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5.黄金の郷 golden hamlet
走って棲まいに戻ると、既に陽が落ちていた。
ガンマが指定した今夜は満月だ。人狼が最も能力を強める夜。
そして尖った樹先も届かぬほど高く月が昇ると、二匹が私の棲まいに集まった。
星々が雲霞の如く月の周りに散りばめられ、その合間に細かい深淵が暗く覗く空を見上げ、ルウがくん、と鼻をヒクつかせる。
「俺らだけだな」
カイが小さく頷く。私も探ったが、森に人狼の気配が無かった。
「そのようです」
こんなことは珍しい。何かあったのだろうか。
「つーか、うちの番と幼狼どもに指示が来てたんだよ、広場に行くようにってな! ルウが戻ってきたわけでもねーのに!」
「そうだったんですか」
私の所に報せが来た気配は無かった。来たとしても私は巣にいなかったけれど。
「私たちが出やすいようにしてくれたんですね」
「余計なお世話だっつの」
「知られ、たくない、んだ、よ」
「なにをだよ!」
「あくまで郷とは関係ない、若い人狼の暴走としたいのでしょうね」
「あいつ、ら、ずるい。やな、感じ」
とうとうカイはアルファやベータをあいつら呼ばわりし始めた。かなり溜めこんでいるようだ。
「けれど私たちにも都合がいいですよ」
そう声を掛けると、カイは不満そうに鼻を鳴らした。珍しい。
するとルウがバンッと背中を叩く。
「おいぃ~! 仕事の時は冷静に、だぞ!」
「そう、……だけど」
カイは迷惑そうだが、ルウはお構いなしにバンバン背中を叩いている。
「目的だけ考えろ!」
カイは目をぱちくりさせた。
「俺たちは何しに行くんだ!?」
こういうところはルウに敵わないと改めて思う。ルウを見ていると思い出す。単純でまっすぐであるということは人狼にとって美点であり、だからこそ役目を果たせる。ルウの同道を求めたのは、身体能力だけではない。
「そうですよ、私たちはカイ筆頭を無事に連れ戻すんです」
「そゆこと! まず行く! やる! 他のことはあとあと!」
「……うん」
カイが頷いた。不承不承な感じはありつつ、だけれども、ひとまず大丈夫そうだ。
それに私としてもこの方がありがたい。あまり大袈裟にしたくないのだ。
「行きましょう」
「おう! 遅れんなよっ!」
ルウを先頭に、私たちは走り始めた。
水の道を渡るとき、カイが少し怯えた匂いを発した。ガンマの施した壁にぶつかり続けた記憶のせいだろう。
だがカイは率先して岸の地を蹴り、飛び超えてて水の道の半ばにバシャンと落ちた。濡れねずみになってキョトンとしたカイから、怯えの匂いは消えた。
といっても水の道は飛び越えるには広すぎた。深さが腰ほどだったので歩いて渡り切る。
「ここ渡ると、違う獲物が居るんだ!」
対岸に着いたルウは、そう言いながら深い森に入っていく。
私たちもルウに続いて進んだ。嗅ぎ慣れない草の匂いがいくつか感じられる。
「ここも我が郷の森ですが、植生は少し違うようですね」
「おう、タウもこっちでだけ採れる果実があるって言ってた!」
「この森を二夜も進めば別の水の道に行き当たって終わります。その向こう側に山があり、そこには山のものが棲まっています。そして山のものの棲まいを越えた向こう側にあるのが、黄金の郷」
うんうんと頷くカイの横で、ルウはヒュウと口笛を鳴らした。
「さっすがシグマ! 物知りだな!」
「けれど、その水の道は深くて、歩いて渡れないようです」
「泳ぐのか! 面倒だな!」
「幅が広いようですし、渡り切るには時間がかかりそうですね」
「渡れる、とこ、ある」
カイがぼそりと付け加え、ルウがはしゃいだ声を上げる。
「経験者いた! 渡るときは先導頼んだ!」
「ん」
ルウの先導で走りながら、私たちは気軽に会話していた。まだ我が郷の森なのだ。警戒は必要ない。
「カイ、山の方角から黄金の郷へ入り込んだと聞きましたが」
「ん」
「郷の正面とは違うんですよね?」
「違う」
他郷のものが入り込むと、森の精霊は邪魔をする。私も王都から戻るとき他郷の森を通ったので分かる。あれはなかなか落ち着かないし、おそらくミュウあたりにはよそものが入ったことが知れる。。
といっても通り過ぎるだけの獣やひと族をいちいち留めはしない。警戒はするだろうが、さほど厳重なものではない。もとよりすべての生き物に広大な森の出入りを禁ずるなど不可能なのだ。仕方が無いと言うことだろう。
精霊もそこまで厳密ではないようで、侵入者を追い出すまではしない。せいぜい不快感というか、落ち着かない感じを与える程度。それでも人狼なら受けたくない感覚を与えられる。
そんな中、ただひとつだけ、他郷のものであろうと拒まない道を、精霊は作っている。それがいわゆる『郷の正面』だ。
「てか正面ってどっちなんだよ!?」
「山の反対側でしょう。近づけば分かるらしいです」
「そんで、向こうのミュウが出てくんのか!」
「そうでしょうね。私たちはそこで訪いを告げます」
「おとない?」
「来た理由をお伝えして、入れてくださいと頼むんです」
「そう言えよ! 分かりにくい言葉使うな!」
「必要な言葉です。覚えてください」
三匹で話し合ったとき、正面から行く方法はあまり考えなかった。
考えたのは、黄金の郷に着いてからのことだ。
◆ ◇ ◆
話し合いを始めてまず、強行突破は避けたい、と私は主張した。
ルウやカイはともかく、私は戦う訓練をしていない。弱くないとカイは言ったけれど、確信が持てないことは避けたいと主張すると、二匹とも納得した。
そのうえで上がった選択肢は二つ。
ひとつは密かに突入する。これは正面から行って受け入れられない場合に有効だ。
拒否されてすぐ、時を待たずに入り込めば、ミュウに察知されたとしても、初回の侵入との区別がつかないかもしれない。
若干希望も含まれているけれど、カイが筆頭の気配を見つけられるので、迅速に筆頭を保護し、連れ帰る。
もう一つはカイが強く主張した作戦。カイは、筆頭はきっと隠れていると主張したのだ。
筆頭の気配は弱くなっているけれど、感じられる。カイの役目を負う人狼なら、捕らえた人狼の気配は抑えさせる。そのやり方はある。
「クスリ、とか。精霊に、頼む、とか」
黄金の郷のカイも同じことをするだろう、と言うのだ。
「なるほど。カイ筆頭は囚われていない、自らの意志で潜んでいる、あるいは怪我などのため動けないでいる。だから筆頭の気配を感じられると?」
「ん」
「その場合、正面から真っ正直に行けば、黄金の郷の人狼たちをいたずらに刺激することになりますね」
侵入した人狼がいることに気づいていない黄金の郷に、教えることになってしまう。ただでさえガンマの森が荒れて神経質になっているのだ。良い結果は産まないだろう。
「おれ、行く。ひっとうの、とこ」
「おっけ! んじゃみんなで行くしかねーな!」
「待って。それだとミュウに察知され、追い込まれてしまうかも。それにベータ筆頭は『正面から行け』と言っていました」
「あいつらの、言う通りに、する……?」
カイが探るように見て来た。
どうやら元からベータ筆頭の指示に従うつもりなど無かったようだ。私はにっこりと笑い返した。
「ある程度は」
「ん? どゆこと?」
しかしルウは混乱した。
「筆頭、潜んでたら、バレる」
「あ? バレてんじゃねーの!?」
「カイ筆頭が囚われているなら、真正面から行った方が面倒が少ないのは確かですが、そうでないなら藪蛇になりかねない、ということです」
「は? どーゆーこと!?」
説明しても、あまり理解していない様子のルウは結果だけを求めた。
「だー! いう通りにすっから! どーすんのか言え!」
「それも踏まえて、私は正面から行こうと思います」
カイの気配が鋭く尖る。
「落ち着いて、カイ」
にっこり笑いかけると、カイの纏う空気が緩む。
「黄金の郷へ援助を申し出るために来たのだと、それだけを伝えるんです。つまりカイ筆頭がいてもいなくても、私のやることは同じ」
カイは単独で筆頭のもとへ行く。密かに。
「二手に分かれるんか!」
「そうです。もとより潜むことに長けているカイを、真正面から進ませることに利点はない。ルウ、カイと同じように潜んで行けますか?」
「できねーな!」
「ですから私たちが正面から入ることで、カイが密かに進む手助けとする」
「んでもさ、あのオヤジが言ってたことと違くね?」
「ルウ、私たちは知らないんですよ。カイ筆頭が黄金の郷にいるなんてことは」
「はあ? なに言ってんの!」
「知らないことにするんです」
カイがククッと笑った。
「そういう、ずるいとこ、いい」
ルウがハッとして声を上げた。
「あのオヤジ騙したんか!」
「そうとも言います」
「マジか! やるな!」
とはいえ、郷に近づいてカイ筆頭の居場所を掴んでから、どちらの方法をとるか選ぶ。それまでは考えを固定せず、流動的に動くのだ。
「行き当たりばったりな! それ得意だぜ!」
まっすぐで本能的な人狼は、とっさの状況判断に優れている。
二っと笑ったルウは、まさにそういう人狼だった。
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