楽園の人

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楽園の人

俺は最近少しばかり売れ始めたTVタレントだったりする。知名度はまだ低く、売りはちょっと可愛いルックスくらいだ。  そして別に隠してきたつもりはないのだが、俺はゲイだったりする。これから先、売れればきっと噂くらいにはなるだろう。  別に悪い事をしてるわけじゃあるまいし、胸を張って生きれば良い。それは人として当たり前のことで、何も間違ってはいないと今は胸を張って言える。  でも十年前、中学二年の時の俺は、そんな未来が来るなんて全く信じてはいなかった。  どんなに時代が移り変わっても俺だけはきっとゲイである事をひた隠し、自分の本当の姿を隠して普通に女と結婚しパパになっていた。  まあ、それでもいい人生だと嘯うそぶいて。 「あ〜…マジで?マジでへこむわ…何でなくなっちゃったんだよう」  故郷に錦と言ほどけではないけれど、十年ぶりに帰ってきた故郷で俺を待っていたのは二つのショッキングな出来事だった。  一つは通っていた中学校が無くなっていた事。そしてもう一つは、俺の秘密の花園だった古本屋が跡形もなく消えていた事だ。  俺はだだっ広くなった空き地の前で呆然としゃがみ込み、ジタバタと頭を掻きむしって嘆き悲しんでいた。 「もしもし、そこの悲嘆に暮れてるお兄さん、どうしたんです?」  その声に顔を上げると目の前には四十そこそこの若者というには覇気がなく、おっさんというにはまだ早い男がコンビニの袋をぶら下げて立っていた。  サンダル履きで髪がモシャモシャで無精髭の冴えない中年男。 「ここには確か古本屋がありましたよねえ?」 「ああ、あったねえ」 「いつ無くなったんですか?」 「かれこれ五年になるねえ」 「五年?!なら五年前にはまだあったのかクソっ!来るのが五年遅かった!無くなる前にもう一度来たかったのに!」  そう言って嘆くと男は黒縁の眼鏡のフレームを指で押し上げながら、俺の隣に同じようにしゃがみ込んで必要以上に食いついた。 「何で?どうして?古いばっかで大した店でもなかったじゃ無い」 「俺には大した店だったんですよっ!何せ人生が一変した場所だったんだ。俺ね、こう見えてゲイなんです!」  堂々と言ってやった。  だがその人は表情も変えずに俺の方をじっと見てきた。 「ば、馬鹿だと思うでしょ、見ず知らずの人にこんなに堂々と言っちゃうなんて。 俺ね、こんなふうに明るいゲイ人生を歩めたのはこの店のいえ、この店の店員さんのお陰だと思ってるんです」 「へえ、それは興味深いね」  身を乗り出してくるこの男には人をリラックスさせるオーラがあった。なんでも話したくなるような不思議なオーラだ。 「この店、新刊と古本がごちゃ混ぜで平積みになってるような店だったんです。まあ、それが俺は好きだったんですけどね。 ある日アイドル雑誌の中に紛れてゲイ雑誌が一冊紛れていましてねえ」  そう、それが初めて俺がゲイというものを認識した時だった。  溌剌とした可愛い女の子の表紙に混じってその本は異彩を放っていた。  何故ならその本の衝撃たるや、まともに女性のグラビアすら見たことのない中二男子にはそれはそれは異次元極まる衝撃だったからだ。  好奇心から恐る恐るページを開いた俺の目に飛び込んできたのは色黒で歯の白い男の盛り上がった胸筋や割れた腹筋。オイルを塗られてテカテカとした男達があられもない姿で絡み合う。淫靡で卑猥な肌色の衝撃。 「俺ねえ、それを見た時、初めて自分は女より男の方が好きなんだなぁって分かったと言うか…。自覚させられたって言うかね。 それから俺はその本を俺だけが分かる場所に隠して毎日のように隠れてコソコソと見に行ってたんです。 そこが唯一、俺の秘密の花園だった。 同年代の友達は皆んな普通に女が好きだったし、俺だけがおかしいんだって随分悩んでた。男の裸に甘美な気持ちを募らせてるなんて誰にも言えやしない。 あの頃はこんな俺は変態で、俺は悪い事をしているんだって後ろ暗い気持ちでいっぱいだったんだ。 そして何度目か通ったある日、とうとう俺は若い男の店員さんに見つかってしまった…」  ふんふんと俺の話を聞いていた男はコンビニの袋から取り出したコーヒーの缶を俺に差し出した。 「ま、おひとつどう?」 「あっ、えっ、どーも。遠慮なく…」  喋って喉がカラカラな俺にはありがたい。  何故見知らぬこの人にペラペラと昔の事など話しているのか自分でも分からなかったが、俺はグビグビとコーヒーを飲みながら話を続けた。 「店員さんに見つかった俺は万引きしたわけでも無いのに挙動がおかしくなって、まずい事に店員さんの足元にそのゲイ雑誌を落としちゃったんだ。 だけどその店員さんは俺を咎めもせずにその雑誌を拾い上げて「ああ、ここに紛れていたんだな」そう事もな気に言って俺に笑いかけてくれたんだ。 罪悪感でいっぱいの俺は泣きながら何故かごめんない、ごめんなさいと謝っていた。でもその人はそんな俺の頭に優しく手を置いて言ってくれたんだ。 君は謝らなくて良いんだ。謝る必要なんてどこにもない。男の人を好きになることは悪いことじゃない。 本当、本心、本物、本来。これらの漢字は小説の本と同じ「本」と言う漢字が使われてるだろう? 小説も虚構の世界であれ、夢の話であれ、そこにはその人の本当の言葉が綴られてる。だから面白いし楽しいんだ。自分を偽るよりー』 俺がそう言った時、その話に被せるように男が口を開いた。 「自分を偽るより、自分の本当を生きた方が楽しいに決まってる。そうだろう?」  目の前の髭面の男が、あの時、店員が言った言葉を一語一句違わずに言ったのだ。俺の人生を変えたあの一言を。 信じられなかった。 「…え、なんでそれを…!」 「君、随分大きくなったね」  その時、あの若い店員の顔と目の前の髭面男の顔が重なった。 「えぇぇ?!うわあ〜っ!ど、ど、どうも、お久しぶりです!」  俺の顔は途端に火を吹いたように真っ赤になって、そこからは軽くパニックだった。  俺は彼に何度も何度もお辞儀をし、彼は困った顔で駐車場の脇に建つ家を指差した。 「そこが僕の家で、この駐車場は君の言う古本屋だった場所だ。僕はそこの店で当時アルバイトしててね、ああ、君があの時の子か。懐かしいなあ。 立ち話も何だし、今更だけど中でお茶でも飲んでかない?」 「いやっ、でも俺ご、ご迷惑じゃ!」 「ここにいられるよりはねえ…」  まるで不審者じゃん?と、髭面が笑った。あの時と同じ優しい笑顔で。  時間が一瞬にして俺を中二の夏に引き戻していた。 「どうする?来るかい?それともやめる?」 「…お、お、お邪魔しますっ!お邪魔でなければ!」 「あっはは!変な言い方だね、若いくせにダジャレかい?」  貴方に言いたい事がある。  貴方のお陰で俺は今、胸を張って生きてます。  俺の秘密の花園は無くなってしまったけど、その代わり、あの時花園に住んでいた懐かしい住人に出会った。  それはゲイに目覚めたばかりの俺が、初めて好きになった『男の人』だ。
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