31人が本棚に入れています
本棚に追加
/81ページ
光が猛威を振るう夏が過ぎ、森は恵みの季節に入った。
色づいた木々は果実を実らせ、木の実は栄養を溜めこみ、土を掘れば芋などが肥えている。恵みをたらふく腹に収めた獣は、冬に備えて身に脂を纏い、さらに多くを喰らおうと森を駆け巡る。
肥えた獲物は狩りが狩る。果実や芋などを集めるのは採取の仕事だ。
しかし恵みの季節に限っては、若狼や子狼や老いたものどもも森を経巡り恵みを集める。そうでもしなければ集めきれないほど、恵みが豊かに実るからだ。
恵みの季節の森では、成獣も階位に添った仕事を全うするだけではなくなるが、それでも大工は巣を作るし樵は木を伐る。織りは布を織って衣を造り、細工師は器や道具を作る。
だが今回はアルファの命を受け、階位を問わず成獣である無しも問わず、郷の人狼すべてが森に散った。
採取する為だけではない。狩りをするる為だ。
『水の道向こうで知らぬ獣が森を食い荒らしている。何とかしろ』
そう森林が樵へ伝えてきた。
デルタはそれをアルファに伝え、アルファは『知らぬ獣を狩れ』とすべての人狼に命じ、シグマは手分けして森すべてへ広めるため散った。
シグマのうち何匹かは、何故そうも慌てるのかと疑問をくちにしていたが、私には分かった。黄金の森から流れて来た獣どもを狩るのだと。
森を駆けながら、私は考える。
水の道向こうの森には、黄金の森から渡って来た多くの獣がいる。
黄金の森と我が森を隔てる水の道は、幅広く流れも速かった。そこを渡って来た獣であれば、早晩水の道を渡ってこちら側の森にも入って来るだろう。
ルウは言っていた。黄金の森は荒れていて、獣も元気がなかったと。つまり獣どもは飢えていた。だからこそ急流を越えたのだ。おそらく必死に……渡れず流された獣も多かったはず。
身を削ってこの森に来た渡った獣どもはひどく飢え、我を忘れて恵みを食い荒らしている。我が森の精霊と通じていない獣どもが好き勝手に食い荒らせば、次の季節に恵みが齎されなくなるかもしれない。
果実や芋には採り時というものがあり、タウは精霊に問うてその時期を正確に知り、次の恵みの季節まで置いておくべきものは採らない。
つまり精霊は、見境なく恵みを食い荒らす獣どもが我が森に在ることを望まない。
森林が報せてきたのは、そういうことだろう。
ゆえに我らは急ぎ飢えた獣どもを落ち着かせる、あるいは殲滅せねばならない。だがただでさえ我が森は広いのだ。せめて水の道を渡る前に対処せねば、狩り尽くすのも難儀になる。もし我が森に残ることを望む獣がいたならば、精霊と人狼に従うよう教え込まねばならない。
私は採取に回らず狩りをしようと心に決める。
語り部は、考えず従う人狼の中で考えることを務めとする階位であり、人狼として特殊。殆どの人狼は、能力が低いものがシグマに選ばれると思っていて、あからさまに侮蔑を向けられることも少なくない。
そのシグマが見事な狩りをしたなら……ベータ三席辺りどんな顔をするだろうと想像して愉快な気分になりつつ、私は森を駆け巡り報せを伝える。
それでもやはり私はシグマであり、考えることを止められない。
特殊と言えば、しばらくぶりに耳にした森林は群れぬ人狼で、これも特殊だ。
群れぬといえば精霊師だが、“ガンマの森”から出て来ない上に精霊にのみ従いアルファをないがしろにするので、特殊というより異常。だが同じように一匹しかいない森林は異常ではない。
ラムダは番も棲まいも持たない。一匹でただ森を経巡り、木々や草花の声を聴く。そういう加護を与えられているのだ。
ときおり樵や大工に意思を届けると聞くが、私はどのように届けるか知らないし、ラムダの姿は見たことも無い。ほとんどの人狼がそうだろう。
常に森を経巡っていて群れることは無い階位だけれど、ラムダを悪しざまに言う人狼は存在しない。木々や草花の意志を拾えるのはラムダだけであり、森を守ることは何より大切だからだ。
まあ、姿を見ないのでラムダの存在を忘れている人狼もいないとは言わないが。
群れないといえば、探りもそうだ。
単独で探りに出る階位であるからだろう、常から単独で狩りを行い、獲物に余剰が出れば燻し肉にしてしまう。果実や木の実も独自の手法で加工し、持ち歩けるようにするのだ。
黄金の森への途上で、カイがぽつぽつと話すのを聞いて知ったことだが、糞尿の臭いを消す草や、存在を誤魔化す道具など、カイ独自のさまざまを常備しているらしい。あくまで森の外へ出ることを念頭において生活しているカイは、やはり特殊なのだと再認識した。
そもそも人狼は匂いと気配で我が身を誇示するものだが、カイは気配や匂いを抑える術に長け、自らを誇示することが無い。
また人狼は群れで行動するもの。ゆえに今回のような場合でも、五匹から七匹ほどの小さな群れをつくり行動する。子狼でさえ気の合った同士で小さな群れを作り、得たものを共有する。獲物は群れのものであり、ルウの運ぶ獲物を最初に喰らうのはアルファ。それが人狼の常識だ。
―――常識、か。
森を駆け巡って報せを届けながら、私は苦笑する。
私自身、人狼の常識からは外れている。
まだ若狼だった頃、成人の儀を受けるまで。
私は、自分も精霊に言祝がれ、階位と共に加護を与えられるのだ、と信じていた。その日を心待ちにし、どの階位に選ばれようと精霊の為、森の為、群れの為に働こうと、希望に胸を膨らませていた。
そして受けた階位が語り部だったことに呆然とし、怒りとも嘆きともつかぬ感情に襲われた。
なぜだ?
私は走るのが早い。誰より高い位置の木の実を採れるし、狩りだって得意だ。なのにどうして……私がシグマに……!?
その時感じたのは、理不尽、憤り。
しかし階位は絶対だ。精霊が決めるのだから。
精霊の言祝ぎに疑いを持つなど、人狼としてあってはならぬ。
だがシグマとなった人狼なら一度は『なぜ自分が』と考えるのではないか。
私自身シグマを侮蔑していたことに、そこではじめて気づいた。何の加護もない人狼らしからぬ階位だと、無意識に軽く見ていた。だからこそ感じた憤り。
そして気づいたもう一つ。
いつのまにか人狼の常識を刷り込まれ、そこに疑問を持たなかった、私自身への疑問。
私は、人狼としての『常識』をそのまま信じてよいか疑うようになった。そしてそれまで以上に考えるようになった。
精霊とはなんだ?
―――ひと族を除くすべての生き物に宿るもの。
人狼とは?
―――闇により産み出され、精霊と共に森を治め守るよう命じられたもの。
精霊と共に在ることは歓び。
……それは本能として植え付けられていて、私はやはり我が森の息吹と匂いに歓びを感じてしまう。
疑いを持ち考えるのは頭。私は頭で考え、常識を疑う。
だとしたら歓びを感じてしまう本能はどこにある?
……私は考えに考え、推論を立てた。
生き物に宿り、本能として情動を支配する。それが、精霊なのかもしれない。
◆ ◇ ◆
郷中に報せ終えたのち、シグマの建屋で狩りに出ると言ったのだが、案の定、他のシグマは狩りには出ないと言った。
「好きにしろ」
「我らは行かぬ」
見送られたその足で向かったのはカッパの棲まい。番のタウにも共に狩ろうと誘うと、ならあいつらも、と集められたのがデルタとカイ。かつて若狼だった頃つるんでいた連中だが、ルウともう一匹のタウはいない。タウは番と行動すると分かっているし、狩りとして働くだろうルウも誘わなかった。
そしてカイが誘った筆頭も加わって、私たちは獲物を求めて水の道を渡る。
「群れでの狩りってやんないんだけどねぇ~」
「今回は手あたり次第みたいですし大物や群れを狙うのでないならお好きに。けれど狙うときは合わせてもらいます」
「ん~、仕方ないよなぁ~」
水の道向こうの森に入ると、みな狼の形を取り、樹間を疾駆した。
「おまっ! うっそだろっ!」
「はっやー。いつ鍛錬してたんだよー」
カッパとデルタが声をあげつつ私を追ってくるが追いついていない。二匹より少し近くにタウがいて、意地になって走っているのが分かる。
そして
「ずぅ~いぶん張り切ってンなぁ~」
「ん。そういうの、いい」
カイ筆頭とカイがぴったりついて来る。
「大物からやりましょう」
ここまで狩った中で、大型の獣は高い位置の実も喰らうので厄介と判断し、大型の獣を先に潰そうと指示を出す。皆から同意が返ってすぐ、少し先に草を貪る鹿に似た大型の獣がいるのに気付いた。
「三匹、いる」
「ですね。お先に!」
「張り切ってるねぇ~」
カイが呟くと同時、私は速度を上げ獣へと飛びついた。喉笛に噛みつき、迸る甘露のような血流を感じつつ顎の力を強める。空気の漏れたような鳴き声が耳に響き、顎を緩めずに首を振る。首の骨が砕ける感触と共に、獣は動きを止めた。
カイ筆頭とカイも、獣の喉笛を噛み千切っている。
追いついた皆は、カイの仕留めた獣の足がバタバタうるさく暴れるのを切り裂く。カイ筆頭が仕留めた一匹は、デルタが心臓を潰し、濁った血が巡るのを防いでいる。
獣から徐々に命の息吹が消えていき、タウは切り裂いたはらわたを見て眉を顰めた。
「だいぶ喰らってるね」
「うわっ、腹パンパンじゃん!」
タウが悔しげに唸る。
森の恵みをだいぶ喰らっていたようで、はらわたには消化しかけの果実や木の実がたくさん詰まっていたのだ。
「くそー、うちの郷の恵みー」
「まだ若い実も喰らってる。なにしてくれるのよ、もう」
皆で仕留めた三匹のはらわたをガツガツと喰らう。狩る獣が多いのと、我が森の精霊が宿らない獣は、すぐに腐るから、はらわたはその場で喰らってよいことになっている。
はらわたをキレイに喰らうと、カッパとデルタが三匹を軽々と持ち上げ、水の道沿いに置きに行く。そうしておけば、老いたものが広場へと運ぶ。老いた雌は燻し肉を造り、細工師や織りが皮を剥ぎ、角や骨を洗って使えるようにする。
「まだいます。急ぎましょう」
「ん」
「ゼッタイ許さないんだから!」
唸るような恐ろしい声を漏らすタウが飛び出し、樹の間を飛び交っている猿に似た獣に狙いをつける。あれは少し知恵があり、梢に近い実まで喰らうから、あれも厄介だが、気配に敏感なので潜んで近づく必要がある。
しかしカイ筆頭とカイは、獣に気づかれること無くするっと背後に回り、頭を潰して次々息の根を止めた。次々と十匹以上が落ちて来る。
戻って来たカッパとデルタも一緒にはらわたを喰らい、今度は型が小さいからタウが水の道へ運ぶと言ったが、戻って来たカッパによると屍は水の道の脇に山と積まれ、老いたものどもが、とてもすべて喰いきれぬと判断して樹間に穴を掘り、埋めたという。
それを聞いたタウは、番のカッパと鼻を擦りつけ合いながら、鋭い目で命じた。
「あんた、ゼッタイ許さないで! あいつら全部潰していいから!」
「まかせとけっ!」
私たちもはらわたを喰らわずにその場で埋めることにした。
カッパやデルタは力自慢で足は早くはない。その分樹の幹を振り回して獣をぶん殴ったり、土中に潜って逃れようとする獣を掘り出して潰したりと力任せに獲物を狩るのだが、内臓が潰れて肉はマズくなるし毛皮は使えないので、いつもなら大樹を揺すって獣を振り落とすとか落とし穴を掘るとか、追い込み役などする。しかし今回は喰えなくとも良いのだ。潰しても構わない。
カッパとデルタに穴を掘らせ、腹いっぱいに恵みを喰らった獣を蹴り落としつつ、すがすがしいほどの笑顔でタウが言った。
「こうすれば、果実や木の実もいくつか芽吹くかもしれないね」
郷の人狼殆どが渡った水の道向こうの森で、知らぬ匂いや形の獣が狩り尽くされた。
多くの獣は水の道を渡ることなく屍となったのだ。
最初のコメントを投稿しよう!