40人が本棚に入れています
本棚に追加
瞳に散る金が、アルファの……予兆?
そんな話は聞いたことがない。
そう思いつつ心臓は強くひと打ちし、そのまま動悸が早まっている。顔にこそ出してはいないが、動揺してしまっている。これは良くない。
明るい蒼の瞳が細まり、黄金のアルファはふっと笑った。
「怯えたフリなどせずとも良いぞ」
「なんの、ことです」
フリなどしていない。このアルファに屈しているわけではないし怯えてもいない。喉が動き辛く呼吸し辛いが、人狼としての格の違いからくる本能的な怖れからくるものだ。
アルファは笑みを深め、柱の間で丸くなっているカイを示す。
「これがオメガか、と思ったが」
「はい? ちっ、違います」
「分かっている。そなたは一向に来なかった」
「え……?」
「秘すれども感じ取り、迎えに来るだろうと……七つの夜を待つも放置。これがオメガであればありえぬ。……そなたのオメガは郷に置いてきたか」
「そうではなく」
瞳に散る金の粒。興奮したときに見えるというそれに意味があるなど、今まで言われたこともないし聞いたこともない。まして私が次代のアルファだなどと、何を言い出す。
私はただ、我が番を幸せにしたいだけで自らアルファとして立とうなど考えていないし、確かに心のうちに思うものはあるけれど誰にも告げていない。
「精霊の望むところならば譲ろう」
「譲る……?」
「そうだ。そなたが黄金のアルファとなる。わが郷を新たに治めることを欲するか」
「いいえ!」
毛が逆立つ。
我が番のいないところで生きていくなど、考えられない!
「そんなこと望まない!」
「では何を望む」
豊かな響きを伴う声。私は目を上げ、薄い青を見返した。
「……のぞみ……?」
「そうだ。次代のアルファよ」
「だから! 違います私はっ!」
胸のうちに吹き上がるのは、黄金のアルファが勝手に決めつけていることへの憤り。さも当然のように言われる理不尽。
そんなことは知らない! 聞いたこともない!
我が番を幸せにするべく密かにアルファたる資格について調べていたけれど、我が郷の書物には、瞳の色が変わる、毛の色が変わる、そんな記述は無かった!
「ほう」
黄金のアルファは愉快そうに軽い笑い声を上げた。
「出たぞ。瞳に金が」
今。
私は興奮しているのか。
「能を隠すとは小賢しい。いや語り部らしいと言うべきか」
「……私はシグマです」
呼気で毛がそよぐほど間近で、金の人狼はフッと笑う。
「さもあろう」
いつしか息苦しさはなくなっていた。声も自然に出る。
……いや。匂いにも気配にも、まして顔にも表すな。胸の内を悟られるような迂闊を晒すな。
私は意識してゆっくりと呼吸する。心音を落ち着かせる。
そうだ。悟らせるな。呼吸や心拍で匂いや気配は変わる。落ち着いて考えろ。
私達がここに来た目的、それは……カイ筆頭がこの森で階位を得た時点で露見していたのかもしれない。いや、私達が筆頭を慕うカイと共に侵入した時点で露見していたと考えるべき。
つまり正面で問答したあの時には分かっていた。だが……そうだおそらくベータが。
私の瞳に散る金を見た。
あのとき、ひと族と同じように言われ、匂いにも出さなかったけれど私はひどく腹を立てていた。軽い興奮状態にあったとしてもおかしくない。
ベータが私の瞳を見て去り、代わりアルファが姿を表して私の目を覗き込んだ。あのときも金の粒があったのだろうか。
確かにこの郷では、アルファとなった人狼の毛が金色に染まるという記述はあった。秘されているわけではないのだ。精霊の為すことであり、秘したところで意味はない。
「……もしかして」
黄金のアルファは親について聞いた。
共に過ごした子狼のうち何匹かが、雄の成獣を指して、匂いが近いとか気配を懐かしく感じる、などと言うことがあった。それを聞いて、おそらくそれが親なのだろうと皆思った。けれど私はアレが親だろう、などと思ったことがない。知る限り我が郷には、白蜜の毛の人狼も瞳が紫の人狼もいない。
だがもし……この『黄金の郷』の人狼が、我が郷に番探しに来たとしたら。そして産まれたのが私だとしたなら……私がこの郷の特異を引き継ぐ可能性は……あり得るのか?
惑う心を現さぬよう心して、私は意識してにっこりと笑み、明るい蒼を見返す。
確かに眼の前のアルファは、見事に金色。アルファとなったときに染まったのだ。つまり、この郷のみの特異な現象で。
「良い。そなたが黄金のアルファを望まぬとしても」
金色の人狼が、嬉しげに声を低める。
「我が森の精霊が選びし人狼であるに変わりはない」
ふわりと、懐かしい匂いがしたような気がした。
「言うが良い。望みを」
気づくと私は、金の人狼に柔らかく抱きしめられていた。
「我が森の能う限り、叶えよう」
なぜだか心は穏やかに凪いで行く。
このアルファは信用してよいように感じた。理屈ではない、どこか奥底から宥められているような、そんな心地がしていた。
◆ ◇ ◆
カイを抱いて巣を出ると、寄ってたかって数匹の人狼に押さえつけられているルウが声を上げた。
「シグマッ!!」
「……なにを、しているのですルウ」
「すぐ出て来ないからだろっ!!」
「……暴れたんですね。待っててくださいと言ったでしょう」
「だってよ!」
次いで巣から出た黄金のアルファが、ルウを抑えていた人狼に手を振るが、人狼どもは離れない。おそらくルウは今にも飛び出しそうに全身に力を込めたままなのだ。離したらどこに飛びかかるか分からぬと、警戒しているのだろう。
「ルウよ、落ち着け」
黄金のアルファは、楽し気に喉を鳴らした。
「深き森の客人に無体はせぬ」
「なっ!」
黄金のアルファがいることに今更気づいたルウが、一瞬声を詰まらせたが、すぐに怒鳴った。
「長過ぎんだよ!」
「語っておった」
「かたってってって!?」
「有益な話が聞けました、ルウ。大丈夫、カイも眠っているだけですし、私たちは無事です。こちらのアルファのおかげで役目が果たせたんです」
「……はあ?」
気の抜けたような声を漏らすルウから、押さえつけていた人狼どもが離れていく。力が抜けたらしい。
「ルウ、良き人狼よ。我が郷に来ぬか」
「来るかっつーの!!」
「カイが目覚めたら、郷に戻りましょう」
にっこり笑いかけると、ルウは胡散臭そうに鼻を鳴らし、立ち上がると、私とカイの匂いを嗅ぎ、ようやく安心したように肩の力を抜き、私を見て。
半目になった。
「……おまえ、なに考えてんだよ?」
「なに、とは?」
「またなんか企んでんだろ」
「それはそうです。シグマは考えるのが仕事ですから、私はいつも考えていますよ」
私たちが話していると、カイ筆頭が黄金のアルファに呼ばれ、巣の中に入っていく。
「……おい、筆頭はどうすんだよ」
「黄金のアルファに、考えがあるようです」
「あ? なんだよそれ」
ルウが警戒したような顔になる。けれど匂いに変化はない。
「おまえ、マジでなにやった?」
「円満な関係を築きました」
「はっ! うっさんくせえ!」
鼻を鳴らしつつ、ルウはカラッと笑う。
「らしくなってんじゃねーよ!」
◆ ◇ ◆
私たちはベータから与えられた巣に戻るよう指示された。
ルウはカイを受け取って抱くように運びつつ先頭を進んでいるが、いつの間にかこの郷の若狼や若い人狼と盛り上がっている。
話を漏れ聞くに、人狼らしいルウの言動が好感を持たれていたらしい。だが他郷の人狼ということで遠巻きにするしかなかった。それがさきほど、黄金のアルファがルウを認める発言をしたことで枷が外れた、ということらしい。
巣に着いてカイを寝床に潜り込ませると、ルウはさっそく声を掛けられ、共に狩りをしようと誘われている。
「行ってきていいですよ。もう危険はないでしょうから」
「そっか? そだな!」
ルウはあっさり巣から出て行った。偵察の意味もあるだろうが、おそらくもうじっとしていられなかったのだ。
ルウはどこにいてもルウらしい、と呆れるやら安堵するやらでクスリと笑いながら、カイの身体の上に草を盛って暖かくしてやる。
カイの呼吸は穏やかだった。本当に安心して眠っているよう。
ほう、と息を吐く。
さきほど黄金のアルファから聞かされた。
この郷に探りはいないが、森には眠りを誘う大樹がある。森に一本しかないその大樹には大いなる精霊が棲んでいて、そのそばで丸くなると深く安らかに眠り、気配も匂いも薄まるが、目覚めた時疲れも病も失せているのだという。
もちろん大樹は動かせないが、そこから伸びる蔓を切り取ってアルファの業により生気を保てば、蔓を首と足に巻き付けることで、いかなる生き物であろうと深く健やかな眠りに落ち、目覚めた時精気に満ちている。
この郷で怪我などで衰えた人狼に施す業なのだという。
カイは今、その業により眠っている。
カイだけではない。この郷には癒しもいない。大工も樵も織りも一匹ずつしかいない。
そんなことまで晒されて、黄金のアルファを疑う気持ちは持てなかった。
であれば、理不尽に思えた決めつけも根拠があるとかんがえたくなる。
黄金のアルファは、カイをオメガと間違えた。私の番だと思ったのは、カイから私に向けた執着を感じたからだという。
とても強い結びつきを持つ特別な同輩、ということならルウもそう、カッパやデルタも同じであるように思うし、私に対して幼い頃からカイはずっと同じ態度だったのだ。私にとっては自然なことで深く考えたことはなかった。今まではそれで問題なかったのだが。
改めて言われて思う。確かにカイの言動は時々おかしいのかもしれない。
寝顔を見下ろしながら、改めて考えてみる。
もしかするカイの言動は時々おかしいのかもしれない。
……今後はそこも考えていくべきなのだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!