971人が本棚に入れています
本棚に追加
引き寄せられる様におにぎり屋さんに足が向かい、ショーケースの前に呆然と立っていたのを思い出すと今でも恥ずかしい。
「いらっしゃいませ、何にしますか?」
「………… 」
本当に恥ずかしい、何も言えずに背の高い彼をずっと見上げていた。
俺だってそんなに背は低くない方だ、185cmは優に超えている様に見えた。
「ど、どうした?かな?」
「あ… と… え、と… 」
慌ててショーケースに視線を落として、何を食べようとか考えずに、目に入ったものを注文した。
「お、おかか… と、こ、昆布… のおにぎり、ください…… 」
「おかかと昆布ね、はい、待っててね」
ショーケースからおにぎりを取り出す彼の仕草をジッと見つめた。
なんて整った顔をしているんだ、頭に被っている深緑色のバンダナが似合い過ぎて彼の顔が綺麗な花に見える。
「はい、おまちどうさま、四百二十円ね」
「あ… はい… 」
急いでバッグから財布を取り出したはいいけど、普段現金なんて使わない、病院までのバスだって全部電子マネーで、買い物はモバイル決済が殆ど、一万円札しかない事に気付いた。
「あの… すみません… こまかいお金がなくて… 」
申し訳なさ過ぎて、恐る恐るコイントレーに一万円札を乗せたけれど、
「大丈夫ですよ、気にしないで」
ぱぁぁぁっと、一気に周りが太陽に照らされた様な明るい笑顔を見せられて、逆に顔が引き攣った。
「じゃぁあ、九千五百八十円のお返しね」
元気な声と眩しい笑顔に、釘付けになって固まる。
「ありがとう、また来てね」
その声に我に返り、震える手でお釣りを集めて、こくりと頭を下げた。
財布に入れる様子がモタついても嫌だから、そのままバッグに九千五百八十円を放り込み、おにぎりの入った紙袋を受け取る。
また来てね… って言ってくれた。
チラッと後を振り返ると、別のお客さんと話している。
そうだよね… 唇を軽く噛んでおにぎりの入った紙袋を胸に抱き、帰りのバスを待った。
おかかと昆布のおにぎり… 目に入ったのが苦手な物じゃなくて良かった、ふふっと一人で笑った。
翌週からは、ちゃんと細かいお金も用意した。
百円玉十枚と十円玉十枚、おにぎりの値段は十円単位だったから、これより細かいお金は要らない。
おにぎりを買う、彼に会える、それだけでドキドキして胸が弾んだ。
おにぎりを売り切って帰り支度をしている彼。
そうか、いつもより俺が遅かったんだ、文庫本を開いたまま彼に目を奪われていた。
お洒落な二段台車に空の番重なんかを乗せて、引き揚げようとしている姿に淋しさでチクリと胸が痛む。
ふと目が合ってしまい、慌てて逸らしたけれど、視界の端にこちらに寄ってくる彼が見える。
え? 誰かいるの?
少し目を動かし、後ろを確認する。
「いつもありがとうね」
小走りで寄ってきて俺に笑いかけた彼は、バンダナを外している。
耳にほんの少し掛かるサイドの髪と、アップバングが更に爽やかさを演出していた。
それでも垂れている髪はサラサラで、清潔感がいっぱい。
ドキドキした。
俺… に言ってるんだよね。
思わず後ろを、今度は思い切り振り返って確認した。
「名前は?」
「え?… あ、入月緒都… です… 」
あまりに爽やかに訊かれたから、黙ってしまう方が変に感じる、思わず答えてしまった。
「おと? いい名前だね」
にっこりとされて、頬がポッと赤くなったのが分かる。
心臓が破けてしまいそうな程に、鼓動が激しい。
こんな感覚、生まれて初めてだ。
最初のコメントを投稿しよう!