恋の始まり

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「どう書くの?」 「糸へんに者… 一緒の緒にみやこ、です」 「綺麗な名前だ、凄く似合ってる」 そう言われて、聞こえてしまうのではないかと思える程に鼓動が激しく打った。 「おにぎり、どう?」 「あ… 美味しいです、とっても… 」 「ってさ、そう答えるしか無いよね、作ってる本人から訊かれたらさ」 ケタケタと笑う姿が気さくで、見た目のカッコ良さとのギャップが凄くて、ますます心を奪われてしまう。 「… おにぎり、… ご自身で作られているんですか?」 「固いなぁ〜、そんな丁寧な言葉使わなくていいよ、緒都くん」 えっ!? 緒都、くん… ? いきなり名前呼び? どうしよう… 卒倒してしまいそうだ。 「そう、全部俺が作ってんの、緒都くんの好きな昆布の佃煮も俺が作ってんだよ」 正方形のテーブルの正面に腰を下ろして肘を突き、手のひらに顎を乗せると目を細めて笑う。 「萩本(はぎもと)さーん!」 少し離れた所から、病院の職員の様な人が呼んでいる。 「いや、荻本(おぎもと)だから〜」 笑いながら立ち上がると、 「じゃあね、また来週ね」 俺に向かって手のひらを見せて軽く左右に振る。 「萩本さん」 「だから、荻本だって」 「あ、すみません… 」 「いいよ、慣れてるから」 あははは、と笑って職員の背中を叩いている。 名前を間違えるって凄く失礼な事だけど、相手に気を遣わせない言い回しや振舞いがとてもスマートだった。 やっぱり、あのプレート『荻本倫太朗』ってあの人の名前なんだ。 倫太朗さん… 俺も心の中で名前を呟いた。 今まで十九年間生きてきて、誰かに会いたい、お話しがしたい、なんて思った事なくて、初めて感じる変な感覚。 ドキドキして、ソワソワして、逸る気持ち… なんだろう、それに倫太朗さんを思うだけで自然と口元が緩んで頬が赤くなって、胸が苦しい。 帰りのバスの中でも、口元はずっと緩みっぱなしだった。 「遅かったね」 家に帰ると、いつもなら夕方遅くに帰ってくる大紀(だいき)が既に帰ってきていた。 「あ… ちょっと病院… 混んでて… 」 「お昼は?」 「… 食べた」 「何を?」 「… 病院のコンビニでおにぎりを買って… 」 「どこで食べたの?」 「………フリースペースの… テーブルで…… 」 「緒都にそんな事、出来たの?」 一つ歳上の義兄、大学二年生。 母親の再婚相手の息子で、初めて会ったのは俺が小学校五年生の時だった。 その時、大紀は六年生で、とても良く面倒を見てくれたし、中学に入ってからも一学年上に大紀がいる事で俺は怖いものなしで学校に通えた。 成績は優秀、運動神経も良くて女の子にもそれはモテていて、しょっちゅう告白をされていたけれど誰とも付き合った事はない。 何故って…… 「金曜日は僕の都合が合わないから、違う曜日に変えて貰えるか、先生に訊いた?」 「… 先生は金曜日しか都合がつかないって言ってた」 嘘を吐いた。 先生には訊いてない、俺は金曜日に病院に行きたい。 以前、水曜日だった時には、いつも大紀が一緒に病院に付き添ってきていた。 大紀は俺を束縛したい、独占出来ればそれでいい、だから、彼女とか興味が無かった。 そして、高校に行けなくなった俺に、献身的に尽くしてくれた大紀だけど、その原因は大紀にある。 中学三年生の時に、大紀に関係を持たれた。 それから大紀の、俺に対する溺愛と過干渉と執着に酷く悩んで眠れなくなり、他人と上手くコミュニケーションが取れなくなった。 毎週、通っているのは心療内科。 俺の様子を大ごとにして、大紀は俺を雁字搦めにした。 でも、大紀との事は医師には話せずにいるから、前になんか進める筈がない。 眠れない夜の睡眠導入剤を貰えれば、俺はそれで充分だった。
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