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甘みに脳が活性化された気分になり、私は考える。
ルウが強引に休息を主張するのは、少し時間を置いて進むべきと判断したのだろう。何かしら危険な匂いを感じたか。カイも納得しているようだ。
ということは、私には感じられなかった危機を、彼らは感じとったのだ。
ため息が漏れそうになるのを押し殺す。
分かっている。私は人狼として、二匹に劣る。
いいや、へこんでいる場合ではない、やるべきことをやらねば。考えるのだ。何も言わずとも察して、この先どうするかを。
「つかシグマ!」
唐突に口吻を掴まれた。顔をルウに向けさせられる。
こんなのは子狼を躾けるときにすることだ。なにをいきなり、と鼻面にしわを寄せ唸ろうと……
「あ~の、なあ」
なのに目の前のルウは、困ったように眉尻を下げて干し果実をモグモグしていた。唸る気が失せる。
「んだから今んとこは俺がなんとかすっからさあ、つうかおまえの本番は郷に着いてからだろーが!」
口吻から手が離れた。注意を与えねば。
「ルウ、静かに。山のものの領域ですよ。それに……」
「だから! 聞けよっ!」
横でうんうんと頷いていたカイが自分とルウを指し、次いで指先を私に向けた。
「組んでる、おれたち」
「……カイ?」
「意識、ひとつ」
「てか水の道渡るまで俺についてこいっ! んでその先はおまえがやれっ!」
そう言いながらルウの手が頭に伸び、少々乱暴な手つきで耳の間を撫でた。
二匹とも周囲の気配を探っているようには見えないし、真剣な面持ちで私を見つめている。
と、いうことは。
「……危機を感じたのではないんですか?」
「あ? 何言ってんだ?」
「ですから、急に止まったのは何か危険な気配を感じたからなのかと。私は感じませんでしたが、あなたたちなら感じられ……」
「だから! そういうトコだよっ!」
ルウがさらに声を高める。
「つうかキリキリ進みゃいい、つってんだ! 余計なこと考えんな!」
「……シグマ、考えすぎ」
「カイ?」
「そうっ、だよ!」
うんうんとカイも頷く。
つまり、私を案じている、ということ?
けれど私は疲れていない。休息を取らねばならないわけではないのだ。文句を言うつもりはないけれど留まっている理由は知る必要がある。
ただでさえ私に合わせて進む速度を緩めているのだから……
「てか! もっと鍛錬しろってくらいだっ、言いてーのは!!」
「ですからルウ、静かに」
「うるせっ!」
「くち悪い」
カイがルウをつつきながらニッと笑っている。ムッとしたように口をつぐんだルウの頬には、赤みが昇っていた。
「うっせ! ただ俺は! ……っ」
ふん、と鼻を鳴らし、ルウは私のすぐそばにどっかりと腰を下ろす。
「幼狼の頃とか、おまえの事スゲエって思ってて、んだからちょい……あ~~~、いいだろ! うるっせーな!」
声を高めると、カイの手から干し果実を奪って噛り付く。
「とにかく余計なこと考えんな! 迷惑とか思ってんなら、ちっげーからな!」
カイがニヤニヤ笑いながら、もうひとつ取り出した干し果実を齧る。
「照れてる、だけ」
……ああ、そうだった。
ルウは気が短くて言葉が足りない上に、くちが悪い。けれどとても愛情深い人狼なのだ。
幼い頃、察しの悪いデルタがルウに突っかかり、よく喧嘩になった。幼いルウは焦れたような顔をして……ああ。
思い出した顔と目の前のルウは、同じ表情だ。
「ちっげーよ!」
ルウは休息した理由を伝えようとして、私を案じてのことだと言えば良いのにそう言わない。うまく言語化できないでキレるあたり、いかにもルウらしい。そしてカイに指摘され照れている。
なんだ、子狼の頃と変わらないな。
私は思わず首を伸ばし、ルウの頬をぺろぺろ舐めた。
「あ~、も一個食う?」
言葉を返す代わりに、ルウに向けくちをパカッと開ける。カイがニコニコしながら干し果実を私のくちに入れ、毛を撫でた。おのずと尾が揺れる。
「シグマ、やっぱ、きれい」
カイは前から時々これを言って嬉しそうにする。
今もとても機嫌がよさそうだ。森を出るまでずいぶんピリピリしていたけれど、今は落ち着いるようだな、と安堵する。
「だなー! ふっさふさだもんな!」
ルウも若干乱暴な手つきで私の毛を撫でている。
子狼は三歳くらいでひと形を取る。そして狼になれなくなる。
満月前後だけでも変転できるようになるのは十五歳くらいで、それまでほぼひと形のままで過ごす。
なのだが私は何かの拍子に狼になることが、しばしばあった。
けれど意識してやっていることではないので、再びひと形を取るのにどうすればよいか分からず、“何かの拍子”を待つしか無かった。
みんなと同じ遊びができなくて駄々をこねると、こんな風にみんなで撫でて、慰めたり励ましたりしてくれた。
あの頃のカイはおずおずと遠慮がちに撫でていたけれど、今、毛並みを整えるように頭から尾まで撫でおろす手は、落ち着いた優しい感情を伝えてくる。
心地よさに尾がゆらゆらと揺れるのを自覚しつつ、目を細めて足を折り、草の上に身を伸ばした。
そのままふんふんと草の匂いを嗅ぐ。あまり瑞々しくない変わった匂いではあるが、危険な匂いではない。周りには知らない樹が多いが、ルウもカイも寛いでいる。
優しいカイの手と少し乱暴なルウの手が、私を撫でている。鼻先に干し果実を見せられ、くちを開くと押し込んでくれた。
危険は無いのだ。
やっと、そう納得できた。そして思い出した。
自分だけ狼になったり人型になったりしたあの頃の、思い通りにならない自分への苛立ち。みんなにできないことができて誇りたいのに誇れない。自分がみんなと違うことで得意な気分になるのに悔しさもあり、微妙だった。
そうか、今も―――微妙なのだ。いつしか焦りが出ていたのかもしれない。二匹に置いて行かれるような気分に、なっていた気もする。
目を閉じ、自分を叱咤した。
私情に拘泥するな。大切なことはなんだ。
私は深く呼吸し―――ひと形に変転した。
今は自在に変転できる。成獣となったのだ。子狼だった頃とは違うのだ。
「服をください」
「おっ!」
ルウが嬉しそうな声を上げる。
「私だけ狼なのは納得できません」
ニカッと笑いながら、ルウは背負い袋から私の服を出し、渡してくる。
「えっらそー!」
「あなたたちこそ、ずいぶん偉そうです。少し走るのがうまいくらいで」
「おっ、おっ、調子出てきたんじゃねーの!」
「ルウなんて馬鹿のくせに」
「それそれ! いつもの!」
なぜかルウがはしゃいでいる。カイはニコニコしてうんうん頷いている。
なんとなく、妙に嬉しそうな二匹が癪に障ったが、態度にも匂いにも出さない。
もちろん、ここも斜面なのだが、土は湿ってきている。おそらく下草が水分を保持するのだろう。これなら私だって普通に走れる。
「遅れないでください?」
振り返った私はにっこりと言い、足を踏み出す。走り出す。
足の速さなら、ルウはともかくカイには負けない。
この任務では私が筆頭、人狼を従える立場なのだ。
しかし、暫く進んでルウに先頭を譲った。
鼻を利かせて瞬時に道筋を選ぶ判断、危険を感じた時に働く本能的な感覚は、やはりルウの方が優れている。認めるべきは認める。私情に拘泥しない。
重要なのは、任務をつつがなく終えることだ。
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