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「……終わる」
ガンマはそう呟いて、自らに薄く笑んだ。
精霊の想いを行き渡らせるべきアルファが精霊を顧みず、まるでひと族のように己の想いのみに忠実に動いた。
結果あのアルファ、そして従う人狼すべてが、……精霊に嫌われたのだ。
荒れる、とは思っていた。意に添わぬ人狼など、精霊が受け容れるわけがない。
アルファが暴発しようとも、巻き込まれるのはせいぜいオメガとベータくらい……と、見て放置したのだが。
人狼どもの殆どが、共に行ってしまった。
みな精霊に、嫌われてしまった。
あのアルファは、遅かれ早かれこうなるのが見えていた。
精霊に嫌われ始めていたからだ。
けれど……こうまで『きらい』が増えるなど、思っていなかった。
冬を数十超えるほど前に一度、あのアルファは今と近い状態になり、自ら先頭に立って他郷を併呑せんとした。
そのときガンマは、全身全霊を使って留めた。
結果、あのアルファは郷を出ることをしなかったが、下位を使って他郷を治めることとした。
ガンマは『精霊に厭われてはアルファたり得ない』と教え、郷を元に戻すよう忠告した。しかし聞き入れず、郷が広くなったなどと喜んでいた。……そんなわけがないというのに。
その、欲に塗れた行為自体を嫌った精霊は、そのときすでにあれを『きらい』になっていた。
終わりは見えていたのだ。
早く代替わりさせるべき。そう分かっていた。
けれど―――疲れ果て、放置、した。
そしてあれは、また、やった。
この郷は、終わる。
精霊は無邪気な存在。
楽しいのが好き、それだけの存在。
善悪など関係無く、『すき』と『きらい』だけがある。
『すき』が多いと、楽しい。
楽しくないのは『きらい』。
それが精霊。
精霊は、あのアルファを『きらい』だった。そして今『だいきらい』になった。
―――『だいきらい』は、いらない
神話にある通り、人狼は精霊に好かれているからこそ成り立つ。
ゆえに簡単に精霊の影響を受けるのだ。
良い影響を受けていれば互いに幸せ。けれど精霊に『悪戯』される……悪い影響を受けると、”おかしく”なる。
実のところ精霊たちが“気に入り”過ぎて"かまい過ぎ"たために人狼が"おかしく"なることは頻繁にあり、精霊は惑う人狼たちを見て楽しげにしている。特に子狼は"かまい甲斐"があるのか、標的になりやすい。
それはたいてい鼻で笑える程度の"悪戯"だけれど、中には手ひどい"悪戯"もある。
そう、精霊の気分によっては、生き死ににかかわるような"悪戯"に夢中になることも、あるのだ。……今回のように。
ほ、と小さく息を吐いたガンマは、倒れ伏していることに気づいた。
足に力を籠め、よろよろと立ち上がる。
「ガンマ、大丈夫ですか」
シグマ筆頭の声がした。
うん。大丈夫だ。棲まいまでくらい、行ける。
「運びます。無理せず」
すぐそばで身体を支えているのが、シグマ筆頭の手だと分かった。
これは邪魔にならないが、今は要らない。
けれど首を振るのもおっくうだった。
ガンマはその手を軽く叩く。支えていた手が引かれ、また声がした。
「おひとりで行かれますか」
小さく頷くと、シグマ筆頭の気配が離れる。
ふと、あのシグマの気配を感じた。
何か言いたげだ。
けれど何も言おうとしない。
シグマどもに視線すら向けず、ガンマは足を前に出した。
一歩一歩、確かめるように、ガンマの森への道を辿る。
肩に、背に、疲労が重くのしかかっていた。
残り僅かな力を使い、届かせようとした声も、”おかしく”なった人狼どもの耳には届かなかった。
分かっていた。
『お願い』など、精霊の『だいきらい』に敵う筈もない。
それでも『お願い』した。
『きらい』が勝っている精霊に『お願い』など、なんの意味も無いと、分かってはいたけれど。
そう、ガンマは長くそうしてきた。
今も、そうせずにいられなかった。
人狼どもには精魂尽き果てるほど「精霊の想いを聴け」と訴えた。
……けれど、声は届かなかった。
「…………哀れ」
ガンマは自らを嗤うようにくちもとを歪める。
……古から続く精霊との繋がりが。
もっとも古くから在った郷が、絶たれる。
ガンマは、疲れ果てていた。
あの森で癒されたなら、まだ少しは永らえるだろう。
その一念で、進む。
森を行くとき、いつもならガンマを好む精霊たちが纏わりついてくる。
けれど今は気配すら感じなかった。
『きらい』ではない、『すき』。
そして『だいすき』ではない。
精霊にとって、ガンマはそんな存在でしかない。
だから待っていた。
精霊の『だいすき』を。
アルファが代わっても、オメガが現れても、何代にも渡ってガンマの望みは果たされなかった。
望みの叶う夜を待って、待って、待って―――
ガンマは疲れ果てていた。今にも消え去りそうなほどに。
精霊の代弁者であるガンマにできるのは、あくまで代弁、そして『お願い』だけ。
郷の人狼どもが馬鹿なことを言っていたが、精霊に言うことを聞かせるなど、できるわけがない。
それでもガンマは精霊に、何度も何度も『お願い』してきた。
幾度も幾度も、数え切れぬほどの冬を越えて、この森を、郷を、永らえたい、その一心で。
望みが叶う、そのときを待ち焦がれながら。
「…………、望みなど……」
精霊に伝えても。
人狼どもがなかなか辿り着けないとするガンマの森だが、ガンマ一人で進むなら、さほど遠い道のりではない。
けれど例えばシグマ筆頭が付いて来たなら道のりが遠くなる。ゆえに今は要らなかった。
ガンマの森。
そこは精霊に満たされている。
ガンマは呼吸を深くして、生気を取り込んだ。
一歩一歩進んで洞穴に近寄れば、入り口を覆っていた蔦が自ずと分かれ、ガンマを迎え入れる。
―――おかえり
―――おかえり
「ありがとう」
ここに在る精霊は、ガンマのことがかなり好きだ。
だからここなら楽に息ができる……癒される。
倒れるように寝床へもぐりこみ、ガンマはようやく細い息を吐いた。
―――おやすみ
―――おやすみ
そもそも今のアルファは最初から、さほど好かれていなかった。精霊が『すき』なのはオメガであり、その番であるがゆえに、あの人狼がアルファとなったに過ぎない。
けれどあのアルファと共に在るうち、オメガが歪んでしまった。そうなれば、精霊があの番を『だいきらい』になることなど、分かり切っていた。
泣き叫びたいほどの心持ち。
けれどそうする力など残っていない。
「……もう少し……」
永らえなければ。
声にならない言葉の形にくちを動かす。
また幾度の冬を待たなければ、ならないのか。
そんな考えと共に、ガンマの意識は闇に落ちた。
◆ ◇ ◆
私は広場に立ち、森を眺めていた。
子狼たちが外に出たいと騒いでいる。
重なるのは老いたものどもが宥め叱咤する声。
シグマ筆頭はガンマの森から戻らない。
他のシグマはそれぞれの棲まいか、シグマの建屋に行った。
館に押し込められた雌どもが、すっかりおとなしくなったからだ。
そして、白銅の銀鼠が館から出て来て、ほうと息を吐く。
ずっと雌どもに言い聞かせていたからか、少し疲れた匂いがするが、私を見て嬉し気に鈍色の瞳を細めた。
「……なんとか、落ち着きましたか」
声をかけると小さく頷く、その仕草がなんとも愛らしい。
「なに、みなが戻るまでの間のことだ。雌どもも、ようやく呑み込んで……」
「……戻るのでしょうか」
「なに?」
怪訝そうな目をする我が番に、私はにっこりと笑いかける。
「戻ってこないかも知れません。みんな」
そうして広場の周りに広がる森を見渡す。
むろんすべてを見通すなどできないが……森は閑散として、生き物の気配がしなかった。
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