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※【菫の白蜜】
駆けるごとに番の匂いが近づく。気配が濃厚になる。
より近しく、よりはっきりと感じるごとに、私の中で熱を増していく……滾るもの。
それは股間のものに直結し、大きく腫れて熱を孕み、僅かな刺激にも腰が痺れるような感覚を齎す。
排尿するときささやかな形を見せるのみであるそれが、このような変化をするなどはじめてのこと。だが戸惑いはない。
駆ければ足や腰の動きが、苦しいほどの刺激となって私を苛む。その場で蹲り、熱の放出を望んでしまいそうだ。
けれどその苦しみこそが私を高揚させる。
私の身体は放出よりもっと強い望みに従って駆け続ける。
香しい匂いで私を誘う、愛しい番のもとへと。
ふと気づく。
濃く香る匂いが……僅かに違う。
すっかり熟しきって樹上から落ちる果実のような、強い甘さの……けれど間違いない。私を誘う愛しい番の匂いだ。
ああ、……同じだ。
私もおそらく同じ匂いを発している。
そう、発情している、のだ。
私と同じように、私と番いたいと、発情している―――
―――狂おしいほどの熱情が体を突き動かし、私は駆ける。
初めての感覚。だが戸惑いはない。
心臓は鼓動を速め、逸る気持ちが身体を動かす。
早く。早く。少しでも早く。
この熱く腫れたものを番の中に押し込み、一滴残らず子種を吐き出したいと、それだけが私を支配する。
熱に浮かされたような狂乱にも似た思考の中……ふと冷静な部分が私に囁きかけた。
―――それは番も同じでは?
―――同じように私の中に子種を注ぎ込みたいと願っているのでは?
―――愛しい番の願いを叶えたい。我が望みの一番はそれだ。
―――ではどうする?
互いに子種を注ぎ合う? ……どこに?
どこに注ぎこむのだ?
……ああ、そうだ。
そう、ひとつになるなら。……ひとつになって番うのなら。
そうだ私は知っている。
どうすれば良いか、私は知っているではないか。
◆ ◇ ◆
かつて私は王都で学んでいた。
当初はひと族に囲まれることに慣れず、何をするにも勝手が分からず、使命たる調べ物もなかなか進まなかった。
だがやがて、ひと族の雄がそばに控えるようになった。
調べものに難儀している私を見かねたと声をかけて来たそれは、私に調べ方を教え、資料を手元に置く手段を教え、食堂の使い方を、買い物の仕方を、服装や頭の毛の整え方を教え……名も覚えていないが、私の望みを叶えようと懸命になっていて、割と役に立った。
ひと族の中で力のある者だったようだったのだ。そして……
「僕は生涯をあなたに捧げる」
それは、何度となく私に請うた。
「だからあなたのものにして。……お願いだ、アンセル」
その頃、私は『アンセル・ウェアウッド』という仮の名を使っていたのだが、それ―――しもべは私と番うことを望んでいた。
しかし番でもないひと族と子作りなどする気は全くない。
ゆえにそばに侍ろうと視線すら与えなかった。
そうでなくとも、ひと族は、雌も雄もひどく臭い発情の匂いをまき散らしていたので、距離を置くようにしていたのだ。
しかし年中発情するひと族は、発情の意欲が異常に強く、気配が薄いくせに、発情の匂いだけは懸命に鼻を塞いでも感じてしまうほど臭かった。
やがて雌だけでなく雄も、気付けば教える立場にある年嵩の雄までもが、発情の匂いをさせて近寄るようになっていた。どれも挙って秋波を送ってきては、所かまわず擦り寄って来るのだ。
ひと族どもの纏わりつく視線と発情の匂いは時を経るごとに多くなっていき、冬を越す頃には酷い状態になり、耐えがたいほどだった。
さらに満月ともなれば匂いだけでなく発情の気配や噂する声にも悩まされる。しかも王都には私を癒す精霊が少ない。私は徐々に弱っていった。
なんとか耐えて冬を越えたが、夏が来る前には日々寝台で丸くなっていた。毎日気分が悪くなってしまい、調べ物などできるわけも無く、私は務めを果たすことを諦めかけた。
疲れ果てた心と体。
務めを果たせず志半ばにして郷に戻らねばならないのかという無念。
それに気づいたしもべは言った。
「僕はあなたに誓う。あなたが望むなら、誰も近づけないようにするよ。僕の力全てを使って、あなたの周りから余計なやつらを排除するよ」
何度も耳にしていた。しもべは何度となく私にそう言っていたのに、ある日、私は初めてしもべに視線を与えた。
しもべも常に発情していたが、そういえば他のひと族に比べればマシな臭いだった。だから傍にいることを許したのだ。便利だっただけではなかった。
「もしもあなたが僕を受け入れてくれるなら、僕は何でもする。だからお願いだ、アンセル。一度だけでいいんだ」
……私は思ってしまった。
―――どうせ私は、番なしなのだ。
―――唯一と番えないのなら、どんなものと子作りしようと同じなのでは。
―――もういい、それで楽になるなら、かまわない。
それほどに疲れ切っていた。
要するに子作りすればよいのだと思ったけれど、しもべを見ても匂っても気分が悪くなるばかり。私は一向に兆さなかった。するとしもべは私の中に子種を挿れさせてくれと請うた。
「優しくする。気持ち良くするよ。アンセル、お願い」
そうして行われた行為。
恐る恐る触れて来る指は、やがて変な臭いの油を纏って私の中に侵入し、熱に浮かされた眼差しと共にしもべの陽根が排泄口を穿つ。
ただ揺さぶられ、背中越しに冷めた視線を向けつつ思った。
―――こんなものか。
私は知りたがりの『理屈屋』だ。交尾についての興味が無かったとは言わない。番なしであれば生涯知り得ないことなのだから、どんなものかとは思っていた。
しかしその行為に歓びなど微塵もなく、かといって嫌悪も湧かず、私は拍子抜けのような気分でいた。さらにもう一匹、使える力を持った雄が私の身体を乞い、一度のみと誓わせて触れることを許したが、それ以降二度と、毛の一筋すら触れさせなかった。
二匹は私を『至上の方』と呼ぶようになった。しもべは誓った通り周囲から煩わしいものを遠ざけた。もう一匹は私の望むように調べる方法を教え、時に自ら調べてきて私に結果を捧げた。
それから私は多くを調べ、学ぶことができたのだ。
◆ ◇ ◆
愛しい白銅の銀鼠が、熱のこもった瞳と声で、私と番いたいと願ってくれる。
その想いが、匂いと気配を伴って私に伝わる。
私は笑んでいた。
「いいえ、いいえ、できます」
―――この雄を、この美しい人狼を、私のものにする。
「子は成せぬでしょう。けれど……」
―――ひとつに……。
身体を合わせ、子種をこの身に受けるのだ。
そうすれば―――私たちは真なる番となる。
番の手を、受け入れる場所へ誘う。
期待に胸が高鳴り、鼓動が早まっていく。荒くなっていく息を堪え、自分を落ち着かせようとゆっくり吐いた息は、心のうちに波立つものを顕わすように震えた。
ああ、鈍銀の瞳を丸くする番の、なんと愛らしいことか。
思わず腰を押し付け、硬くなったものを擦り合わせると、痺れるような快感が背筋を登った。舌を伸ばし頬を舐めれば、その肌は思いもよらぬほど甘く、くちからも歓びが染み入ってくるようだ。
ああ、そうだ。
番はどこもここもおいしい。
頭から噛り付いて、すべて喰らってしまいたいほど。
けれど喰らってしまっては二度と味わえない。
私は子種を乞い、背を向けて木の幹に片腕で抱き着いた。
腰を突き出し、受け入れる場所を指で開く。
我が番が息を呑む。それと同時に、鮮烈な匂いが私の鼻を擽る。
ああ、この匂い。私を求める発情の匂い。とびきり甘く熟れた果実のような香しさ。
しもべは変な臭いの油を使っていたけれど、私たちにあんな匂いは要らない。
「その前に……ここを舐めて」
愛しい匂いが近寄り、尻の狭間に舌が触れた。
ざらついた滑りが肌に触れ蠢く。それだけで全身がぶるっと震え、子種を吐き出しそうになる。
滑りは穴に入り込み、ぴちゃぴちゃと味わうような音をさせた。何かを啜るような音と、肌をそよがす絶え入るような吐息に、いちいちぶるりと身が震える。尻をきつく掴んでいた番の爪がそこを穿ったが、痛みより痺れるような歓びが勝った。
気配も匂いも溶け合うように近い、そのことがさらに私を昂らせる。
舌はより奥深くまで舐めとろうと、私の中で蠢いた。
ああ、味わっているのだ、私を。番の味わっている甘露が、噛り付きたい喰らい尽くしたい、そんな感情が、私にも伝わってくる。
思わず舌なめずりをしていた。
番にとって私はおいしいのだ。ああ、私もおいしい。白銅の銀鼠のすべてが、私にとっては至高そのもの。
尻を、腹を、陽物を、背を、撫でるように触れる手が、いちいち熱を煽る。
もう耐えられない。早く、早く、ひとつに―――
「ぁ、白銅の……そ、こ……」
そこに挿れて。
もういい、早く、私にも味わせて。
衣をはだけた白銅の銀鼠が、私の中に熱く硬いものを押し込んでくる。熱い。
「あっ! ぁぁああ……っ、はくど、のぎんね……っ!」
高揚。歓び。背筋を登り、全身に広がる熱。
白銅の銀鼠は、より深くへと押し入って来る。身が沿うように近寄り……首の根に、牙が穿たれた。
噛みついた番の荒い息が首筋にかかる。全身の毛が逆立ち、身が小刻みに震えた。
私の血を、味わっている? おいしい? おいしいの?
牙から―――私の中に流れ込む、我が番の生気、精気、両方が私の身体をさらに熱く貪欲にする。
闇によって生み出され、精霊に言祝がれる人狼は、おのずと生気と精気を蓄えている。しかし今、かつて無いほど激しく身体を駆け巡っている。
さらに濃密になる匂い。この匂い。ああ、熱い。熱い、熱くて……
「……っ! ぁあっ! あああぁぁ……っ!」
気づけば私の熱く腫れたものから子種がはじけ飛んでいた。
それにかまうことなく、熱いものが最も奥まで挿入ってきた。
そのまま出入りする熱。内奥まで擦られるごとに、我が身は歓びに痙攣し、毛の一筋まで白銅の銀鼠に染められていく。
「あっ、あっ、ぁぁああ……っ!」
白銅の銀鼠の匂いが、気配が、変わっていく。白銅の銀鼠が私の血を取り込み変わっていく。
私が、白銅の銀鼠を染めている。
きっと私も変わっている。匂いも気配も……互いに染め合い、この身と番が混じりあっていく。
昂るものが唐突に身体の芯から迸る。
「ぅく、うぁ、はぁっ、ぁぁっ、また……っ!」
最奥に、ぶちまけられた熱いもの。……子種? 私の中に、子種を……吐き出してくれた……!
激しく抽挿される硬いものが、それを私の中に擦りこんでいく。もっと濃く、私は染められていく。目も眩むような快感が押し寄せる。
……なんと狂おしいほどの歓びか。
ひと族の言う『気持ちいい』などとは、断じて違う。
気づけば私たちは狼の形になっていた。
私は尾を上げ、熱く硬いものが埋め込まれた場所を露わにした。
もっと奥まで、もっと激しくと求めれば、我が番はより奥まで、より激しく私を穿つ。
知らず遠吠えが喉から響いていた。
Wow oh oh oh oh oh oh……ohh
Wow oh oh oh oh oh oh……ohh
番の遠吠えが唱和する。
ああ、なんと心地よいのか。
なんと心躍る響きなのか。
響きあう遠吠えが、耳からも私たちを昂らせる。
背後からのしかかっている番は、私より二回りほど体が大きくて、樹の幹に前足の爪を立てている。
気づくとそこに牙を突き立てていた。
白銅の銀鼠の血潮が、遠吠えに震わせた喉を潤す。
心地よい潤いと、甘露というしかない味わい。血潮が我が身に流れ込む。
私の血が白銅の銀鼠を内から染めたように、白銅の銀鼠の血潮が、私を内から染めていく。
互いを染め合い、互いを一つの生き物にする、これが番うということ……なのだ。
月が姿を薄め、太陽が木漏れ日を落とす森で
私たちは飽くことなく交歓を続け互いを貪る。
私の血を啜り、芯から私に染められた、この人狼はもう私のものだ。
私を穿つものも、荒げる息も、この身を抱き支える逞しい手も腕も、私のもの―――
血や涙一滴、毛の一筋、髭や睫毛の一本ですら、すべて私のもの。
どんなものであろうと、これに触れることは許さない。
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