水の底

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水の底

 水の中は不思議と苦しくなかった。なぜか息もできたし、目も開けられる。しかし周りは暗いままで、どこにいるかわからない。下へ落ちながら、時折水流によって流される。無力な海藻にでもなった気分だ。  底に足がついたとき、遠くに明かりが見えた。近づいてみると、そこは平たい大きな岩場だった。上から一筋の光が差し込む様子は、さながらスポットライトが照らす舞台。見上げると、白い紙吹雪のようなものが舞っていた。水中の風花とともに声が降る。 「さようなら」 役者は去り、ただそこに世界だけが残る。 「さよなら、■■■■■」 私も声を絞り出す。  光の向こうに扉が現れた。実家の台所が見える。  去りゆく者の名残を後にし、私は扉に向かう。
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