6.策略 tactics

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「そうだ、おまえ! 何を企んでいる!」  アルファが私に向けるまなざしを細めた。  オメガはバカだが守り(ミュウ)筆頭。  郷とアルファを守るミュウが危険視することで、アルファが私に疑いを向けては面倒だ。   「……企むも何も、私が何をしたと?」  焦り始める心を抑え、私は苦笑で首を振る。匂いにも気配にも出してはいけない。  ミュウは私を睨みつけたまま、アルファを守るように前に出た。大柄なオメガの体躯がアルファの濃茶の眼差しを遮る。 「私はアルファの命で他郷へ赴いて務めを果たし、報告に参じたまで」 「白々しい……!!」  こいつ(オメガ)はバカだが郷とアルファを敵から守り、警戒する階位の筆頭。なにかしら私に対して感じ取ったのだろうか。しかし郷を出る前は、こんな態度ではなかった。一体なにをもって私を危険視した?  ミュウの言祝ぎにより与えられた能力、ミュウの加護が私の望みを嗅ぎ取ったのか?  いいや、私の望みは以前から変わっていない。今になってこの態度は解せない。  では黄金のアルファとのやり取りか?  いいや、ありえない。共に赴いたルウですら知らないこと。あの郷の人狼にすら知られることのない会話だった。  ならば、なんだ? 「私だけでなくカイたちと、このルウも共に行動したのです。……それをアルファに報告したいのですが」  私は戸惑いを隠さず、笑みでオメガに尋ねる。焦りなど感じ取らせないよう自分を抑え込んで。  匂いも気配も抑える方法は王都での生活で身に着いているが、これは探り(カイ)でもない限り、人狼ならやらないことだ。匂いと気配を顕わし誇示することは、ある意味、人狼としての存在意義証明のようなものであり、抑えるなどありえない。まして蔑視する語り部(シグマ)ごときにできるなど、このバカには考えつかない筈。 「そのよく回るくちを閉じ、すべてを露わにしろ!」  わざとらしく溜息をつくと、隣にいたルウがドスンと肩をぶつけて来た。 「おい、報告したら帰れるんじゃねーのかよ!」 「そのつもりだったんですが……」 「何してんだよ、さっさと報告しろって! 早く番のとこに行きてーんだけど!」 「なら報告はルウがしろ! おまえなぞ信用できぬ!」  オメガが怒鳴り、ルウは呆れた声を返す。 「はあ? 俺が? 何で!」 「カイでも良い! 報告してさっさと出て行け!」 「……オメガよ」  ざらついた声に、オメガはくちを閉じたが怒気は私に向けられたままだ。 「抑えよ。まず報告を聞かねばならぬ。下がれ」 「……はっ」  従順にアルファの後ろへ退いたオメガは、しかしまだ私を睨みつけている。  アルファが低い声で問う。 「ルウ、おまえが報告できるか?」 「だーから! 山通って水の道渡って、援助するつったら閉じ込められたんだよ! んでカイ筆頭見つけて帰ってきたの! それで終わり! 行っていいか?」 「カイ、おまえは」 「オレは~ぁ、逃げ回って捕まってぇ、帰っていいって言われただけだよぉ~」 「おれ、ひっとう探して、た。別行動」  カイたちが言うと、アルファは眉間の皴を深くする。 「……シグマ。順を追って報告せよ」 「はい」  礼を示すと、アルファの背後にいたオメガがビクッと身を震わせ、向けられていた怒気が静まっていく。アルファが何かしたのだろうか。頭の片隅でそう考えつつ、私は威儀を正して報告を始めた。 「カイが、筆頭の気配は分かるけれど酷く弱っていると言うので、山を下りてから別行動することにしたのです。カイは筆頭を探して保護。私たちはカイの行動が露見しないよう攪乱する意味も含めて正面から郷に入り、援助を申し出ました」  そこからは、ほぼ事実に添って時系列に従い報告していく。しばしばアルファからルウに確認の言葉が向けられたが、躊躇なく同意するのを見て、やがてアルファは確認することをやめた。 「ふむ。それで援助は必要ないと?」 「はい、向こうの郷のベータ筆頭がそのように。私たちが見ることのできた範囲は広くなかったですが、森は荒れているように見えました」 「それだけか?」 「ひどく警戒していて、私たちが森を歩き回ることはできませんでした。ルウは郷の若狼たちと狩りをしていましたが」 「おう! 閉じ込められてたから動きたくてな! 獣とか弱ってたから大して面白くなかったがな!」 「オレは森の中逃げ回ってたけど、森はだいぶ荒れてたよぉ。子狼が少なかったかもね~え」  アルファは少し目を伏せ、何かを考えこむ。しばし沈黙が落ちた部屋に、やがてざらついた声が響いた。 「ベータ筆頭を呼べ。そなたらは巣に戻るがよい」 「しかしアルファ!」  アルファの背後で声を上げたオメガは、しかしすぐにビクッとして口を閉じる。 「我を思うそなたは可愛い。だが我がオメガ、守り(ミュウ)はおいそれとくちを開かぬものだ。この場においてくちを噤むことを覚えよ」  振り返りもせず言ったアルファの背後で、オメガは大柄な体躯を少し縮め、真一文字に口を引き締める。  私たちはそれに気づかぬふりを決め込み、礼を示してそこから退出した。   ◆   ◇   ◆  呼び出されたベータ筆頭は、アルファの部屋にオメガもいないのに気づいた。アルファと二匹だけだ。  こういうとき、アルファは共に遊び学んだ同輩として接することを望む。ゆえにベータ筆頭はあえて礼を顕わさず、共に床に座り込んで鼻を突き合わせるように話していた。 「ふうむ。報告通りとしたらきな臭い。なにが起こっているのだ」 「分からぬ。だがオメガがあれほど警戒していたのだ。あのシグマには何かあるやもしれぬからな、すべて呑み込むわけにはいかぬ」 「ならば一度、調べさせては?」 「調べさせる……探り(カイ)にか? しかし……」  ベータ筆頭は頷き、ニヤリと笑った。 「カイ筆頭の気配が薄れたゆえ、言祝ぎを呼び戻すべく重用してはと言っただろう」 「確かに同意したが、だいぶ衰えているようだ。今あれにやらせても力足らずではないか。一度捕らえられているのだぞ」 「いや、カイ二席がいる。共に行動させるのだよ。ずいぶん筆頭を慕っているようだし優秀と聞く」 「ふむ。優秀な下位を育てたことは、あれの功績だ」  なぜこのアルファが探り(カイ)を使わなかったか、ベータ筆頭はその理由を推測していたが、くちにはしない。そしてアルファは覇気を顕わさず、躊躇っている。こういうときは背中の一押しが有効であると、長い付き合いから分かっていた。 「報いるに仕事を任せるのが一番では」 「それで精霊の言祝ぎが戻るやもしれぬ、か……」  アルファは眉根に皴を寄せ、深い溜息をついた。  カイ筆頭に対する助言に耳を貸したのは、優秀な人狼の言祝ぎを奪う結果になったことを後悔しているからだろう。  それでも迷いがあるのは、働きを信用していないから、ではないか。  つまるところアルファはベータ筆頭、そしてオメガ以外を信用していないのだ。いやそれに対してさえ、全てを(つまび)らかにしていない。それゆえにオメガが暴走しがちであることも、ベータ筆頭にとって憂患の一つである。  前代からアルファを引き継いだとき、人狼たちはその雄大な気配に地に伏せたが、前代と比較する者もいた。  ベータ筆頭にとっては唯一のアルファであったけれど、老いたものや年を経たものにはそうではなかったのだ。 『七十の冬を越えるほど長きに渡って君臨した前代と成りたてのこのアルファでは、正直比較にならない』  などと囁く声も少なくなかった。それまで(デルタ)であったことも遠因だったかも知れないが、おそらくそれゆえにアルファは郷の人狼たちを信用せず、独自に掃除屋(プシイ)を使っている。プシイは、郷も精霊も関係なく、アルファの利になることの為にのみ動く。アルファのみに仕えるものと言われている。  アルファは郷の外に出られないはずなのに、ときおり姿を消す。そして知りうるはずのない郷外の情報を豊富に持っている。あの(・・)シグマに関しても、アルファは独自の情報を持っているようだった。  探り(カイ)を使わずに、どこからそれを知り得たか尋ねても、アルファは答えない。言わないものを追求するのは、アルファに従順たるべきベータ筆頭としてできないこと。ゆえに推測したのだ。    とはいえプシイは実在するのかすら怪しい階位だ。郷の正当な階位なのか否か、全てのアルファがプシイを持つものなのか、どのような言祝ぎを受けるのかも、ベータ筆頭には分からない。(まみ)えたことも無いが、プシイがアルファにとって使い勝手の良いものだろうというのは容易に推測できる。  『はぐれ』を装ってどこの郷へも入り込み、命じられれば同族殺しすらも厭わず、どんな手を使っても『掃除』する、唯一汚れ仕事に手を染める人狼……いや。  『精霊から言祝ぎを受け、精霊の為に生きるもの』が人狼であるとするなら、プシイを人狼と言っていいものか疑問だ。    なぜこのアルファがプシイを使うのか。能力を実際以上に大きく見せたかったか。弱みを握られるのを厭うたか。それともアルファとはそういうものなのか。正確なところは分からないままだ。  ともかく、おそらくアルファはカイに調査を命じ、同時にプシイも動かすのだろう。 「……務めを授けよう。カイを呼べ」 「はっ」  予測通りの言葉に僅か動揺した己を隠すべく、畏まって礼を示すと、アルファはニヤリと笑い、ベータ筆頭の肩を親し気に叩く。 「皆の前ではそれで良い。だがここでそれは止めよ」 「切り替えが難しいですな」  ニヤリと返すと、アルファは喉奥を鳴らして愉快そうに笑った。 
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