39人が本棚に入れています
本棚に追加
「次の月が沈むまでにはカイが目覚めるそうです」
狩りでストレス発散したのか、上機嫌で戻った戻ったルウに、黄金のアルファが言ったことを伝えたのだが。
「あの金色、いけすかねえ! 油断させて俺とかおまえとかカイとか、またとっつかまえんじゃねえのか!」
「ないですよ。そんなことしても彼らにメリットがありません」
「知るか! お前がそれでいいっつーんなら俺だけで見張る!」
譲る気のないルウの目を見返し、私はため息を吐いた。
月は欠けている。いくらルウが強靭で忍耐強い人狼でも、もうすぐ新月なのだから片時も眠らずでは厳しいだろう。
「交代にしましょう」
「いいよ! あと一昼夜くらい俺だけで!」
「あなたの思う通り危険なのだとしたら、集中が途切れる事態を避けるべきでは?」
シグマは太陽のもとで働くことも多いし、私はひと族と長く過ごしたので、月の見えない明るい空の元で働くことに慣れている。
「月が沈んだら私が見張ります」
「ああ~、そうだな! 分かった!」
吐き出すようにそう言うと、ルウは眇めた目を向けて来た。
「つうかお前! あの金色に従うなんて無いよな!?」
「はい? 何を言い出すんです」
「交代してる間にカイを売るとか……まさか金色に騙されてんじゃ!」
「そんなに単純ではありませんよ、あなたじゃあるまいし」
「はっ! そりゃそうか!」
それで納得したらしいルウが巣の前に立ち、私は寝床で穏やかな寝息を立てているカイのそばに座った。
考えるべきことは多々ある。
私は私の望みを手にするまで、片時も油断などしない。
◆ ◇ ◆
空が明るくなってきた頃、見張りを交代しようとルウに声をかけた。
「何者か近寄ってきましたか?」
「いや、なーんもねえ! つうか無さすぎだ!」
夜に活動するはずの獣の気配すらしない、とルウは言った。
「人狼が三匹もいれば、獣も寄ってこないのでは?」
「それにしたって、なんもなさすぎだ! この森、なんかおかしくねえか?」
「郷が変われば森も違うのかもしれません」
ルウは鼻で笑う。さすがにこの程度で納得はできないようだ。
「代わります。あなたはカイのそばに。いつ目覚めても安心できるように」
「わーってる、つの!」
入れ違いに巣の前に立ち、私は目を閉じて感覚を広げる。
警戒のやり方は子狼の頃から身についている。ルウほどではないけれど、私にだってこれくらいはできる。
けれどルウのいう通り、生き物の気配がまったくしない。確かにこれは普通ではない。そう考えつつ、警戒を緩めずにいたのに、風が動いた後に現れた人狼の気配をまったく関知できなかった。
声を上げてルウに報せようとした私のくちもとに、その人狼の指が押し付けられる。
「一応、音封じてるけどよぉ~、相手はルウだかんな~。デカ~い声はぁ、やめといて~くんねぇ?」
間近で囁いたのは、カイ筆頭であった農茶の人狼だった。
顔は薄く笑んでいるが、暗い緑の瞳に親愛の気配はない。攻撃的な気配も匂いもしないが、拒否したなら私に襲い掛かってくるかもしれない。そうなれば探り筆頭、階位の筆頭を任される人狼に私が敵うはずもない。人狼としての能力は、私よりはるかに高いのだ。
ましてここは他郷で、この人狼はこの森の精霊に言祝がれ弱っていた体は元通り、いやそれ以上に強くなっている。
どう考えても私の方が不利だ。
無言でひとつ頷くと、農茶の人狼は潜めた声で耳元に囁いた。
「黄金のアルファから命じられた。オレも共に郷へ戻るぜ」
いつものだらけたような口調ではなかった。
「オレは、オレに言祝ぎを授ける精霊に従う。文句は言わせねえ」
ハッとして見返すと、ニヤ~と笑う。
その顔は、以前の『カイ筆頭』そのものに戻ったかのようだ。潜めた声が続く。
「なんも言わんと戻りゃ~、俺ぁカイ筆頭だかんなぁ~。望みだかなんだか知らねえがぁ、手助けくらいはできるだろうよ、つ~こった」
それだけ言ってニィッと笑うと、人狼はフッと姿を消した、ように思えた。
おそらく飛び退ると同時に気配を消したのだ。
僅かな気配であろうとも、ルウならたとえ眠っていようが感じとって飛び出てくるだろう。けれど動く気配はしない。
ルウに何も感じさせずに、必要最低限の情報のみ告げて去る。凄まじい技量だ。感嘆のあまり、ため息が出た。
「……優秀な人狼だったんですよね、もともと」
それなのに、いくつもの冬を越える間アルファから見放されていたのだ。にも拘らずアルファの命を受けた時、あの人狼はひどく嬉しそうだったのだ。
アルファに従い務めを果たすことを歓びとする人狼の本能。それが薄れていく怖れと共に、あの人狼はアルファへの畏怖や敬愛も薄れていったのだろうか。
「いったいどの人狼が、あれを咎められるというのだ」
小さく独り言ちた私の周りの風が、動いた。
◆ ◇ ◆
月が昇った。
ルウが巣から出てくる。
「カイの様子はどうです?」
「ああ? あのまんまだよ! すっげ気持ち良さそうに寝てる」
「そうですか。では交代しますね。私がカイを見守ります」
「んだな! 起きた時おまえがいた方が喜びそうだしよ!」
「ではルウ、お願いしますね」
巣の中に入ると、カイの頭の位置が変わり、草の山から飛び出ていた尾が草の中に隠れていた。少し動いたようだ。
黄金のアルファが言った通り、目覚めが近いのだろう。
草をかき分け、幼い子狼のような顔で眠っているカイの頭の毛を撫でてやる。
ほんの幼い頃から、カイはいつも私の後をついて来た。いつしか私もカイを可愛いと思うようになっていた。一つ年上であるにもかかわらず。
カイはなぜ私をキレイというのだろう。
人狼にとって容姿は目印のひとつに過ぎない。匂いや気配とセットで覚え、個体判別をするためのものだ。ひと族と違い、美醜など重視しない。
だから私はカイ以外にそんなことを言われたことが無かった。
……我が番と語り合うまでは。
カイは、私にとって、いったい何なのだろう。
カイを撫でながら考えていると、いきなり外が騒がしくなった。
「おまえ! 何しに来たっ! コラ来んなよっ!」
ルウが怒鳴っている。もみ合う気配もする。相手がどの人狼かもすぐに分かった。
「なにしにってぇ~? 一緒に帰るんだよぉ~」
「はあ? 何言ってんだ!」
ルウの声が終わるのも待たずに、農茶の人狼が巣に入ってきた。
「……カイ筆頭、として、ですか」
「あったりまえじゃ~ん。つうか起きろよぉ、オレが迎えに来てやったんだぞぉ~」
いささか乱暴に寝床の中のカイを叩く。
さっきまで深く眠っていたカイは、ぱちりと目を覚ました。
「え。……ひっ、とう……?」
「お~う。一緒に帰ろうぜぇ~」
ぱちぱちと瞬きを繰り返すカイの目に、みるみる涙が溢れて寝床から飛び出し、カイ筆頭に首に抱き着いた。
「ひっとう……! ひっとう! ひっ、とおおう~!」
半分ひっくり返った、むせぶような声を出すカイをしっかり抱きとめた農茶の人狼……いやカイ筆頭は優しく撫でている。それを見たルウも、苛立たしげな表情のままだが何も言えずにいる。
「心配させて悪かったなぁ~、頑張ったなぁ~」
ひたすら声をかけ、撫で続けるカイ筆頭の表情は、今まで見たどの瞬間より優しく、誇らしげだった。
馬車で共に旅しただけで、我が子のように私に接したひと族の『夫婦』を思い出す。
―――そうか。
私は推察した。
カイが筆頭を慕うのは、それだけ情を向けられていたから、かもしれない。
この道のりを共に来た中で、私はカイの能力が優れていることを実感した。どれほど精霊に好かれているのかと感嘆したし、真に優れた人狼だと思った。
カイは幼い頃から邪険に扱われがちで、私はカイを守ったけれど、もう可愛がる対象とは考えられない。
人狼にとって重要なのは、いかに精霊に好かれているかであり、より深く好かれた人狼の能力は高い。若狼までは努力で能力を伸ばすものもいるが、成獣となればそれが顕著に表れ、人狼の価値となる。
けれどカイ筆頭は厳しく鍛えながらも惜しみなく情を降り注いでいたのではないか。二匹しかいない探りたちは互いに高め合い、無意識に慰め合っていたのでは。
ルウは呆れたような表情のまま、未だにカイ筆頭を警戒していることを隠さない。彼らの結びつきは、典型的な人狼であるルウにはとても理解できないものだ。
私ですら、共感はできないでいる。ひと族の中で冬三つを過ごしたからこそ推察できたに過ぎない。
人狼としてあるべき形、それは絶対的なものだと思っていたが、違うのかもしれない。
最初のコメントを投稿しよう!