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仁科多江をはっきりと認識したのは、誰かが適当に声かけた会社の飲み会のことだった。少しばかり遅れを取った俺は店の入り口からほど近い席にすっと溶け込むことにした。
「お疲れ様です」
隣の席の女性が会釈して、俺より年が上か下かを咄嗟に判断し、判断出来かねて口調は比較的気軽に返したものの、名前も知らなかった。
「お疲れ様です。えっと……」
……それまで会社でばったりと顔を合わせた時に会釈するだけの“同じ会社の人”というくらいで、外で会えば声もかけない、誰かもわからないくらいの人だった。制服でない姿に、あの人だと合致するのに数秒。
「総務部の仁科多江です。えっと、同い年なのでラフな言葉遣いで大丈夫、です」
「ああ、じゃあ。俺は……」
「知ってますよ、マーケティングの宮沢さん」
にこり笑う彼女に、こんな顔だったかと思うと同時に普段とは違う明るさに気づく。彼女の前のグラスは半分ほど減っていて、もうそれなりに酒を飲んだのだろうと推測する。ふうん。自分が大して知らない相手に認識されているのはいくらか気分がいい。機嫌のいい仁科さんに少し、探ってみたい気持ちになった。
「何で知ってんの」
「……えーっと、さっき誰かが言ってました。『宮沢まだじゃん』『あー、マーケティング部まだ誰も帰ってなかったよー』って」
「なるほど」
わずかな消沈を言葉に乗せると、仁科さんがいたずらっぽく片眉を上げて俺を窺うと、ふっと表情を緩めた。
「まぁ、その前から知ってましたけど、部署的に。ふふふ、あとイケメンだって言われてたって情報も欲しいところです? 」
「ははは。いや、そうじゃなくて、単純になんで知ってるのかなって思っただけ。褒めてもらえるのは嬉しいけど、そこかって思ったな」
「なるほど。“イケメン”は言われ慣れてるってこと、ですね」
「あー、まあ。本当にイケメンかどうかはさておき、話のとっかかりにする人は多いもんでね。おじさんとか」
「あ、ははは! なんかわかる気がする」
「だろう。おじさん、若い女の子褒めるとセクハラになっちゃうから、『うちのイケメン宮沢です』なんつって、切込みを俺にすんの」
「あー、面白い。宮沢さん、話しやすいですね」
仁科さんはおかしそうに笑った後、滲んだ目じりの涙を指先で拭った。テンポよく返してくれる会話に印象はがらりと変わった。
「そう? でね、総務部の仁科多江さん。えっと、同い年なのでラフな言葉遣いで大丈夫、です」
俺がそう言うと彼女はまたおかしそうに笑った。
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