないのだ。
細々とした報告はアルファに伝えることなくベータで処理する。命を下す場合も同様、アルファが直接命じると決めた場合を除き、ベータを通して命を伝える。
雑多なことでアルファを煩わすことなく、郷を円滑に治める。それに必要な情報をシグマやカイが集め、ベータが取捨選択する。煩雑で些少なことはベータが処理するのだ。ベータが複数いるのはそのためである。
雑事はベータが行い、アルファには郷全体の指針を明確に示すことに専念してもらう。
つまりカイを使えばベータを通すことになる。禁じれば口外はしないが、ベータ四匹には知れる。それを避けたいのだろう。
「いったい、何を調べたいのやら」
また、ため息が出た。
認めたくはないが、我がアルファは変わった。
精霊の言祝ぎを得て、我らのもとに姿を現した時。堂々としたその姿に、輝くほどに放たれた覇気に、すべての人狼が自然と背を丸め地に伏していた。このアルファに従うのだ、この下で働くのだと、ただ歓びと共に感じ取った。この身もその一匹だ。
我がアルファの代になってから、郷の人狼は倍以上に増えた。失われるものより産まれる子狼の方が多いのだが、それだけではない。他郷から番探しに来て留まる人狼も多かった。番が見つからずとも気に入れば止め置いて、我が郷に帰属させるからだ。
今や辺りで最も多くの人狼を抱える郷となり、我が郷の治める森は広がった。ガンマが封じた水の道までが、以前は我が森だったのだ。水の道の向こうの森は、豊富な恵みをもたらした。
オメガをけなす人狼はいても、アルファの御代を讃えない人狼はいない。
そうまで心酔する郷の人狼を、なぜ信じようとしないのか。
ましてこの身はベータ筆頭として、アルファとなったその時から真摯に仕えて来たのだ。せめてこの身にだけでも伝えてくれれば、と思わずにいられない。我がアルファが望むなら口外などしない……その必要が無ければ、だが。
前任の言葉を思い出す。
『ベータは最悪を想定して動くもの』
アルファが変わればベータは総入れ替えとなるが、ベータの仕事は煩雑で、いきなりできるわけではない。前任は冬一つの時をかけて仕事を教えてくれた。
『我がアルファがいつ病んでも慌てぬように、失われようとも郷が乱れぬように。たとえ不敬にあたろうとも準備を怠るな。アルファの晩節を汚さぬことがベータの最も重要な仕事と心得よ』
アルファのために在るベータにとって、失われるなど、病むなど、想定するだけでも苦しい。それをせよと教えられた。
しかしその後選定されたベータ二番手以降は、直接教えを受けていない。冬一つ越えられずに前任が失われたからでもある。そしておそらく、筆頭にのみ伝えられること、なのだ。
アルファに仕え、その意を汲む。アルファと共に在り、そしてアルファと共に滅ぶ。ベータとはそういうもの。
だがベータ筆頭は―――アルファと共に生き、共に滅ぶのだ。
何度目か分からぬ溜息を吐くと、ベータ筆頭は喉を鳴らし、遠吠えを響かせる。もう二匹のベータと協議する必要がある。
もう、この身一つの心に収めていて良い段階ではなさそうだ。
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