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「つーか、やること決まってんだろ? なんでベータ筆頭が出てくんだよ?」 「今回のような場合、ベータの裁可が必要なんですよ」 「そーなんか!」  でなければ出奔扱いになる、と言うのは控えた。これから私たちが郷の外に出るのだと明らかになってしまうからだ。ベータ筆頭の棲まいに向かうこの辺りには人狼の巣もいくつかあるし、どこにどんな人狼がいるか分からない。不用意な発言は慎むべきだ。 「通常は階位の筆頭を通して上伸するのですが」 「マジか! 知らんかった!」 「私たちは階位が違いますからね。ベータ筆頭が直接裁可を下すのでしょう」  ベータの裁可を必要とすることは他にもいくつかある。これだけなら、聞かれても支障ないだろう。 「へー! なんかすっげーな!」  ルウはいつも通り、へらへら笑っている。根が単純で素直だけれど、能天気なだけの奴じゃない。そして良くも悪くもまっすぐ、猪突猛進なところがある。注意しておいた方がいいだろう。 「それより。ルウ、最優先は安全です。我々と……」  カイを指さし、その頭の上に指先を向ける。筆頭を現す手ぶりだ。 「おう! 分かってるつの!」 「ですから腹が立っても我慢してくださいね」 「あ? いや! 分かってるつの俺だって!」 「本当ですか?」 「マジだって! できるって!」 「そうですよね」  にっこりと笑んでルウを見つめ、うん、とひとつ。わざとらしいまでにはっきりと頷く。 「冬四つ越える間、ルウとして働いていたのですから、少しは成長してるでしょう」 「少しって! おま!」 「分かってますよ、ええ」 「あ~~! うさんくせえ!」  カイは楽しそうにククッと笑っている。  少しどころではない。ルウに所属する人狼は多いのだ。その中で四席を任じられるのが凄いことなのだと、私もカイも分かっている。  ただルウの反応が面白くて、つい揶揄ってしまうだけだ。 「言い方! そりゃ俺、考えなしだけどさ!」  声を上げながらルウは笑んだ視線をあらぬ方へ向ける。  一瞬後、その方向から声がかかった。 「おまえたち、賑やかすぎる」  突然の声に驚いて目を向けると、十五歩ほど離れた樹間に、ベータ筆頭が立っていた。  驚きのあまり声を失う。棲まいからはまだ距離があるのに……とはいえ油断していたのだろうか。まったく気づかなかった。 「どもっす!」  けれどルウは分かっていたようで、ヘラヘラと声を返している。 「だから声を抑えろ」  溜息まじりのベータ筆頭。  カイも驚いて声も出ない様子だけれど、ルウはいつも通り。 「ははっ! すんません!」 「他のものに報せぬ任務だ。賑やかに話されても困るのだが?」 「っスよね!」  片眉あげたベータ筆頭に、ルウはヘラっと笑う。なんとか落ち着きを取り戻した私も、横目でルウを見た。 「そうですよ。ルウの声が大きすぎるんです」 「おま! おまえが色々言ってたんだろ!」 「私はちゃんと言葉を選んでいました」 「だってよぉ!」 「だから、静かにしろ」  何度目かのため息まじりな声に、さすがのルウもくちを閉ざした。 「本当に大丈夫なのか、こいつで」 「ええ。問題ありません」 「うんうん、マジマジ、仕事ってなりゃちゃんとやるって!」  変わらずヘラっとした口ぶりで信憑性は低く聞こえるが、やるときはちゃんとやるやつだ。そこは信頼している。  ふと、風が動いた。  いつのまにか片手をあげていたカイが、その手を下ろし、真剣な顔でベータ筆頭を見つめて、ぼそりと声を出した。 「見つからないよう、行く? 道筋に指示はある?」  ベータ筆頭は頬を緩め、淡々としたカイの問いに応えぬまま樹間を歩み寄ってくる。私たちの近くまで来ると、茂る下生えの中に腰を下ろし、座れと手ぶりをした。私たちもその周りに座る。 「アルファの裁可は降りた。正面から堂々と行け」 「隠れない?」  ベータ筆頭の低めた声に、カイが問い返す。 「そうだ。我が郷の恵みを分け与えると伝えて、交渉しろ」 「はあ!?」  素っ頓狂な声を上げるルウに 「静かに」  ベータ筆頭が注意を与え、次いで私を軽く睨む。 「ちゃんと説明しておけ」 「いや聞いたけども! だからってなんで……」 「交換条件を出した方が、向こうも話を吞みやすい」 「ええ、そう思います」  カイも声なく頷く。 「いやでもなんで他の郷の奴なんかに……」 「後で説明しますね」  そう言うと、納得していない表情で「頼んだ」と返し、ルウはくちを噤んだ。  筆頭は私に、折り畳んだ葉紙を渡す。 「月が二度巡る間に渡せるものはこの程度。すでにシグマ筆頭からガンマへ、ルウとタウに水の道の向こうへ渡る許可を与えるよう指示済みだ。とはいえすぐに出せるのは商人が持ってきた備蓄だが」  旧態依然、古くからの人狼と同じように生きる郷もあると聞く。黄金の里は商人に抵抗感を持たないだろうか。 「商人経由のものを受け取るでしょうか?」 「問題あるまい」  なるほど、ある程度の情報は持っているわけだ。 「もうひとつ。困窮する人狼がいるなら、雌、老いたもの、子狼に限り、我が郷で預かることも可能だと提案しろ」 「……それは」  かなり挑発的な提案だ。  取りようによるが、『飢える人狼がいるよな、そっちで養えないだろうから弱いものだけこっちで養ってやるぞ』という意味にも取れるし、そのまま人狼、しかも雌と子狼を取り込むことを目論んでいると勘ぐられれば、足元を見て無茶を通すと断じられ、交渉は決裂する。  ただでさえ我が郷は急速に人狼が増え森が広がっている。他郷から来た人狼を取り込んでいることも、おそらく知られていると見るべきだ。 「交渉が決裂する可能性もあります」 「そうならぬようにやれ」  そう言って、筆頭はニッと笑った。 「やり方は任せる」 「でも、それを織り交ぜては」 「……危険」  カイがぼそりと継いだ。 「危険? んじゃ俺、やばくなったら暴れる!」 「暴れる、ダメ」 「マジか!」  カイに淡々と言われ、ルウは天を仰ぐ。 「ん、でも暴れるフリ、は、いいかも」  口元に手を当て、カイが呟いた。筆頭が小さく頷く。ルウは混乱している。 「いいかもしれんな。水の道はいつ渡れる?」 「……夜二つ後です」 「それまでに、考えてみろ」 「いいんですか? 私に与えられた権限は……」 「この件に関しては、おまえに全権を委ねる。うまくやってみせろ」  ベータ筆頭の意図が見えた。  下手を打っても私たちだけが犠牲になる程度に、つまり郷に影響の無いように収めろ。  私はそういう指示を受けたわけだ。カイは気づいているようだけれど、ルウは……とりあえずくちを噤んでいることにしたようだ。後で説明しないと。 「おまえたちを信じている。思う所を信じて進め」  筆頭は、わけが分からなくて唸り始めたルウと、考え込むカイに目をやり、ふ、と笑いを漏らした。そして笑みのまま、私をまっすぐ見つめた。 「三席は、おまえのことがずいぶん気になるらしい」 「……そのようですね」  私は気にしていないけれど、ベータ三席はいつも突っかかってくる。 「そのことで話しておきたいことがある。お前の巣は、周りから離れているな?」 「ええ」 「そこで話そう。カイとルウはいったん戻れ」  ベータの命を受けた二匹は、目線を下げ顎を引く礼を示す。ベータが頷くと、姿を消した。  走り去った、わけではなかった。いきなり消えたようにしか思えない。少し風が揺れたように思ったけれど……そんなに素早く動けるものなのか。  目を丸くしている私に、ベータ筆頭は片眉あげた目線だけをくれて、私の棲まいの方向へと歩いていく。その背に従い、私も向かった。 「カイはそもそも気配を消し自らの存在を薄くする加護がある。あのルウにしても、あの若さで四席なのだ。ルウの加護には詳しくないがな、見つけた獲物を追い詰めるに、人狼の気配は邪魔になるだろう」  全く感じないけれど、近くにいるのか。気配を消しているのか。すごいな、匂いも感じない。 「……では、二匹とも、まだ」 「そのようだ。ずいぶん心配されているのだな」 「……そうなんでしょうか」  ベータ筆頭はクッと喉奥を転がすように笑った。  共に私の棲まいの前に着くと、筆頭は地べたに炉が切られていることに目を丸くした。クックッとしばらく笑っていたが、炉端に腰を下ろし、精霊に願って火を熾した。 「すみません、お出しできるものが無いです」 「必要ない」  そう言うと、ベータ筆頭は片手をあげ、何かを呼び込むように揺らした。空気が変わる。ざわめきのような落ち着かない空気。  暫し揺らしていた手は、やがて何かを掴み取るように柔らかく握られ、ゆっくりと動いて額に触れる。ベータ筆頭は目を閉じ、そのまま動かない。  徐々にざわめきは治まっていく。ふと、風が不思議に揺らぎ、森は静かになった。 「ふう」  額に触れさせたままの拳をゆっくりと開き、ベータ筆頭は手を下ろして目を開いた。 「久しぶりだが、なんとか聞き届けられたな」 「今のは……」 「音封じ、だ」  そういえば、前にカイが『音を封じた』と言っていた。こういうことをしていたのか。 「さっきカイもやっていただろう。こういうのはカイやミュウの技だ。まあ、この身もできぬわけではない」  なるほど、森のただなかでずいぶんはっきりものを言っていて、誰かに知られても良いのかと疑問に思っていたが、そうか、カイが音を封じていたのか。分からなかった。 「精霊に願うのですか」 「そういうことだ。これと同じよ」  言って炉の火を指さした。  若狼と呼ばれる年頃、十五を越えてから許されることはいくつかあるが、最もよく使うのは火の精霊に願って火を熾すことだ。といっても火を使う場所は限られる。たいていの精霊は火を嫌うからだ。  精霊に示された場だけに棲まいを建てるのも、人狼が棲まいで火を使うからだろう。 「さて」  ベータ筆頭が明るい緑の目を楽しげに細めた。 「本題に入るとしよう」
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