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「…… 大丈夫です」
そう答えると、倫太朗さんの眉が悲しそうに曲がった。
「緒都を好きだと言っておきながら、俺は緒都の事を何も知らない。知りたいんだ… 」
知ったら、俺を軽蔑する筈、好きだと思う気持ちなんか途端に吹っ飛ぶ。
話せない… でも、倫太朗さんと離れたくない、でも…
俺の顔が酷く歪んで、掴まれている手首が強くて、
「… 痛い」
ひと言、小さく言うと倫太朗さんは慌てて手を離した。
「ごめん、強く握り過ぎた」
ああ… どうして?
大紀なら痛いって言っても絶対に離さない、だから、離されないと思ったのに、手首の温もりが、スッと消えてしまった。
倫太朗さんが、掴んでいる腕を離したから俺は今、ここから逃げ出せる。
どうする?
逃げ出したら、もう倫太朗さんには会えない、会わない覚悟をするんだ、いいのか?
倫太朗さんと会えなくなるなんて嫌だ、俺は俺の人生を取り戻すんだ。
だから、逃げない。
「… あ、の… 今は… 話せない、んですけど… いつか… いつか、ちゃんと…… 話し、ます… と言うか、聞いて、貰え… ます、か? 」
俺なりに意を決して倫太朗さんに話した。
「勿論、いつまでも、待つよ」
少し涙を滲ませて、倫太朗さんが微笑んで言う。
「もう一度、キス、していい?」
上目遣いで不安気に訊く倫太朗さんの様子が何だか可愛かったけど、途端に周りが気になりキョロキョロして、赤い顔で俯いた。
周りをキョロキョロとした俺に、
「あっ、ごめん… 外、だったね」
倫太朗さんも今気付いたのか、少し赤い顔をしながら、それでもチュッ、と素早くもう一度、俺の唇に軽く触れた。
自分からしておいて、きっと俺より赤い顔、
「さて、と、今日もありがとう。バス停まで送って行ってもいい?」
まだ赤い顔が戻らないまま、倫太朗さんが車のバックドアを閉めながら訊いた。
コクン、と頷いて二人で並んでバス停へと向かう。
ほんの少し触れた指先、「あっ」と思って自分の方へ少し手を引き戻すと、ぎゅっと倫太朗さんが手を繋いできた。
指が絡み合い、恋人繋ぎ。
指先から、掌から、倫太朗さんの温もりが伝わってきて、ドクドクと心臓が激しく打つ。
何か話してくれればいいのに、倫太朗さんは黙ったままだから、鼓動が聞こえてしまいそうで焦る。
何の会話も交わさないまま、バス停が見える所まで歩くと、バスが来た。
「あっ!緒都っ!急がないとっ!」
繋いでいる手を引っ張って、走り出そうとする倫太朗さんを止めた。
「… つ、次の… バスにする… 」
止まって振り向いた倫太朗さんが、嬉しそうに笑顔を見せた。
凄く、幸せ。
違う曜日の手伝いは恐らく今は無理、これからだってどうなるかは分からないけれど、金曜日に会えるこの時間がとても大切。
診療の予約時間を早くして、少しでも早く倫太朗さんのおにぎり屋さんを手伝った。
金曜日、大紀は朝から授業が詰まっていて、友人と一緒にいる時間が多いようだ、普段頻繁に来る連絡も金曜日には殆ど来なくて、それも嬉しかった。
いつ大紀に気付かれるか不安だから、倫太朗さんとメール先の交換もしていない。それでも倫太朗さんは「大丈夫、待つよ」と事情を知らないまま、微笑んでくれる。
「今日も完売するのが早かったな!緒都が手伝ってくれるからホントに助かる」
この頃になると、三分の二程が売り終えている位からは手伝えていた。
二人で片付けをしている時、
「すみません、今日はもう完売してしまって!」
倫太朗さんの声に俺も振り向いた時、息を呑み体中が凍りついた。
「やっぱりね、おかしいと思ってたんだ」
無表情な顔の大紀が立っていた。
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