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「それゆえ、な。この身はお前たちが次代で尊ばれる人狼となることを望んでいる。詮無いことだがな」  曖昧な慈愛を含んだ暖かい光を乗せた目が私を見下ろしている。それをまっすぐ見返し今更のように気づいた。  そうだ、この明るい緑。瞳が似ているのだ。毛の色は違うけれど、あの仲間も失われずに長じれば、このベータ筆頭に似た人狼となったのかもしれない。  七歳で失われた仲間はとても美しくて優しく、同年の誰よりちからが強く、背が高くて、ひと族でいう十二歳くらいに見えた。大好きだった。  けれど、ずっと忘れていた。姿も匂いも朧気(おぼろげ)だ。  どんなに好きでも、失われたものに心を残すなどありえないことなのだ。  ひと族は血統を重要視する。親子や家族と言った繋がりを重く見る。そういう知識はある。乗合馬車で出会った初老の夫婦にもそういった言動が見られた。貴族と呼ばれるものどものみならず平民も、親子で似ているところをくちにしていた記憶がある。  けれど人狼は血の繋がりなど考えない。精霊の元、正しい人狼たることのみ等しく求められる。それ以外は意識にすらない。  ベータ筆頭の番は、ひと族に近い感覚になっている、のか。  病んだ番を抱えていたベータ筆頭。哀れではある。  けれど…… 「なぜ、それを私だけに伝えるのです?」 「おまえならば、我が番を排斥はすまい?」 「まあ……確かに」  正直どうでも良いし、そんなことに時間を使うつもりはない。  これがルウなら、真正面から「あんた間違ってるよ!」などと言いだすだろう。デルタやカッパなら、ルウと一緒に声をかけてから噂を流すだろう。噂が広がれば、その雌はイプシロンの建屋に連れていかれる。その先は知らされていないが。  つまり、そうか。  ベータ筆頭は、最後まで番と共に過ごしたいのだ。  この先がさほど長くないと感じているから、なおさら。 「とまあ、おまえにこだわる理由はこの程度で納得したか」 「そうですね。……理解はしました」  フッとくちもとを歪めて笑むと、ベータ筆頭はため息を吐いた。 「三席だけではない。我が郷の人狼は、どこか歪んできている。そうでないものもいるが少ない」 「……ルウやカイは」 「あの二匹は問題ないだろう。他郷から来て、番が見つからぬまま我が郷に落ち着いたものも、大丈夫に見える」 「ということは、ベータの……」 「四席か。あれは来たばかりだしな。問題ない」 「かの人狼は、ベータではありませんよね?」  肩眉を上げ、睨むような面白がるような目線を受ける。 「なぜ、そう思う」 「アルファの後ろで、完全に匂いと気配を断っていました。あれはミュウの技でしょう?」  明るい緑の瞳を閉じ、ベータ筆頭はまたため息を吐く。 「……その通り」 「分からないのは、なぜミュウをベータと偽るのかということです。あの人狼は不当に貶められている。私は郷に戻ってから月が再び満ちるまでに、かの人狼の良くない噂を複数耳にしました」 「……それも、歪みのひとつよ。我がアルファが長くないと思わざるを得ない要因のひとつ」 「あの……オメガ、ですか」  バカ、というのは何とか控えた。 「それも、ひとつ、だな。シグマよ、ここですべてを(つまび)らかにはできぬ。それも分かるな?」 「分かります。ですが私に何をどうすることを求めているのかは聞きたいです」 「さもありなん」  ふう、と息を吐き、ベータ筆頭の、懐かしい色の瞳が、正面からわたしを捕らえた。 「前にも言った。おまえは、おまえの思う所を信じてまっとうしなさい。周りの言動に流されるな。お前の信じるところが精霊の望みであろう。そして」  瞳が、笑みに細まった。くちもとには皮肉気な笑みがたたえられている。 「……できれば、幸せになれ。なってくれ。それが我が望みよ」 「そんな……そんな、ことは」  約束などできない。我が身が滅びようと守ると決めたものがあるのだ。  フッと笑みを深くしたベータ筆頭は、顔を引き締める。 「おまえも、くちにはしなかったが、色々と感じているだろう。……三席だけではない、我が番だけではないのだ。少し前から、郷は歪みはじめた。今は……もう正しい人狼の郷とは言えまい」  ハッとしてこちらも顔を引き締める。 「叶うならば、この想いを伝えてくれ。次代が現れたなら……在るべき人狼の郷に、正しき形に。郷の人狼にまっとうな幸福を噛みしめる歓びを」 「…………」 「この身はベータ筆頭の役目を果たす。その時を待っている」  そうか。  この人狼は、ベータ筆頭は、次代の治める郷を、見ることができない。 「我が役目は、お前の思う所に寄与するやもしれぬ。信用せよとは言いにくいが、少しはあてにしても良い。まあ、一応覚えておけ」 「……なにを思っているのか、知っているようなくちぶりです」 「知らぬよ。だが、ひとつだけ言っておこう」  明るい緑の瞳に、冷えた光が宿る。 「もしお前が、精霊に刃向かうも止む無しなどと考えているなら、肝に銘じよ。我らは精霊あってこそ。努々(ゆめゆめ)思い違うことの無いように」 「……っ!」 「俺からはこんなところか。お前から聞くことは無いか? 内容によるが、叶う限り答えよう」 「……いいえ。今のところは」 「うむ。何かあれば、我が棲まい近くの……お前が服をかけた、あの木の枝を折れ。気にかけておく」 「分かりました。そのときは、そうします」  笑みで頷いたベータ筆頭は片手をあげ、指先を軽く振りながら、何もない空間に笑みを向けた。 「ありがとう、助かった」  そう呟いた後、何かが動いた。  匂いもない、目にも見えぬものが、頬を撫でるように、すり抜けていく。  動けずにいると、風が動いた。  これは……そうか、音封じ。それを解いたのか。そう納得した次の瞬間。  目の前にカイがいた。  音もたてず気配も動かさず、炉の脇に現れた。片膝立て、頬を強張らせてベータ筆頭に目を向けている。 「つーか、はえーよ! 早すぎるっておまえ!」  次いでルウも現れたが、カイはベータ筆頭を睨むような目で見たまま動かない。 「……内緒話、終わり?」 「ああ、終わった」  頷いたベータ筆頭から、視線をちらりと私に向け、戻す。再び睨まれたベータ筆頭は苦笑した。 「そう警戒するな。シグマにとって悪い話ではなかった」 「でも、少し」  私が動揺したのを感じ危惧しているのだ、と知れて、私も慌てた。 「カイ、大丈夫ですよ。ちょっと驚いただけです」  そう言って背に手を伸ばし撫でると、カイの身体から力が抜けた。けれどまだ頬が強張っている。  するとルウが、ヘラっと声を出す。 「それって、俺らは聞かねー方がいいやつ?」  笑顔だが、ベータ筆頭を見る目の奥が笑っていない。どうやら二匹には、ずいぶん心配をかけたようだ。 「シグマの判断に任せる。そのうち聞けるだろうよ」  ルウとカイが私を見た。  どこか緊張している二匹に、私はいつもの笑みを向ける。 「そうですね。今は、まだ」 「おっけ、分かった。なんかあったら言えよ?」  ルウが言い、カイがうんうんと頷く。 「有意義な時間でした。ベータ筆頭に感謝しています」 「そ? ンならいいけど?」 「……ほんと、に?」  私はにっこりと頷く。 「あ~~、うっさんくせえ! けどいつも通りだな!」  カイの頬のこわばりが少し緩む。 「ふむ。もう良いのか?」  静観していたベータ筆頭が問う。私が頷くと、おもむろに腰を上げた。 「では行くか」  上位たるものの覇気を帯びた偉丈夫は、私、ルウ、カイと順に視線を流す。目を見返すと、くちもとだけで笑み、覇気を帯びたまま声を発した。 「アルファのもとへ向かう。付いて来るように」  私たち三匹は、目線を下げて顎を引く。  走り出したベータ筆頭に従い、私たちは樹間を駆け抜けた。
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