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黄金の郷やカイ筆頭など胸に滞るものはいくつかあるままだが、久しぶりに思いきり狩りをしたので、気分は少しせいせいしていた。
スッキリしたとまでは行かないとはいえ、やらねばならぬことは進めていく。
月が中天に懸かる少し前。私はアルファの館近く、広場の隅に在る庵にいた。
ここは子狼たちへ語り聞かせ、子狼たちに郷の人狼となるべく知識を授ける場である。
語り聞かせを主に担当するシグマ二席に仕事を覚えたいと願い、くちを出さぬように厳命されたが、陪席を許された。
森に散って仲間で生活している子狼たちも、この時ばかりはここに集まってシグマの声に耳を傾ける、ことになっている。
「皆、神話は覚えたか」
「はい! 覚えました!」
「あたしも覚えたー」
「え、え?」
「zzz……」
「えーっとー」
けれど学ぶことに熱心な子狼ばかりではない。
むしろそうではない方が多く、眠りこけているのもいる。子狼たちの殆どはじっとしているのが苦手だ。
「……ふうむ?」
「……よく分かんない」
「難しいよ~」
返る声に、シグマは難しい顔を向ける。
「ええ~、ちゃんと聞いてたら難しくないよ!」
「バーカなんじゃない?」
「だって! 狩りに関係ないし!」
「そうだよ、覚えなくても困んないだろ!」
「りっぱなせいじゅうになれないよ!」
「おまえたち、狩りにも採取にも関係はあるぞ」
シグマは言い聞かせるようにくちを開き、子狼たちの頭をポンポンと順に叩く。
「光の眷属と闇の恵みを受けるものは、すべからく違う。それは知るべきなのだ」
「ええー」
「眷属どもと我々の違いを知っておかなければ、森の恵みを集めるにも、狩りにおいても危ういことになる」
「でもでも、知らなくても狩りはできるって」
「そんなの誰が言ったの?」
「鉄色の兄ちゃんが言ってた!」
「あれ、バカでしょ」
「ちっげーよ! すっげえ狩りうまいんだぞ」
「おまえたち。危険に近づかぬことが肝要なのだよ。ゆえに知らねばならぬ」
シグマが低い声で続ける。
「もう一度語ろう。よく聞くのだ」
抑揚をつけた低い声で、闇と光が争った太古にあったことを、改めて語り始めたこのシグマは、話し方こそ硬いけれど、どんなに子狼が騒いでも低く柔らかく語る声を荒げはしないし表情も柔らかい。だから子狼たちもこのシグマに対して気安いのだ。
神話の語り聞かせはしばらく続いた。何度も聞く話だからだろう、質問をくちにするものは無く、子狼たちは……何匹かは眠っていたが、静かに聞いていた。
だが彼らの我慢は、そう続かない。やがてもじもじと体を動かし始めたのを見て取り、シグマが書物を閉じる。
「今宵はこれで終わりだ」
それを見計らったような声が聞こえると、瞬く間に駆け出していき、それを見送って溜息を吐く二席と私の二匹だけが庵に残った。
私はカイから譲り受けた茶を水出ししたものを差し出して労う。
「ほう。気が利くな」
「やはり、大変な仕事ですね。根気が必要だ」
シグマ二席は椀を受け取りつつ口元を緩めた。
「うむ。しかしやらねばならぬことよ」
「神話はすべての基本ですし、重要なことです」
「さもあらん」
「私も多くを学ばねばなりません」
「然り、然り」
香りのよい茶を啜りながら機嫌よさげに頷く上位に、世間話を仕掛ける。
「そういえば、次代のアルファが自分だと言っている若狼がいるとか、以前聞きましたけれど。それも神話が分からないからこそ、出る言葉ですよね」
「然り。アルファの子だから次代のアルファだ、などと一体誰に吹き込まれたものだか」
「そろそろ成人の儀でしょう?」
「ふむ。この冬である」
「階位を受ければ成獣です。そうとなれば言うことも変わるのでは?」
「さてな。そう望みたいものだ」
神話を聴く子狼の中には、アルファとオメガの幼い子がいた。ひと形を取り始めたばかり、まだ幼狼と言って良い雄と雌だ。この二匹は同時に産まれたらしいが、毛の色も目の色も違って、あまり似ていない。
外見、匂い、気配。それらは固有のもので、親に似るというのは聞いたことが無い。なにせ殆どが自分の親を知らないのだ。
受ける階位は親のいずれかと同じことが多いという話もあるが、あくまで噂で信憑性は薄い。
人狼は孕みにくい。けれど冬の発情の季節に孕めば、三月ほどで二匹か三匹の幼狼を狼の形で産む。産まれる幼狼が一匹だけというのは稀だ。
三歳までにはひと形を取れるようになって、十歳くらいまで狼に変化できぬまま、ひと族の十歳~十三歳くらいの姿となる。そうなれば親の巣から離れて仲間と小さな群れを作り、狩りや採取をして群れることを肌で覚え、人狼としての感覚を養うのだ。
成長し、満月前後のみ狼に変化できるようになると、ひと族の十八歳くらいの姿となる。成獣となる十八歳ともなれば、ひと族の二十四~六歳くらいの見た目となって、そこからひと形の姿はあまり変わらない。老いても四十歳前後の見た目になる程度だ。
そして皆、自らを産んだ狼、つまり親との接点など持たないし、幼い頃のことは忘れてしまうのだ。私自身どの人狼が親なのか覚えていないし共に産まれた狼がいるかいないかも知らない。
ひと族は年をとっても親子や家族という繋がりで共に過ごす。
始めの頃、私は違和感が拭えなかったけれど、学びを重ねるうちに納得できた。
あの者どもは精霊と繋がりを持たぬからか、力も体も弱い。同族同士で殺し合うことも多く、簡単に失われる。特に幼いものや雌は、あっけないほど簡単に儚くなる。ゆえに繋がりが必要となるのだ。
『家族』という小集団を作って幼いものや弱い雌を守り、己の子孫と財を増やす。
そのように子孫を守ることに知恵を使うからこそ、あのように際限なく増えるのだろう。
茶を飲み終える頃、高揚した騒々しい気配が近づいて来るのに気づいた。大物でも仕留めたか、狩りを終えたルウたちが興奮を隠さず駆けているのだ。
気配はまだ遠いが、ルウたちは足が速い。すぐに広場へ至るだろうから、獲物を処理する準備を始めるのだろう。
気づいた若狼の何匹かが老いたものに伝えているのが目に入る。
チラと目をやったが、二席はまだ気づいていないようだ。私は知らぬ顔で茶の始末をして庵を出た。
広場では、今さっき飛び出していった子狼たちが駆けまわっていた。そのうち二匹は漆黒の毛を持つ若狼にじゃれついている。嫌な顔せず遊んでやっているが、人狼に漆黒は珍しいので、とても目立つ。
あれこそ先の話題に出た『我こそが次代のアルファ』と自称している若狼だ。アルファとオメガの間に産まれた最初の子。噂好きのデルタによるとなかなか優秀らしい。
身体は大きめで耳が良く、身体能力も上々、気配を消して獲物に近寄るのが上手いので、おそらくルウになるだろう、いや三匹目のカイなのでは、などと噂好きは勝手に言っているらしいと聞いた。
そして良くない噂もある。
あの若狼はもうすぐ成獣になるというのに、しばしばアルファの館に顔を出し、幼狼たちとじゃれあって遊ぶらしい。そして自分が守るから勝手に出歩くなと過保護にしているというのだ。
同じ親から産まれたからと言って特に親しくするなどありえないし、同腹の幼狼だけ守るなど人狼としておかしいが、おそらくあのオメガは愚かさのあまり自ら生んだ子狼を手放したくないとでもいったのだろう。アルファの館の『部屋』で、あの親に育てられる子狼たちに、真っ当な人狼の本能は育つまい。親に恵まれぬ子狼を哀れに思わないでもないが、私が気にすることではない。
そしてこの若狼は、とある雄をひどく意識している……というのは噂好きのデルタが言っていたことだから真偽は疑わしい。ただ私には、雄と番いたいと思ったとき、思考がどのように進むかという流れが手に取るように分かる。
とはいえ精霊が選定するアルファを自ら定めるという意味になることなど、思い込みゆえとしても口に出すべきではない。まして声高に主張するなど愚かというしかない。
この愚かさもオメガ譲りなのかもしれない、と考え私は苦笑する。親の資質が子に伝わるなど、聞いたこともないが。
人狼たちの情報を集めるのもシグマの役目だが、意識して私はかの若狼の情報を集めた。棲み処が何処なのか分からなかったし、匂いも知らないからだ。
この広大な森で若狼の群れで行動しているとなると、匂いも知らずに所在を掴むのは困難。そこでこの機会を得ることを考えた。
特に可愛いがっているという子狼たちが広場で遊ぶと分かっていたなら、現れるのではないか。そして案の定、漆黒の若狼は現れた。
私はあの若狼にちょっとした用があるのだ。といっても直接何かを伝えるのは避けたい。
だが匂いと気配を覚えた。これで所在を特定できる。
そして普通の人狼と違うと自認しているかの若狼は、自らに都合の良い話が耳に入れば、それこそが真実と思い込むだろう。
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