7.我が意のままに at will

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 黄金のアルファは私たちと共に巣を出ると、上機嫌で「この人狼どもは我が親族である」と宣言したうえで言った。 「この人狼の望みは我が望みである。皆、(しか)とうけがうように」  それにより黄金の郷の人狼たちは私たちへ親し気に振る舞い、敬意をもって接してくるようになった。  人狼にとって親族とは、同じ精霊に言祝がれたもの、同じ森の仲間であることを指す。腹を痛めた母狼や種を蒔いた父狼を指すわけではない。ひと族とは違うのだ。  白銅の銀鼠と私は歓待を受け、食い物と酒をふるまわれた。  飲み食いしながら黄金の郷の人狼たちの匂いを覚え、彼らも私たちの匂いを覚える。そして郷の現状についても聞くことができた。  それにより私の考えも修正を入れ、我が番と共有したうえで彼らに願いたい行動について話してみる。 「おお、かまわんぞ、我が同胞」 「我が森の人狼となれば、なにを惜しむものか」 「そうだぞ、なんでも言え」 「私はシグマとして学びを受けたいです」 「こら、調子に乗るな」  人狼どもは気軽く笑い、軽口を叩きながら、私の望みに添って動くことを快く引き受けてくれた。  つい先日ここで受けた対応を(かんが)みれば信じがたいほどの変化だが、上位より下される指示に何も考えず従うのが人狼である。まして我らは同朋と認識されたのだ。  そして我が番、白銅の銀鼠は、その堂々たる体躯に多くの人狼たちから親しく話しかけられ、人狼らしい愚直なほどの態度と物言いが好感を持たれたようだった。  我が番は柔らかな笑顔で、とても幸せそうな匂いを漂わせている。やはり我が森に戻るより、この郷にて過ごす方が良いのでは、と思い、再度言ってみたが、我が番はくっきりと首を横に振った。 「この郷で過ごすと言うなら、そなたも共に、だ。菫の白蜜。決して離れはしないぞ」 「けれど、この森のあなたはとても幸せそうです」 「なにを言う。そなたと共に在るからこそ、このように心浮き立っているのだ」  嬉しげに笑んで、鼻を擦りつけながら言われてしまえば、私は白旗を上げるしかなかった。   ◆   ◇   ◆  黄金の郷に入ったのは月が昇り始めた宵であった。棲まいを宛がわれたので、そこで一夜ゆっくりと過ごし、次の月が中天に登ったころに森を辞した私たちは、再び水の道を越えようとした。  すると細い雨が降って来た。  とはいえ雨粒は細かく、さほど強い雨でもない。雪と風が暴れて猛吹雪になるわけでもないので、人狼にとっては何の支障もない。  しかし水の道を越えて山裾の林を通る間に天候はさらに変化した。天から降るものが冷たくなっていることを、毛に覆われていない耳や鼻先が感じ取ったのだ。手を広げて受ければ、それはシャリシャリとた氷混じりの雨だった。  白銅の銀鼠が天を仰ぎ見つつ、呟く。 「……(みぞれ)か」 「急に寒くなりましたね」  人狼は雪の冷たさに怖気はしない。真冬の厳寒の中、森を一週間経巡っても問題ないのだ。 「いや、そうではない」  低くつぶやいた白銅の銀鼠は、私の肩を掴み、立ち止まらせる。思わず抱き着いて鼻を擦りつけながら、「どうかしましたか?」と尋ねると、嬉し気な匂いを漂わせ、笑みながら言った。 「あの愚かな山のものが言った通りだな」 『ううん、雨じゃない。まだ寒いし(みぞれ)か、……いや(ひょう)が降るかも』  ……そうだ。  確かにクィーナは、そう言っていた。明後日の夜か明々後日の朝、だったか。  あれから山を降り水の道を越えるのに一晩かかった。黄金の郷で一昼夜過ごし月の昇った今は、あのときから考えれば『明後日(あさって)の夜』になる。 「……でまかせではなかったと?」 「うむ。そうも考えられはしないか?」 「……確かに」  私も天を仰ぐように見上げる。まだ芽吹かぬ木々の枝の合間から、半ば凍ったような雨が降り落ちて来る。  そうだとするなら。  あれに天候を予知することができるというなら―――。 「菫の白蜜」  考えに没入しそうになっていた私の耳を優しく打つ、愛しい番の低い声。 「役に立ちそうか」 「ええ!」  思わず抱き着いて、声を上げた。  そうだ、それなら思う通りの結果を導ける―――! 「ああ、あなたはなんて素晴らしいのでしょう!」 「嬉しそうだな」 「はい! とても、とても嬉しい!」 「そうか。……そなた、そのようにしていると可愛いな」 「可愛いのはあなたです! 可愛くて美しくて」 「美しくて可愛いのはそなただ。そのうえ賢い」  凍った雨のそぼ降る中、私たちは時折天を見上げて身を寄せ、鼻を擦り合わせながら進む。そうするだけで楽しい。共に歩むのみで嬉しい。  あえてそうしていた。なぜなら――― 「また来たんだな!」  クィーナのワクワクとした声が聞こえ、私たちは笑みで顔を見合わせる。私を見かけたら来るように言っていたが、命じたからではなく食いもの欲しさに顔を見せるだろうと、あえてゆっくり進んでいたのだ。  蹄の音が近寄って来る。それが妙に弾んでいるので、目を向けずとも機嫌よく山肌を降りて来るのが分かる。 「ええ、帰り道ですから」 「おいら来たぞ! おいしいの、くれよ!」 「肉を燻したものならあります。それでいいですか?」 「んっ、肉かあ」  おそらく期待しているのは干し果実だろうが、行きで殆ど渡してしまったので燻し肉しかない。  人狼は道行く中で獲物を得るし、月が満ちている今は喰わずとも問題ないのだ。黄金の郷でも歓待されたが、食い物を渡されはしなかった。 「そんでもいいけど……それって匂い強い?」 「まあ、そうですね。生肉よりは」 「ん~、なら頂の祠行こうぜっ!」  前回はあれほど渋っていたのに、クィーナの方から誘ってきた。どういう変化なのだろうと訝しむと、クィーナは慌てて言った。 「いま、おいらが当番だから! あそこなら他に誰もいないから! 匂い強いと、他の奴らも食いに来るかもだろっ!」  要するに、他の山のものに食い物を奪われたくないらしい。それならと納得して、私たちは山を登った。   ◆   ◇   ◆ 「もぐもぐ……んっ? 来月の天気? う~ん、だいたいなら分かるかなあ」  頂の祠の真上には、庇のように突き出した黒い岩がある。  そこに立つクィーナが燻し肉を頬張りながら答えたところによると、これから春になると思わせておいて、大風を伴った雪が降りそうなのだと言う。 「あっちの森って、毎年一回はあるんだよ、そういうの。おいらたちは『寒の戻り』つってんだけど。今年もそろそろ来そうだなって」  あっちの森、つまり黄金の森は、半ば以上雪が溶けたころ、山から吹き下ろす強い風と大量の雪に覆われるらしい。  だが我が森において、春先に酷い吹雪になったことはない。本当にそんなことが起こるのかと問いつつ燻し肉を渡すと、クィーナはホクホク顔で齧り付きながら、上機嫌で言った。 「あ~、だってそっちの森は山から川ふたつあるじゃん。山から遠いから風が吹き下ろしても届かないんじゃねーの?」  確かに我が森は山から離れている。水の道を渡るまで人狼の足で夜二つほど。そこから夜三つほど進み、さらに水の道を渡って初めて山に到達する。  我が森から見れば、ここは水の道むこうの森のさらに先だ。我が郷の人狼は水の道を越えた森に狩りや採集には行くが、そちらに棲まいは無い。ゆえにこの時期の天候など知る(よし)もないのだが。  果たしてこの山のものの言を信用していいものか迷いつつ、私はそれを見せずに笑みで問う。 「では、月二巡り……一か月ほど後に、黄金の森で吹雪が吹き荒れると。間違いないですか?」 「まあ、間違いねーんじゃねえかな。そんな感じしてる」 「いったいどこで、そのように感じるのです?」 「え~? どこって……ん~、鼻とか耳とか角とか……風もかな? あと雲の感じが、そろそろ寒の戻りって感じなんだよ」 「山のものは皆、そのように感じるのですか」 「いーや! おいらだけだ!」  クィーナは頂の祠の役務を務めるようになった最初から、なんとなく分かったと言う。役務を負うようになって冬を5つ超えた今は、さらにはっきりと分かるようになったと胸を張った。 「だから! おいらは特別なんだって!」 「そうなんですね」  燻し肉を差し出しながら言うと、クィーナは嬉しそうに受け取ってすぐに頬張る。 「な? おいらすごいだろ!」  笑みで頷いてやると、クィーナは満足そうに笑った。   ◆   ◇   ◆  フッと意識が昇る。  若狼であった人狼は、庵の中で農茶の目を開き、青みがかった漆黒の毛を震わせる。  どれほどの時が経ったのか。  ぼんやりしていた視界が徐々にはっきりして、庵の中の様子が目に入る。以前よりはっきりと見える。  匂いが、以前より微細に感じられる。  精霊が共に在る、それが鮮明に感じ取れる。  若い人狼の身の裡から、ふつふつと活力が湧き上がってくる。  もぞもぞ動くと、思っていたより手足が早く強く動いた。 「おっと」  あやうく庵を蹴り飛ばしてしまう所だった。  そう思ってニヤリと笑んでしまう。  『ルウ』  それが受けた階位であることも分かった。  群れの中で最も早く長く走れる、最も高く飛べる、最もうまく獲物を獲れる狩り(ルウ)。  ―――まあ、一時的なことだ。  身体が軽い、力も強くなっている。  ゆえに慎重に体を動かし、庵から出た。  中央に、成獣が一匹丸くなれるほどの広さで丸く光る苔がある。  苔を見つめていると、妙に心穏やかに落ち着いて来ると同時、力が漲って来る。若狼であった頃、自らを優秀と思い込んでいたが、全く違うと今なら分かる。  おのずとそのそばまで歩き、苔を見下ろす。  そこから立ち上る、ゆらゆらと揺れるような光。  ああ、これは精霊か。成獣となったこの身を言祝いでいるのか。  ―――飛躍的に強くなっている。  ―――これが成獣か。なるほど。  気づくと苔の周りを囲むように、同じく成人の儀を受けたものどもが立っていた。  互いを見て、それぞれが目を見張る。  みな、より強い気配を放ち、匂いも変わっている。  今まで見知っていた若狼とは確実に違っていた。  ―――これなら成せる。ああ、やっとだ。  ルウの階位を受けた黒い人狼は、ようやく番と共に在る道を進んで行けるのだという歓びが身の裡に湧き上がるのを隠そうともせずに、思いっきり遠吠えした。  苔から立ち上るような光が、揺らぎを大きくし、気付けば新たに成獣となった人狼たちはみな、爽快感を競うように遠吠えし合うのだった。
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