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<4・フルートのセシルⅣ>
この世界は、音楽が作っている。
そう呼ばれるほど、この国は音楽によって動くものが多い。例えば病院では、人の心のみならず傷や疲れをも癒すことのできる音楽が流れていることが多い。レストランでは、より一層料理が美味しく感じられる音楽を、お菓子屋さんでは食欲をそそる音楽をといった具合だ。
これは気分の問題でもなんでもなく、“力ある音楽家が奏でる音楽や歌にはそれだけの効果がある”と実証されているからこそ。それこそ、悪人を自白させるために音楽を用いることもあるし、モンスターと戦う軍人や傭兵たちが音楽を使って相手の行動を制限させたり弱体化させるなんてことも屡々あるのだ。
ゆえに、本業でなくても音楽のスキルを持っている人間は少なくない。一般教養科目としてもかなり重要視されていると言っても過言ではないほどだ。
裏を返せば。悪意をもって音楽を用いる人間がいれば――人やモンスターに、悪影響を齎すことも少なくないわけで。
「うわぁ……」
チャドは呆れ果ててしまった。自分とマーヤが営む楽器店は、一階が店で、二階より上が居住区になっている。今は自分達しか住んでいないが、時々賃貸として人に貸し出すこともある部屋が複数存在しているのだ。建物は四階建てで、屋上がある。屋上は五階の高さになるので、そこまで上れば遠くまで見渡すこともできるわけだが。
南の方からもくもくと煙が上がっている。そして、時折響き渡るのは、ずしん、ずしんと重たく踏みしめるような足音と、モンスターの唸るような咆哮だ。
「オオオオ、オオオオオオオオオオオオオオオオオ!」
モンスターの言葉などわかるはずもないが、それでも激しい怒りは感じ取れる。隣でマーヤが双眼鏡を取り出して煙の方を見た。
「わあお。……グレージャイアントじゃん。森の奥の方にいるモンスターが、まさか町まで出てくるとはねえ」
「出てくるだけの理由があったってことでオッケ?」
「だろうね。ジャイアントのすぐ傍で、貴族様の馬車がひっくり返ってんだもん。そんでもって、馬車の前で尻餅ついて漏らしてんの、あの男爵夫人のオバさんだね。御者さんは気絶してるかも。ほっといたら踏みつぶされちゃうなー。オバさんは手にフルート持ってる」
「何を呑気な……」
ああやっぱりか、と頭痛を覚えた。
恐らく、苛立ち混じりに男爵夫人がフルートを吹き鳴らしたのだ。よっぽどチャドに救世楽団への入団を断られたのが腹立たしかったらしい。
そして、悪意のある演奏が、森の方からモンスターを呼び寄せてしまったと考えられる。よほど不愉快な演奏だったのか、あるいは興味を惹かれる演奏だったのかは定かでないが。
「グレージャイアント、トロいけど体がでかいし、パワーがあるからあのまま進まれると面倒くさいよ。少なくとも、一歩進むごとに建物が踏みつぶされるのは間違いなし。でもって、あのオバさんは間違いなく殺されちゃうんじゃないか?憲兵もそのうち駆けつけてはくるだろうけど、街中で派手な闘いをするとそれだけで被害が甚大だと思うんだけど」
どうする?とマーヤがこちらを振り返ってくる。こう尋ねてくるということは、彼女もおおよそ正解がわかっているということだろう。
仕方ない、とチャドは決断を下した。自分の愛する町を、こんなことで滅茶苦茶にされてはたまらないというものだ。
「マーヤ。……トロンボーンの準備してくれ。大急ぎで」
「しょうがないねえ」
彼女は肩をすくめる。
「やるだけやってみるよ。でも、あたいの腕じゃ足止めが精々だ。あたいはあんたと違って、そこまでこの町に思い入れなんかないんだから……ヤバくなったら撤退するからね?」
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