7.我が意のままに at will

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「知って欲しいことは、三つ、あります」 「うむ、聞こう」    鼻を擦りつけ合いながら私を抱きしめる番が笑んでいる。  その片手が頭の毛を撫で、首後ろを擽る。背にあった手は腰まで滑り落ちた。擽ったさに笑いが漏れる。 「ふふっ。まずひとつめ、ですが」  告げる声も、自然と甘い響きを帯びた。白銅の銀鼠が、私の耳を甘噛みする。背筋を族即した感覚が走るのに耐えながら、私は囁く。 「私はどうやら、黄金の郷の精霊に気に入られたようです」 「……なんと」  絶入るような息が耳を擽り、私の耳がピクンと動いた。 「他郷の精霊すら魅了するとは……そなたはどこまで素晴らしいのか……」  息の多い囁きが耳を擽り続け、合間に舐める舌の動きに、私はピクピクと動いてしまう。 「は……ぁ、もう」 「ああ、すまぬ。話の邪魔をしてしまった」  耳から離れた白銅の銀鼠の、細めた鈍銀の瞳が至近で私を見つめている。  思わず鼻を擦りつけながら、私は続ける。 「魅了、とは違うようですが……」 「うむ、そうか。すまぬ」  嬉しそうに鼻を擦りつけて来る番。私は心を励まし、続ける。 「黄金のアルファは、私の望みを叶えると言いました」  鈍銀の瞳が驚きに見開かれている。  ああ、こんな表情も可愛らしい。  愛しい、愛しい、我が番。  そう。  黄金のアルファが私に望みを問うた、そのとき。  私が望んだのは『我が番に安息の日々を』であった。  望みを聞いて満足げに頷いた黄金のアルファは言った。 『この森で過ごすと言うなら連れて来るが良い』 「あなたを連れて行こうと、考えています」 「我を……どこに?」  僅かに不安そうな匂いが漂う。胸が締め付けられる。  分かっているのだ。これから告げることを、我が番は望まぬだろう。 「黄金の郷に少しの間、居てもらおうと」 「そなたも共に、行くのだな?」 「……いいえ。ごめんなさい。共に往けません」  まだ時間が必要なのだ。我が望みを全うするための準備が。 「では……そなたはどうするのだ?」 「やることがあるのです。それを終えたなら、必ず共に……」 「なにをするのだ?」 「……それをお答えする前に、ふたつめ」  まっすぐ目を見つめて告げれば、白銅の銀鼠は息を詰めた。 「私は冬三つを数えるほどの間、王都にいました。ひと族と共に生活したのです」 「うむ、以前教えてくれた。知っている」 「……ですがお伝えしていなかったことがあります」  緊張している匂い。  私も緊張する。匂いが伝わっているだろう。 「ひと族の雄を二匹、私はしもべとして扱っていました」 「二匹。それだけか」 「信用できるもののみを従えることにしたのです。ひと族は狡猾で下劣ですから」 「……思慮深いそなたのことだ。それが正しいのだろう」 「ありがとう」 「礼を言うことではない」  なんと真摯な瞳なのだろう。なんと美しい瞳なのだろう。  無条件に私を信じてくれる。それが胸に迫り、息苦しいような心持ち。  ああ、可愛い、白銅の銀鼠。 「ですが一匹は潰しました。私が郷に戻るとき、待つよう命じてもついて来ると言って従わなかったのです」 「ほう」 「その雄共を従える、ために私は、……男根を挿れることを許しました」 「……どこに」  刺すような視線が私を穿つ。 「…………さっき、あなたが……、挿れた……」 「それは」  呼気を感じさせぬ、冷えた声が低く響く。 「番った、ということか」  ハッとして逞しい腕にしがみつき、必死に首を振った。 「まさか! 違います!」 「ではなぜ」 「あの頃はどうせ番なしとして生きるしかないと!」  疲れ果て、少しでも楽になるなら好きにさせても良いと、そう思ってしまった。  こうして番と出会えると分かっていたなら、けして許しはしなかった。  おのずと涙が溢れ、愛しい番の強張った顔が見えづらくなって、私は目を閉じた。ぱたぱたと涙の粒が落ちる。 「私は! 諦めていたのです! そうでなければ……!」 「……ああ、分かりたくはないが……我にも分かる」  けれど匂いは優しく包み込むような愛しさを変わらず伝えてくれた。  それに安堵し、私は目を開く。 「我も番なし、であった。それが耐えられず、郷を出た」  愛しいと思っていることが、胸が痛くなるほど伝わってくる。けれど悲し気な匂いも濃く漂っている。 「ずっと、運命を求めていた。しかしここで諦め、子作りした」  私は気づいた。この悲しみが、白銅の銀鼠自身の行いによるものなのだと。  私のしてしまったことより、雌と子作りした自らに悲しみを覚えている。 「いいんです。あなたが留まってくれなければ出会えなかった」 「分かっている。何度も自らに言い聞かせた。しかし……子作りだ。あの雌と……子狼をもうけた。そなたがそのことで、いかに悲しんだか知っているのだ。我こそが罪深い」 「いいえ、あなたは間違っていない」 「菫の白蜜、気に病むことはない。そなたのすることに過ちなど無いと、我は知っている」  鈍銀の瞳が、揺るぎない信頼を伝えてくれる。  低く囁く声が、愛しい気持ちを伝えてくれる。 「すべて必要なことだったのだ。我らが出会うに、すべてが必要だった」  抱きしめる逞しい胸から、胸の痛くなるような悲しみと私を想う心が伝わってくる。  ああ、私の気持ちも伝わっているだろうか。  あなたを悲しませるすべてに怒りを感じていること。このような出会い方をさせた精霊と群れに対して、怒りの炎が胸の奥で燃え盛っていること。 「気に病むことはないのだ、菫の白蜜」  甘やかすような優しい囁きと共に鼻を擦りつけられ、私もそれに応じる。  それだけで燃え盛る怒りが緩和されていく。  それを感じ取ったか、白銅の銀鼠は鈍銀の瞳を笑みに細めた。 「あなたも。気に病まないで」  互いに告げる言葉が同じであることに気づき、私がくすくすと笑うと、白銅の銀鼠も喉を震わせるように笑う。  愛しい気持ちが溢れそうになり、私から鼻を擦りつける。それに応える白銅の銀鼠が、フッと笑う。 「……それでは、もう一匹のひと族は今だに従っているのか?」 「はい。私のみに従うと誓っていました」 「ふむ。それは信用に足るのか」 「ひと族の誓いなど信用できるか……。目の前で一匹潰したので、怯えただけたかもしれません。そうだとしても、今一度同じ想いをさせれば、従うべきものを思い出すでしょう」 「我が番はとても優れているな」 「必要なときに使えれば良いのです」  フッと笑う気配に、私の心も緩む。 「頼もしいことだ」 「そして、みっつめ」 「ふむ。教えてくれ」  最後の一つを告げる前に、私たちは微笑みと共に鼻を擦りつけ合った。   ◆   ◇   ◆  ―――どうしてこうなった?  クィーナは、頂の祠に連れて来た二匹の狼が、好き勝手にあちこち眺めるのをどうにもできずに見つめていた。  前も思ったが、どうしてこいつらはココに入れるんだ?  頂の祠は我らの山(モンサクル)山羊族(ペルカプル)に与えたもの、特別な場所だ。猿も鹿も頂には入れないし、おいしいモン食えないってのに、なんでこいつらは上がってこれるんだ?  てゆーか、笛を吹いても音がしないから何度も強く吹いたんだ。なのに、 『うるさい』 『一回で良い』  とかって怒られたのも納得いかない。  それでもまあ、おいしいのをくれたからホッとしたけど。  冬の山は喰えるものが少ない。頂の祠の恵みもめっちゃ少なくなるし、ほとんど雌が喰うんで、おいらたち雄は岩にこびりついた苔や木の葉っぱを食って凌ぐしかない。  森の獣なんて全部気に食わないけど、こいつらは怖いし、食い物を持ってる。だから従うしかない。  飢えずにいられるならなんだってするさ。  山羊族(ペルカプル)は殆どが雌で、みんな働き者だ。雌たちは餌を集め、火を熾す。器を作るのも、棲まいと寝床を整えるのも、雌たちがやる。そんで春先には仔山羊を産み、乳を出す。  仔山羊のうち雄は二十匹とか三十匹に一匹くらい。雄が産まれない年もある。  だから発情期、雄は大忙しなんだ。夏が終わって冬が始まるまでの間、雌たちがみんな孕むまで必死で子種を蒔かないとなんない。そんで雄って子種蒔いたら仕事ないようなもんだけど、頂の祠の役務は雄が負うんだ。  でも役に立たないのばっかり。おいらは目が良いし賢いから、とっても役に立ってる。だからほぼ毎日ここから見渡してるんだ。まあ、見えるモンが面白いってのもあるけど。  発情期に種を必死にまいた雄は、冬になると用済み扱いされる。  雌は腹に三匹とか、多いときは五匹とかの子山羊を孕むし、乳も出さなきゃなんで雄に餌を分けてくれなくなるんだ。弱いやつだと冬を越えられない。そんでますます雄が少なくなる。  けどおいらは生き延びるんだ。  ずっと頂の祠(ここ)を守る役務をやるんだ。
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