9.此処彼処 here and there

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 若狼六匹を連れて森に入ったのは月の昇る頃だったが、狩りを終えて広場へ向かう今は、陽が登り始めている。 「これじゃ、子狼の遊びとおんなじだよ」 「成獣の狩りって、もっと楽しいんじゃないの?」 「しかたねえだろ! ルウじゃねえんだし!」 「だよねえ……シグマじゃあ」 「でもさあ」  若狼たちは不満そうだ。今夜は時間がかかった上、大物を狩れなかったから。  こうして狩りをするようになって七夜が過ぎ、いくつかの理由で彼らの望むような『人狼の狩りらしい』狩りはできなくなっている。 「ていうかさ、やっぱもっと奥に行った方がいいだろ」 「そうだよ! 近場に大物いないみたいだし!」 「そうはいっても毎夜戻るのがベータの意向ですし、従わないと」  そう私が言うと、若狼たちはさらに不満げな気配を放出する。森の奥に入るといっても我が森は広大で、すぐに獲物が見つかったとしても朝までに戻ることはできない。  森を抜けるのに、成獣が全力で駆けても三晩かかる場所もあるのだ。まして獲物を探して進むのだから素早い移動はできないし、仮に進んで獲物を得たとしても、血抜きなど処理を施してから持ち帰らなければならないのだ。 「私はベータに命じられてあなたたちと共に狩りをしているのですよ。従うべきでしょう」 「だって! こんなの狩りじゃないよ!」  白銅の銀鼠は郷を任された責任を生真面目に受け止めている。  万が一にも若狼が怪我を負うなどしたなら、我が身を顧みず一人で狩りも採取も賄おうとするだろう。私は愛しい番に無用な負担をかけたくない。  狩りに参加しているのは我の強いものばかりで、注意しても素直に聞かない。やはり若狼たちは危なっかしいし、なにより未だ人狼ではないのだから、きちんと睡眠をとらせ、食事も欠かすことなく与えなければならない。   ゆえに、朝までに戻れる範囲で狩りを行うことにした。白銅の銀鼠にも相談して決めたことだ。 「ここら辺だと、いるのは兎とか狐とか狸とか」 「あとは栗鼠とか鼠とか……あんなの子狼の獲物じゃん」  そう。  狭い範囲で狩りを繰り返しているため、賢い獣は危険を察知して広場周りから離れたのだ。人狼が現れると分かっている場所に居続けるのは愚かな獣だけ。そして大型の獣や群れを作る獣はたいがい賢い。  今の郷であれば、鹿や熊など一匹狩ったならみなが腹いっぱい食えるだろう。だが小さな獣は喰える部分が少なく、その分数多く狩らねばならない。それぞれの背負う布袋をいっぱいにするために、陽が昇るまでかかったのは、その為だ。  そのうえ今夜の獲物は殆どが狸や狐や、それに類するものばかりであまり旨くない。小型でも兎なら旨いのだが……自慢になる獲物ではないので、我の強い愚かな若狼が不満に思うのは理解できる。が、頷くわけにはいかない。 「水の道向こうまで行けば鹿だけじゃなく、たしか牛とかいるんじゃ?」 「そうだよ! 羊とかもいるって聞いた!」 「ですから、ベータの意向で、毎夜広場に戻らねば……」 「じゃあベータに言ってよ。水の道の向こうまで狩りに行くって」 「それは難しいですね」 「だからなんで!」  思わずため息が出る。 「あなたたちはまだ水の道を渡ってはいけない。そう掟で定められていますよ?」 「そっ、そうだけど」  若狼は水の道向こうに行くことは許されていない。未熟な人狼未満が成獣となる前に失われることが無いよう、アルファが行動範囲を定め、掟としたのだ。 「でも今は、普通じゃないじゃん!」 「そうだよ! いつもはダメでも今は」 「…………掟とは、そういうものではありません」  あちらも一応『我が森』とされているけれど、従来の我が森に比べれば知られていない部分も多く危険なのだ。もし仮に行けるとしても、狩りに出たルウが戻るまで三夜はかかる場所だ。  陽が昇るまでに戻らねばいけないと何度も言っているのだから二重でダメだということが、なぜ理解できないのか。 「でも僕たち、ルウと水の道の向こうに渡ったよ!」 「うん、こっちには居ない獣がいるからって」 「あんときは、たくさん狩ったし」 「野牛とか、初めて見たけど旨かった」 「うん! 羊も旨かった!」  それはルウたちが若狼に狩りを教えた時のことだろう。私も若狼だった頃、ルウに連れられて行った覚えがある。  ルウは人狼の狩りというものを若狼に覚えさせるため、三匹ほどを連れて五~六夜森を経巡って狩りをするのだが、それは『なにがあろうと守る』とルウ筆頭が主張するからこそだ。数匹のルウが周りを堅め、万全を期しているからこそ許されているのだ。  今は私一匹で六匹を見なければならないのだから、同じに考えることなどできない。  ……と説明するのも、正直面倒だった。また理の通らぬ反発が返るに決まっている。  聞き分けの無いものどもを連れて近場で小物を追う狩りなど、爽快とはかけ離れた作業でしかない。それを毎夜行うのだから、私はかなり面倒になってきていた。  ゆえに私は『力不足で』ルウたちと同じことはできないと説明した。 「あんたができないっても、オレたちはできる!」 「そうですか。だとしても、水の道を渡るのは無理ですよ」  今は不安定な状況だ。アルファたちの動向により、水の道向こうの状況がどう変化するか分からない。安易に若狼たちを連れて行くわけにはいかない……などと言うまでもなく、掟だと言っているのだから納得するべきだというのに。 「なんでだよ!」 「大丈夫だって!」 「行ったことあるし!」  いちいち理屈にもならない主張をしてくる若狼の相手をするのは、正直うんざりしていた。愛しい番の為でなければ、この者たちなど放り投げて一匹で帰ってしまいたい。  実のところ、黄金の郷へ向かったアルファたちがどうなるか、なりに予測はしている。その予測通りだとしたなら、水の道のあちら側は『我が森』ではなくなる。他郷へ若狼を率いていくなど、無理に決まっている。  まあ、不確定ではあるけれど……などと考えていて、気付いた。  幼い気配がする。  ―――まさか。 「……ちょっと、静かに」 「は?」 「ちょっとなに、偉そうに」 「狩り上手いけどシグマじゃん」 「そうだよ序列低いくせ……」  私の序列は関係ない。人狼であれば一度従うとなれば指示に異議は唱えない。そうでなければ狩りは成り立たないからだ。  いちいち意見するなど狩りの成功率を下げる、害にしかならない行為で、成獣であれば自ずと分かること。まだ人狼ではない若狼に理解できなくても仕方がないともいえるけれど、この先の気配に気づかれたくないので,私は威圧を若狼たちだけに向けて放つ。 「「「……!」」」  成獣の威圧を受けた若狼はひと形を取っているが耳を垂れ、尾を股の間に挟み込んだ状態になる。静かになったので、私は気づいた気配に意識を向ける。  広場に流れ込む細く穏やかな水の道。そこに幼狼(おさなご)が数匹、いる。  ―――いったいなぜ?   今だ姿の見える距離ではないが、間違いない。まだ狼の姿しかとれぬ年ごろだ。小魚か蟹でも狙っているのだろうか。  しかし幼狼だけで森に入るなどありえない。親たる人狼が必ずそばにいるはず。だが周りに人狼の気配はない。  ―――いや、そもそも今は雌と共に館の中にいるはず。それがなぜ?  若狼たちに獲物を持って広場へ向かうよう指示を出し、私は驚かせぬよう、気配を消して近づいていく。幼狼は七匹。細い水の道の脇、流れを睨んで息をひそめているが、狩りを覚える前の戯れとは違うと感じた。酷く真剣なのだ。  正直、幼狼との接点など無い。意思が通じるのかも分からないが、なるべく優しく声をかけてみる。 「みなさん、どうしました?」  ぴょん、と、その場で跳ねた小さな狼たちは、私を認めるとすぐに駆け寄ってきた。 「さあ、戻りましょう?」  声をかけても纏わりついて来る幼狼たちは、私の衣を噛んで水の道の方へと引っ張りつつ、きゃんきゃん、くうん、とそれぞれ鳴いて、私に何かを主張している。その様子は必死に見えた。 「遊んでいたのですか? 危ないですから戻らないと」  幼狼二~三匹であればすぐに連れ去るのも簡単。けれど六匹を同時に連れていくとなれば、共に歩かせねばならない。どうすれば良いかと思案しつつ必死に引っ張る様子に苦笑が漏れ、引かれるまま水の道まで行った。幼狼たちがまた、きゃんきゃん、くぅんと何かを主張する。  流れの中に小魚が泳いでいるのが見えたので、これが欲しいのかと軽く爪を振るって川端へ跳ね上げた。  すると幼狼たちは―――、先を争うように小魚に喰らいついた。 「まさか……お腹が空いている?」  魚を喰らえなかった幼狼が、また私に鳴いて何かを主張する。私はまたも爪を振るい、さらに小魚を跳ね上げる。幼狼たちは迷わず魚に飛びつく。  ガツガツと喰らう姿は、飢えているようにしか見えない。 「そうですか。分かりました」  幼狼が腹を空かせているのなら、喰わせねばならない。私は目につく度に爪を振るい、幼狼たちに魚を喰らわせた。小魚程度で腹の足しになるのかも分からないけれど、放っておくわけにもいかない。  内心、獲物をすべて若狼たちに任せたことに歯嚙みしながら、私はなるべく優しく見えるようにっこり笑いながら問いかけた。 「なぜ、腹を空かせているのです?」  けれど幼狼たちは喰らうことに夢中で、私の声など聞こえていないようだった。  狼の姿できゃんきゃん鳴く、この年ごろの幼狼が親から離れることも、飢えることも、ありえない。  人狼はひと形で産まれ、月一巡りほどの間その姿で母狼の乳を飲む。  やがて狼の姿に変わると、親狼は肉や果実、木の実などを自ら咀嚼し、口移しで幼狼に与える。確か月が四つ巡るほど? それくらいの間は、そうして喰らうことを覚えるはず。やがて直に肉を喰らうようになる、までは。  三歳を過ぎ再びひと形を取るようになるまでの間、幼狼は親と共に過ごし、親から食い物を与えられるのだ。  つまり、幼狼だけで親から離れて食い物を求めるなど、ありえない。  さらに―――連夜若狼(あいつら)を率いて森に入っていたのは、幼狼や子狼を飢えさせぬためだったのだ。  うんざりしながらも、若狼たちを宥め続けていた私の苦労は、いったい何のためだったのだ。  悔しさと共に、私は幼狼を見守り続けた。
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