5.黄金の郷 golden hamlet

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 すぐにあの郷を出るには最もこれが穏便と考え、私たちはどの人狼にも告げることなく、けれど森の正面から堂々と黄金の郷を出た。  とはいえ人狼が四匹、少し離れて付いて来る。尾行しているのだ。  警戒している気配も隠さないので、気付かれるのも織り込み済み、威嚇のつもり、あるいは『反省を促す』ためだろう。  ベータ筆頭は、私に『アルファに対して不遜』と言い、不快感を隠さなかった。人狼たちの半数は同じように苛立っている様子だったが、アルファ自身が私たちを認める発言をしたので、あからさまには手が出せないのだ。  きちんと筋を通して郷を発つべきだったかもしれない。  けれどベータ筆頭のやりようには腹が立っていたし、私もカイたちもあの郷の人狼との交流など皆無だった。郷の若狼たちと狩りをしたルウですら 「一回狩りに行ったけどな! そんだけだ!」  と言って、森の様子を教えてくれた。ずっと巣に押し込められて出歩けなかったから、偵察する良い機会と捉え狩りに出たのだろう。  特に世話になった人狼はおらず、強いて言えば黄金のアルファに聞きたいことはあったけれど、ルウの猜疑とベータ筆頭らの苛立ちを煽る結果しか見えないので、やめておいた。  私たちは郷を大きく迂回して、来た時と同じ場所で水の道を渡る。そこからはカイ筆頭の先導で山の裾野を進んで戻ることになった。  彼らが来たときの移動順路を把握しておきたかったのだ。カイ筆頭は休める場所や喰える果実の場所も覚えていたので帰路は順調だ。  そして私はルウに念押しをしていた。 「クィーナを感じたら教えてください」  あの山羊もどきにはルウが印をつけてある。ある程度近づけば、ルウにはどこにいるか分かるのだ。 「いいけどよ! なんであんな奴!」 「今後の為です」 「はあ? どういうこったよ!」 「シグマの仕事には他郷や周辺との交渉も含まれます。そのために私たちの影響を残しておきたいんですよ」 「う~、……シグマの、なんだな! まあいいや分かった!」  ルウは一瞬、匂いと表情に猜疑を乗せたが、すぐに納得した。割り切りと決断が早いのもルウの長所だ。  山の裾は水や食料も多くて人狼にとっては歩きやすく、速度も出せる。なにより樹木や草が多くて快適だった。範囲は私たちが歩いた中腹と比すれば広いけれど、カイ筆頭の先導があるのだ。  私はカイ筆頭の次に進みつつ、あの郷の現状について情報を得た。少なくとも私たちより多くの情報を持っているに違いないのだ。  それによると、どうやら水の道が暴れた影響は深刻なようだった。 「ガンマの森は何とか無事ぃ、みたいだけどなぁ~。獲物が減って、果実の生る木もたくさん流されたみたいだよぉ」 「確かに狩りに行ってもちっせーのが少なかった!」 「獣たちがたくさん我が森に逃れているのですから、少なくなっているのでしょうね」 「つうかさ! マジで森ん中かなり荒れてたぜ! でっかい獣も弱ってたぽかったし!」 「人狼たちにも被害があったんですか?」 「んん~、そこまではぁ、わっかんないけど~。オレが見た感じじゃ~子狼が少ないかなぁ~、とかなぁ。思った」  黄金の森で水の道が暴れた時、失われた子狼は少なくなかったのかもしれない。ただでさえ無事成獣になるのは三匹のうち二匹と言われているのだ。  人狼の感覚や本能は、教えられるものではなく経験から身に着くものであり、それぞれ違う能力を持っている。ゆえに子狼がひと形を取り始めると、何匹かで小さな群れを作って生活する。人狼として生きるための多くを身に着けるためだ。  とはいえ子狼は未熟で体力もない。  風や水に耐えられず、倒れる大樹に潰され、あるいは水に流されて、成獣なら容易に避けられることだが、子狼は失われてしまう。 「あの森は昔ながらのやり方をしっかり継承しているようでしたし、子狼だけで森に入ることも多かったかもしれませんね」  我が郷は人狼が多く、森の中いたるところに棲まいがあり成獣や老いたものがいるし、成人前の若狼も多い。若狼は階位に縛られないため、好き勝手に森を経巡っているので行動範囲が広いし、子狼より格段に能力は高いのだ。  だから子狼だけで生活していても周囲の人狼が匂いや気配を感じとり把握している。そして何かあれば他のなにを置いても救いに走る。 「昔ながらのやり方ってなんだよ」  私の後を進むルウが、不満げに話に入った。  そう、私たちの年代にとっては今の我が郷がすべて。あえて調べない限り、古き郷のありようなど知らないのだ。 「記録によると、古き時代の人狼は群れを大きくすることを好まなかったんですよ。多くの群れがあり、それぞれにアルファが起ち、群れ同士の抗争も多かったようです。敗北した群れは雌を奪われ、森の隅に追いやられたとか。だから群れの支配する範囲はわが郷のように広大ではありませんでしたし、森林(ラムダ)も置かなかなかったのです」  いにしえにおいて、ラムダとガンマは森に一匹のみ。いずれも群れに属さず、どの人狼も侵せぬ特別な存在だった。  そしてその頃の人狼は群れ単位で森を治める存在ではなかった。  人狼の多くは群れの為に戦う術を磨くことに専心し、それにより能力(ちから)を獲得していった。そうして今のような階位のある群れという形が出来上がり、群れで森を治めるようになったのだ。  その頃に磨かれ培われた(わざ)能力(ちから)は各階位に継承されているが、群れですべての階位を揃えていることは殆ど無いと記録にあった。 「けれど我がアルファは人狼を増やし郷を大きくすることを重要としています。私たちは子狼が失われることを防ぎ、大切に育てねばならない。すべての人狼が把握していることですよね」 「ああ! そりゃそうだ! 一番大切なことだろ!」 「ん。子狼、失われるの、悲しい」  ルウもカイも、当たり前のように頷いている。  実際、新芽の曙光が失われたときも、成獣の助けがあったから被害が一匹で済んだのだ。そうでなければ私たち皆が失われていたかもしれない。 「古いやり方と、我が郷のようなやり方、他にも郷ごとに違うやり方があるのです。郷において、何が正しいか決めるのはアルファですから」 「だな! うちのアルファが決めたんだ!」  カイもコクコクと頷いている。アルファが決めたのだから従う。人狼はそこに疑いを持たない。しかし私は疑問を持った。  ひと里で学び、古い書物を読み込むごとに、我が郷のアルファのやりようを『ひと族の群れに近い』のではないか、と思うようになっている。  古き記録によると、人狼の考え方は基本的に弱肉強食。闇と光のぶつかり合いの余波を受けて起こる強い風や雷、大水などて弱きものが失われても当然、と考えていたようだ。  けれどひと族は違う。そもそも種族として弱いし、幼いものはすぐに失われてしまう。おそらくひと族は、群れを大きくするために幼いものを守らねばならないのだろう。  同族殺しすら平然と行うくせに、幼いものを守り育む考え方が根付いているなど矛盾でしかないが、生き物としておかしいので矛盾も当然なのだろうか。  ただ私が僅かな得たひと族の知己は、みな知識水準が高く、裕福な者たちばかりだ。そのものたちは、幼きものを守り育むことを重要と考えていた。  アルファを信じ従うのは、人狼として当たり前のことであり、ルウとカイの反応は自然である。  しかしカイ筆頭は、薄く笑った表情のまま、何も言わなかった。    ◆   ◇   ◆ 「おー! いたぜ!」  ルウが声を上げ、私は頷いた。クィーナを見つけたのだ。 「行きましょう。カイも来ますか?」 「んーん。筆頭と、いる」 「分かりました。すぐに戻りますから進んでいてください」 「りょ~うか~い。なんか知らんが頑張れ~」  だらけた声と動作で私たちを見送り、カイたちは裾野を進んでいく。あえて気配を殺さず匂いも発散しているのは、陽動をしてくれているのだろう。  ルウが率先して駆け上がる崖は、最初に登った急流沿いの断崖よりはるかに登りやすかった。ところどころに樹木があり、根を張っているのだ。さらに何夜も動き続けたことで、私も少しは勘を取り戻したようだ。枝や根を蹴りつつ遅れること無く登れた。  やがてルウは、獲物に近づくときのように気配を押し殺す。私も倣い、気配を薄める。王都で日常的にやっていたことなので慣れたものだ。  ルウが止まり、仕草で先を示す。  崖を軽やかに登っていくクィーナがいた。  山のものは皆似たような姿だと聞くが、ルウが齧り取った耳が欠けているし、匂いも間違いない。  ルウに待つよう仕草で示すと、面白そうに牙を剥いて笑いつつ頷いた。  私は高く飛び、背後からクィーナに躍りかかる。腰に蹴りを見舞い、体勢を崩したクィーナの背にまたがって両手で角を掴んだ。 「ひっ! なっ、なっ……!」  脅えた匂いをぶわっと噴出すクィーナの角をグイッと引き、私の方を向かせて、にっこりと笑いかける。 「お久しぶりです」 「あっ、えっ」 「ルウじゃなくとも、これくらいはできるんですよ」  クィーナはルウばかり警戒し、明らかに私とカイを侮っていた。  なにかあったとき、ルウを連れて行かないと言うことを聞かないようでは困るのだ。 「これから頂の祠へ向かうのですか? 私たちも連れて行ってください」 「いっ、いや、ダメ、無理、ダメだって!」 「おや、どうしてですか? できますよね?」 「だっ、だって!」  私は爪を耳元に立てる。  先を齧り取られた耳の根元から、臭いにおいの血が流れ出す。 「いたっ! 痛いよ! やめて!」 「おとなしく連れて行ってくれればいいんです。私が乗っていても登れますよね?」  だがクィーナはなかなか踏み出そうとしない。 「そこには他の山のものがいるんですか? 私が行けば、皆が怖れますか?」 「いっ、いない……おいら当番……」 「では問題ないでしょう。さあ、行って?」  渋る様子を見せていたが、角を掴んでグイッと頂の芳香へ向けると、クィーナは駆け登り始めた。思ったよりあっさり動いたので少し驚いたが、さすがに登る速度は速い。  とはいえルウもつかず離れずついて来る。こちらもさすがと言うしかない。 「こっ、ここだよっ!」  『頂の祠』は驚くべき場所だった。緑に覆われていたのだ。  山頂近くのこの場所に、滾々と泉が湧き出でている。どこから水が来ているのか分からないと思いながら、クィーナにまたがりながら周囲を歩く。 「驚きました。この水はどこから?」 「しっ、知らないっ! 我らの山(モンサクル)山羊族(ペルカプル)にくれた、んだ!」  緩やかな傾斜には豊かな水が行き渡っているようで、背の低い緑の草が生い茂り、背の低い果実の生る木もある。小さな獣の気配も感じられる。  人狼の治める森には遠く及ばないが、乾ききっていた山肌に比べるとずいぶん豊かだ。 「なるほど、ここで食料を得るのですね。頂の祠の役務とは、ここの世話ですか?」 「あっ、あと見張り、も! よく、見えるから!」  確かに見晴らしも良いのだろう。  彼らの言う『頂の祠』が泉の湧き出ている位置だとすると、そのの上に岩が棚のように突き出している。あそこに登れば遠くまで見通せそうだ。 「おいらはっ、目がいいから! 役務にっ!」 「そうなんですね」  そういえばそんなことを言っていたなと思いつつ、私はにっこりと笑いかける。 「では、今後私を見かけたら降りてきてください」 「えっ!? ええっ!?」 「降りて来なければ私がここまで来ます。あなたの仲間がいれば、喰らいたくなるかもしれません」 「ええっ!! 喰わ、喰わないって……!」 「そうですね。あなたが私の役に立つなら、山のものは喰らわないと誓いましょう」  そう言うと、クィーナはガックリと肩の力を抜いて頷いた。
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