蓬莱

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蓬莱

「いらっしゃい」  40代の女性が声をかけた。  白い割烹着姿で、手を拭きながら愛想よく笑う。  背は文月より頭一つ分小さい。  文月は進み出て銀の名刺入れを取り出す。 「私は、コンサルタントの文月 優斗(ふづき ゆうと)です」  両手でつまんで差し出したが、ひょいっと片手で取って眺めていた。 「瑞樹 (みずき)るりです。  文月と一緒に仕事をしています。  ご連絡いただき、早速調査に参りました」  2枚の名刺を左手の親指と中指、人差し指でつまんだまま奥へ引っ込んでいった。 「この店一筋でやってきたんだろうな」 「名刺の受け取り方ね」 「それだけじゃない。  手がグローブみたいに硬くなっていた。  ずっと水仕事をしていたせいだろう」  厨房の暖簾を上げて40代の男が顔を出した。 「あんたが、コンサルさんかい。  片付け物しながら、話しようか」  2人を厨房へと促した。  だが、 「いえ。  作業しながらできるお話ではありませんので、こちらで待たせていただきます」  きっぱりと言うと、空いている席に腰かけた。 「賄いで良ければ出すけど、食べるかい」  メニューを調べるつもりだったが、賄いをいただくことにした。 「おばさまは、このお店でずっと働いているのですか」 「あらあ、おばさまだなんて。  おかみさん、おやじさんでいいよ」  二カッと歯を見せて笑う。  言葉も振る舞いも大衆食堂のおかみさん、といった雰囲気である。 「それで、瑞樹ならどんなプランを描く」  作り笑顔を消して、眼の端に光を帯びた。  メニューを眺め、少し唸ってから、 「看板を目立つようにして、国道から家族連れが入れるようにすればいいと思うけど ───」  また唸って店内を見回した。  客は一人もいなくなっていた。 「そういえば、POSシステムあるのかしら」 「ないね。  レジを見たところ会員カード、スタンプカードの類もない」 「まずはそこかなあ」  苦し気な表情を浮かべる。  本質的な解決にならない気がしていたが、コンサルタントとして何を指摘すればいいか袋小路に迷い込んでしまった。  文月は32歳だが、フランチャイズチェーンのコーディネートを何社か経験していた。  昨年独立起業して、ときどき仕事をしては家に引きこもる生活をしていた。 「文月さんって、いつも何してるんですか」  丁寧だが唐突に直球が投げられて文月はハッとした。 「えっ。  俺 ───」  厨房では皿がカチャカチャ音を立て、鍋の乾いた音が響く。  夕方の仕込みを始めたのかも知れない。  まだ時間がありそうだった。  入口に下がった暖簾(のれん)には「蓬莱」と雲形模様が染め抜かれている。  デザインセンスはなかなかのものだ。 「本を読んでるよ」 「どんな」 「デザインと、マーケティング、小説、エッセイの本とかプログラミングとか」 「何でも読むんだね」 「ああ、何でもだよ。  最近宇宙ビジネスのこと調べてる」 「へえ」  瑞樹は話しながら人差し指をくるくる回している。 「もしかして、煮詰まって時間稼ぎしてないか」  ガックリと肩を落とした。 「その通りです ───」
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