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「たまには違うのも食べてみてよ」
おにぎりが完売して、帰り支度を終えた倫太朗さんが俺と同じテーブルに座る。
最近は、こうして少し話しをする様になった。
読んでいない文庫本を閉じてバッグに入れる、気持ちを悟られないようにするのが大変だ。
今日は、違うおにぎりを注文しようと思ってたのにな… 。
倫太朗さんのそんな言葉に、少し瞬きが多くなる。
「は… はい… あ、次は、ツナマ… 」
「でもさぁ〜、俺さ、昆布の佃煮は結構な自信があるんだよね、緒都くんに食べて貰えて嬉しいんだ」
俺に喋らせないつもりかな… 。
でも、次から次に話し続ける倫太朗さんが眩しかった。優しい笑顔、お喋りだけど落ち着いた声。
倫太朗さんの顔をジッと見入ってしまう。
「緒都くん、何歳?」
「… あ、十… 九、歳です… 」
「大学生?」
「………… 」
思わず黙り込んでしまう。
何もしないでずっと家にいる、バイトだってしていない、なんて言おう。
「何にも… してないです… 」
正直に答えた。
嘘を吐いたら、そこからまた嘘が重なる。倫太朗さんとは嘘の話しはしたくなかった。
「そうか、じゃあ、時間は結構あるのかな?」
何もしていないという俺に特段驚く様子もなく、笑顔で会話が続いた。
「…… ま、まぁ… 」
結構どころか、時間なんて腐るほどある。
「俺の仕事、手伝わない?」
眉をクイっと上げ、唇を閉じたまま口角も上げた顔は悪戯っ子みたいで、またもそのギャップに胸がドクンッと打つ。
「え?… 」
思わず声が出た。
「あ、ごめんごめん、俺、自己紹介してなかったよな… こんなに話してたくせにな。荻本倫太朗、二十四歳、独身、おにぎり屋やってる、ってそりゃ知ってるか」
はははっ!と笑って、「どう?」と今度は俺を凝視した。
二十四歳、独身… 心の中で反復する。
倫太朗さんの傍で? 夢みたいだ… でも、そんな事、出来る筈がなかった。
今、こうして倫太朗さんと話している事さえ、バレたら病院を変えさせられる。
話していられるだけで、幸せだ。
絶対にバレちゃいけない。
大紀に知られたら、全部失くなる。
俺の犯している金曜日の罪… あまりにも素敵すぎて、ずっと、ふわふわとした夢の中にいる様だった。
軽く左右に二度ほど首を振った。
「そっか… ごめん、ごめん、気にしないで、急に変な事言ってごめんね」
明らかにガッカリした様な倫太朗さんの顔に、チクリと胸が痛む、
おにぎり屋さんの『食品衛生責任者』のプレートを見て、倫太朗さんの名前は知っていた。でもそれだけで、互いの年齢だって今日知った。
深入りをしたら駄目だ、きっと今以上に倫太朗さんを好きになってしまう。
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