5.黄金の郷 golden hamlet

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「ですから、カイが言ったでしょう? 山のものと話すときは口元を隠す!」 「いや起きたな~と思って、つい!」  ヘラヘラ言い訳するルウを、思い切り冷たい目で睨んだ。  ようやく気付いた山のものが、また気を失ってしまったのだ。  ルウは笑いかけただけと言っているが、山のものは人狼の牙を怖れるので隠すようカイに言われていた。さらにカイは荷物から布を出して裂き、渡していたのだ。  にもかかわらず、ルウは使わなかった。  布をルウから奪ったカイが、半目になっている。 「いや! 悪い、悪かったって!」 「せっかく目を覚ましたのに」  ため息が漏れた。  いろいろと美点があるのは認めるが、本当にルウはもう少し考えてほしい。 「てか、ぶん殴ったら起きるんじゃねーかな?」 「また気を失いますよね」 「下手したら死ぬ」 「あははっ! だよな!」  けれどルウに文句を言ったところで、こいつがおらしくなるわけもないと分かっている。  目を上げれば、夜二つ分欠けた月が見えた。日はすっかり落ちてしまっている。  できれば月が落ちる前に水の道へ至りたいと思っていたのに、また起きるまで待つのか。それとも……  私が考えている間にカイがラムウの実を一粒、山のもののくちに押し込んだ。 「う、んう」  今度はすぐに目を覚ましたようだ。 「すっぱ!」  慌てたように実を吐き出したので、口元を隠した私が話しかける。 「すみません、驚かせてしまいましたね」  山のものはビクッと震えた。 「……うっ、くっ」  幅広く平べったい鼻はスピスピと呼吸音を漏らし、小さなくちをギュッと閉じて、怯えているように見える。  変な臭いが漂ってきた。これは怖れの匂いか? 人狼とも他の獣とも違うので判然としない。  こちらに顔を向けているから、おそらく私を見ているのだろうが、山のものの目はどこを見ているのか良く分からない。目の位置が離れている上に、濃い茶色の瞳は大きくてほとんど白目が無く、瞳孔が横に長いのだ。視界は広そうだけれど、表情が読めない。 「落ち着いて。少しお話したいだけです」 「ぅ、んん、ひっ」  頷くそぶりを見せたけれど、すぐに涙目になり激しく首を振った。私の後ろにルウが腕を組んで立っていたのだ。 「ルウ! 離れて!」 「へ~~~い」  ルウは近くの樹の上に飛び乗り、何本か枝を折りながらも、高い位置に収まった。離れすぎず、距離だけ取ったのだ。  私は優しい声を心掛けつつ、にっこりと笑いかけた。 「乱暴者は遠ざけました。安心して」  こちらを向いた山のものは、くち半開きで鼻もスピスピ言わなくなった。少しは落ち着いたか。  ルウが木の上で大あくびをしたら、またビクッとしたので「気にしないで」と言うと、激しく頷く。軽く背を叩いて落ち着かせたが、横長の瞳孔が上下左右に揺れている。これはきょろきょろしているのか。  横からカイが干し果実を差し出すと、鼻をヒクヒクさせしばらく匂いを嗅いでから受け取った。ごつごつした手は指先が四角くて爪が硬そうだ。  また匂いを嗅ぎ、恐る恐るひとくち齧ると目を輝かせ鼻息を荒くして、すぐに食べきってしまった。気に入ったようだ。 「私の分も、どうぞ」  渡した干し果実を食べ切ると、もう無いのかと言わんばかりにじっと見つめてきたが、気づかぬふりで手を貸し、立たせた。  全身ひと形にはならないのだろうか。山羊のような胴体の首が伸びるはずの位置から伸びる、ひと形の臍から上が、立ち上がると前傾気味の腰を反らせ、上半身はまっすぐに立った。  目の高さは私と変わらないが、角があるので少し大きく感じる。毛の色は白で顔や首の浅黒い肌は皴っぽい。老いているのか。  私は笑顔と優しい口調を心掛けつつ、問いかける。 「お怪我は無いですか?」 「う、うん。大丈夫」 「乱暴者が失礼しました。止めたんですが」 「あ、あれ……おいしいの……」 「ああ、干し果実ですか? すみません、私の分はあれで終わりです」 「おわり……」  ともあれ、なんとか会話できるようになったので、早速いくつか質問を向ける。  山のものはひと族のような話し方をした。私は理解できるが、人狼の使う言葉とは少し違うので、カイは時折首をかしげていた。  けれど分かったのは、『役務』だかを終えて山を降りる途中だったということだけ。  あまりものを知らないのか? 老いて見えるが実はまだ若くて重要な仕事をしていないのだろうか。いや、警戒して隠しているのか。  ともかく、知りたかったことは分からないままだ。果実のせいで警戒心が薄れたのだとしたら単純だが、コイツも情報を得ようとしているとしたら?  あまり余計なことは言いたくない。情報収集は諦め、道案内だけでもさせることにする。途上でそれとなく聞き出せることがあるかも知れない。 「山の向こうに、人狼の郷がありますよね?」 「郷? 森はある。あっち、とこっち、に」  指さした『こっち』は我が森の方向だ。 「あっちの森に行きたいだけです。山を荒らす気はない」 「……通る、だけ?」 「そうです。早く山を出たい」 「……喰わない?」  おどおどと目をやるのは、木の上であくびしているルウだ。というか、布を巻いているのに大口を開けるせいでくちの中が丸見えだ。 「喰いません。お願いを聞いてくれれば」 「え~~……」  ルウのいる木の上にチラチラと目を向けているように見える。どうにもルウが気になるようだ。 「喰わねえよ! その代わりそいつの言うこと聞けっ!」 「ひっ! わ、わかったっ!」  なるほど、ルウはこういうふうに使えばいいのか。 「あれが気になるなら、私から離れないで。いいですね?」  激しく首を上下させる山のものの太い角が、風を起こしてブンブン音を立てた。   ◆   ◇   ◆  そのものはクィーナという名で、十八歳だと言った。  山のものは寿命が三十~四十で、十歳で成獣と呼ばれるというから立派な大人なのだろう。ずいぶん頼りないが。  『(いただき)の祠の役務についている』と言ったので、山の警護をしているようだと推測する。目と耳が良くないと選ばれないのだ、と誇らしげに言っていたから、おそらく優れているのだろう。そうは見えないが。  クィーナはいかにも気弱そうでビクビクしているが、さすがに山を熟知していた。最短の道を案内するよう言うと、迷いなく進んでいく。時々ルウが方角を確認し、間違いないと合図して来たので、私たちを騙してはいないのだろうが、クィーナについて進むのは思った以上に大変だった。  切り立った崖のような場所に通りかかっても、当たり前に崖をまっすぐ横切って進もうとする。ほぼ垂直の崖を、四つ足で危なげなく進むのだ。正直どうなっているのか分からない。 「おい! 戻れ!」  ルウが声をかけるとビクッと止まり、こちらを振り返ってびっくりしている。 「えっ、なんで来ないの? 一番近い道だよ」 「歩けるところを通ってください」 「ええ~、一番早く着く道って言ったのに~」  すごく不満そうだ。 「遠回りになっても良いですから」 「え~壁通れないの? そんな、どんくさい……」  ブツブツ言いつつ崖ではない平らな部分を通るようになったが、それでも私たちにとってはじゅうぶん険しい。ひと形になった時の足の幅ほどしかない場所を進んで行ったのだ。落ちても失われることは無いが、落ちたら仲間とはぐれてしまうと思えば用心深く進まざるを得なかった。  スイスイ進むクィーナは 「どんくさい」 「遅いよ」  などと言い、侮るような目線を向けながら、時々チラチラと崖を見上げる仕草をした。 「崖に飛べば逃げれると思うなよっ! 俺はお前より高く飛べるしお前より早い! 楽勝で喉笛食いちぎってやるっ!」  ルウが言うとビクッと首を縮め、文句は言わなくなったし、極端なほど崖に目を向けなくなった。またあの匂いが漂ってくる。簡単に逃げられないと思ったのは確かだが、怖れているのか。匂いの意味が分からない。  私は情報が欲しかったので、穏やかな口調を努め、いろいろ話しかけ続けた。けれどルウが脅すせいで質問してもオドオドして、まともに答えが返らない。  従わせるにルウは有効だが、今は拷問などしている暇がない。クィーナから世間話の延長のように情報を垂れ流してもらいたいのだ。まず緊張をほぐさねば。  そこで、仕事をしていないとき、なにをしているか聞いてみた。 「喰ってるか寝てる」  さらに聞いてみたが、山のものはたいてい同じらしい。  そして恐るべきことに、彼らの巣は岸壁の途中にある岩棚なのだという。本当にあんなところで生活しているのか。 「それでは、どんな獣でも山のものの寝込みを襲うのは難しいですね」 「こどもは鷲や鷹にさらわれるよ。年寄りは時々落ちる」 「それは、なかなか厳しいですね」 「そうかな? ふつうじゃない?」  山のものは山を治めていない、というようなことをカイ筆頭が言っていた。  なるほど、鳥に負けるようでは彼らが山で最強というわけでは無いようだ。ということは、険しい場所に巣を定めるのは自衛なのだろうか。  空が白み始めた頃、ようやく水の匂いを感じた。  水の道に近づいているのだ。私たちは互いに無言で頷いた。  クィーナは時々ルウを気にしてはいるが、私やカイには慣れてきたようで、かなり気安く喋るようになった。 「この先の森についてですけど、前の夏に水の道が潰れたとか」 「みっ、水の……? ああ、川のこと? うん、山の神が動いて川が氾濫して、そこの森の木が、だいぶ流れたよ」  水の道を『川』と呼ぶのは、ひと族の言い方だ。『氾濫』もそう。ひと族と似た言葉を使うと思ってはいたが……  ああ、なるほど。  考えてみれば当然のことだ。  ひと族は光の眷属であり、山は光が作った場所だと神話にある。そこに棲まう山のものも光の眷属と考えるのが妥当。  我ら人狼や森に棲まう獣や虫は闇の恩寵を受けている。  太古、我らと光の眷属とが争い合った。けれど精霊が争いを好まぬため、みな仲良くなったと神話にある。  人狼は精霊によって言祝がれ生かされている。産み出した闇への敬愛を忘れることは無い。  光は懐深く慈愛に満ちた闇を滅ぼそうと戦いを仕掛け続ける存在であり、その眷属に対して無条件の信頼など持てるわけがないのだ。  それにひと族と言葉が同じということは、モノや人材のやりとりがあるということではないのか。  しかしひと族が、この異様な姿を受け入れるだろうか? あの者どもは、愚かにも自分たちを至上の生き物としているのだ。この奇怪な姿を受け入れるとは考えにくい。  ではいったい、どのような繋がりがあるのだろう。
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