scheme

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 目的は、カイ筆頭を穏便に郷へ帰還させること。  そのために我が郷からできることを提案する。つまり恵みを分ける、弱った人狼の保護を提示。とはいえカイ筆頭の現状は分かっていないし、どちらの提案も先方がどう出るか不明。かなり綱渡りの交渉となりそうだ。  私はそれを、嚙み砕いて二匹に伝える。 「それでも私たちは、カイ筆頭の安全のために動きます」  二匹は光る眼でしっかりと頷いた。 「現時点で正確な予測に基づいて計画を立てることなど不可能です。なので役割分担をきっちり決めて、流動的に対応するしかありません」 「向こうが何言いだすか分かんねえってことだな?」 「そうです。ただケースパターンはいくつか持っておきたいと思っています」  カイが頷き、ルウは二っと笑った。 「だいたいの作戦ってことだな?」 「はい。具体的には役割を決めておきたい。まずカイは、ひたすら筆頭を心配する」 「本当のことじゃん」  ハッと笑いながらルウが言う。 「でも、……大げさに、心配?」  カイは光る眼で続けた。 「そうですね」 「おっ、そこが作戦か!」 「必要なら騒ぐのもいい」 「ンでもよ、そんなぎゃいぎゃい騒がねー方がいいんじゃねーの? バカにされるぜ?」 「それですよ。私たちは若輩ですからね。侮ってもらうんです」 「ほー!」  ルウがニッと笑い、カイはしっかり頷いた。  私たちは若く、郷での階位も高くない。侮って隙を見せてくれれば、有利に運ぶかもしれない。 「私は冷静を保って要望を伝え、向こうの利を説く。郷からの提案などですね。相手の出方を見て柔軟に対応するつもりです」 「いいな! ンで俺はどんな役割よ?」 「ルウには最初から強気に出てもらいます」 「分かった!」  体格良く人狼としての能力に長けるルウ。威圧感も出せると常に豪語しているので、それをやってもらう。むろん向こうもそれなりの人狼が対応するだろうから、ルウの威圧がどこまで通じるかは不明だ。  それでもキレやすいのが一匹いる、という状況を作っておきたい。 「あばれるフリ、も」  カイが言い添えた。 「そうですね。不利な状況になってきたら、苛々して暴れるフリを」 「おう、任せとけ!」 「……おれも、少し、フリする?」 「いいですね。筆頭の安全が損なわれると思われたら、我を忘れるとか」 「ん」  カイがしっかりと頷く。 「私はあなたたちを宥めて、少しでも有利になるよう話を進めるつもりです」 「おっ、いいな!」  ルウに笑みで頷き返すと、カイもうんうんと頷いている。 「この役割を、各々まっとうする」  強気な武闘派、筆頭を慕う下位、冷静に話を勧めようとする私。基本はこれで行く。  それから三匹で想定しうる状況を出しあい、この場合はこう対応する、と決めていく。といってもザっとしたものだ。あまりガチガチに決めても、想定外の状況に対応できなくなる。  先走りがちなルウと、意外に過激なことを言い出すカイを宥めながら話し合いを続ける。 「ここまでにしましょう。これ以上は流動的な部分が多すぎます」 「そだな! ふう……やっと終わりかよ」  ルウが疲れた匂いをさせながら言ったころ、すでに太陽がだいぶ高くまで昇っていた。 「お疲れさまでした。次の夜まで体を休め、月が一番高い頃、ここに集まってください」  解散を告げたのに二匹ともすぐに帰ろうとしない。 「どうしました?」  カイはともかく、考えたり話す事に慣れていないルウは疲れているだろう。なのにそのルウが厳しい目で私をビシッと指さした。 「おぉまぁえぇはぁー! このまま寝ずに考えたりすんだろー!」  私はいつもの笑みで、ゆるゆると首を振る。 「すぐに休みますよ」 「信用できねーての!」  カイもうんうんと頷いている。 「なにを言うんです。あなたたちは出発前に体調を整えないといけま……」 「シグマ、も……!」 「そうだぞ! 寝床に入れ!」  二匹がかりで寝床に押し込もうとする。仕方ないので香り草の山に潜り込んで丸くなった。 「……これでいいですか?」  寝床から首だけ出して言うと、ルウは満足そうに頷く。 「よし」 「番が待ってるでしょう? 早く帰ってあげてください、ルウ」 「分かってるつの! お前ちゃんと寝ろよ!」  風のように去るルウの声は、語尾が遠ざかる勢いだ。そんなに早く戻りたかったのか。 「カイ?」  そして、まだ寝床のそばにいるカイに顔を向ける。 「あなたも戻って体を休めてください」 「……一緒に、ねる」 「はい?」  そう言って寝床に潜り込んで来ようとしたので、慌てて寝床を飛び出した。 「なんで?」  ものすごく悲しそうな顔をするカイに、私は毛をかき上げながらため息を吐いた。 「一匹にしてもらえませんか」 「……でも」 「すみません。私は私で考えたいことがあるんです。一匹で」 「…………」 「お願いします」 「……分かった。……ちゃんと、寝る?」 「ええ。私も休む必要があるのは分かっていますよ」 「ん。……じゃぁ、あとで、来る」 「いいえ、カイ。月が高く上がるまでは、それぞれの行動を」  カイは探るような視線で見つめてくる。私はいつもの笑みで受け止める。  やがて、不承不承という風情を隠すことなく、カイは頷いた。 「……分かった。ちゃんと、寝て」  再び私を寝床に押し込もうとするカイに従い寝床で丸くなると、カイも去った。  密かに近くで見張るつもりかと思ったが、気配が遠ざって行ったのを感じ取り、私は小さく息を吐く。  カイには言えない懸念がある。それについても考えなければならない。  本能が死ぬ。  そう、カイ筆頭は言っていた。正直どういうことなのかは分からない。けれどカイ筆頭は身を削って郷に尽くしたのに報われず、郷やアルファに希望を持っていないように見えた。  それでもカイに仕事を伝えようと頑張っていた筆頭が、もう教えることは無いと思ったなら。  戻らない、と考える可能性もある。  人狼が郷を離れたがるなんて、通常ならあり得ない。でもカイ筆頭は本能が削れているのだ。人狼の本能が命じない道を選ぶ可能性もある。  カイにはとても言えないけれど、その場合どう動くかも考えなければならない。 「はあ……」  できれば私は、カイ筆頭の立場を尊重したい。そのときカイがどう動くか、ある程度は予測できるけれど……可哀想なことになるかも知れない。  ずっと考え続けているせいか、脳が過熱しているような興奮状態が続いている。精神も研ぎ澄まされている。  というかカイのおかげで昨夜眠ったので、この後、四、五日眠らなくても問題ない。成獣ならみなそうだ。なぜカイは、ルウも、そこまで私を眠らせようとするのか。  ……私がいつもと違うと、感じとっているのだろう。  色々なことを考え続けるのはいつものことだが、今、私は考え続けている。  少し気が緩むと脳裏に浮かんでしまうのだ。香しくも鮮烈な、あの匂い……我が最愛。  出会い、交歓の時を持ち、それから私は変わった。掟も郷もどうでも良いなど、今までなら絶対に考えなかった。  けれどすでに匂いが変わったと言われたのだ。  想うだけで、この身体は変わるのだろうか。いったいどんな変化が? 分からない。  だから頭に余白を造らぬよう、常に何か考えていた。でなければ衝動に負けてしまう。走りだそうとする足を止めるこ都ができるか、自信なんて無い。  けれど―――ふっと心が緩む。  あの匂いを思い出すだけで、身体が熱を持つ。  ふっと浮かんだ考えに、抑えが利かなくなった。だって今なら、……いいのでは?  次の夜まで、私は一匹で過ごす。気を使って自らを抑える必要がどこにある?  ずっと押し殺し、平静を装ってきた。次の夜まで、その間だけ、想ってもいいのでは?  会いたいと走り出しそうな足を、匂いや求める鼻を、あの深く響く声を聴きたいと望む耳を、遠くから気配だけでも、そう思ってしまう心を、……今だけ、務めもなくどの人狼にも会わぬ今だけ。心のままに、せめて想うことだけでも抑えずに……  ――――会いたい。  望みを達するまで、耐えようと決めている。けれど今だけ自らに許す。  会いたい。  必ず帰ってくるつもりだし、その後こそ望みに向けて動き出さなければならない。だから、今だけ。  会いたい。  けれど……衝動が起きても棲まいになど行けない。たとえ最愛がいなくとも隣にカイの棲まいがあるし、あの雌に気取られるのは避けるべき。でも  ……会いたい。  ああ、会いたい。顔を見るだけでいい。離れたところから、匂いも感じないほど遠くからで良い。  会いたい。  会いたい。 「……会いたい」  声が漏れてしまった。  もういい。  私は、私に、思うことを許す。  ……何かの拍子に浮かぶ、あの……鈍銀の瞳。まるで鼻の奥に残っているかのように、はっきりと思い出せる、あの鮮烈な匂い。叶うなら、あの銀灰の毛に鼻を埋め、思う存分あの匂いに包まれたい。  そして胸が切なく傷む。  また精霊を呪っているのだろうか。迸りそうな咆哮を抑え、耐えているのか。寂しげな、あの笑みを浮かべているのか。  ああ、そんなことしなくて良いと、早くそう言ってあげたい。  あなたはあなたのままで尊いのだと。この腕の中で、尾で身を包んで、安んじて眠らせてあげたい。  ああ、会いたい。会いたい。会いたい。  歯を食いしばっても、手も足も寝床の中で震える。丸くなっているのが辛くなる。私は発作的に棲まいを抜け出し、森を駆けた。思いっきり駆けた。  まだ陽が高い。この時間、人狼はほとんど眠っている。  そんなことを頭の隅で考えているのに、芯には同じ思いばかりが降り積もり、加熱していく。  会いたい。会いたい。会いたい。  どこへと向かうわけでもなく走る。走る。走り続ける。  気づくと水の道のそばまで来ていた。  カイが蹲っていた辺りより、少し上流だ。
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