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マーヤはトロンボーンが吹ける。そして、小柄な少女の見た目でありながら彼女は腕力も体力もある。そこそこ重たいトロンボーンを抱えて町の南まで疾走するくらい、わけないことだとチャドは知っていた。
謙遜はしていたが、彼女の曲ならばグレージャイアントにも一定の効果があるだろう。ただし、モンスターを完全に操ったり、心変わりを促すほどとなると相当なベテランでなければ難しい。――今、チャドが知る限り、それくらいのスキルがありそうな人間はこの町に一人しかいない。
マーヤが楽器店を飛び出していくのを見送るや否や、チャドも町の北方面へ全速力で走った。もしも今日、あれが具合を悪くして寝込んでいたらどうしようかと正直思っていたのだが。
「セシル!」
幸いにして、美しい銀の髪の彼は家の外に出てきていた。轟音に驚いたのか、丘の上から町を見下ろして茫然と佇んでいる。
「ちゃ、チャドさん!南の方から、轟音が……!何が起きているのですか!?」
「グレージャイアントが襲撃してきたんだ。暴れて手がつけられなくなってる!」
「えええ!?」
チャドはセシルに、おおよその状況を説明した。自分に救世楽団入りを断られた貴族の女性が、恐らく乱暴な演奏をしてモンスターを呼び寄せてしまったこと。彼女も町の人もモンスターに襲われて殺されそうになっていること。そして、そのうち憲兵が駆けつけてくるだろうが、王国の武器で派手にドンパチやったら最後、町の被害が大きくなる懸念があるということなどなど。
「セシル、お前さんの力を貸しちゃくれねえか?」
どかん、どかん、どこん。重たい足音や人々の悲鳴は、離れたこの丘の上まで聞こえてきている。
「こうしている間にも、怪我人は増えていると思う。早くなんとかしねえと死人も出るし……パニクってるだけであろうグレージャイアントがこのまま憲兵に討たれるのも正直気の毒だ。今、うちのマーヤが足止めに行ってるが、そんなに長い時間はもたねえと思う」
「マーヤさんが……」
その時、微かにトロンボーンの音色が聞こえてきた。フルートと比べると厳かで、それでいてチューバよりは柔らかく高い音。吹奏楽やオーケストラでは中音域や低音域を担うことの多いトロンボーンは、音楽全体の厚みを支えるのに最適な楽器だと言われている。
そして、時々メロディーを任されると高音域の楽器とはまるで違う温かい音色で人々を包み込んでくれるのだ。実は、金管楽器の中で最も大きな音が出せる楽器だと言われているのはあまり知られていない。そのせいで、トロンボーン奏者は練習場所がなくて困っているという話もよく聞くのだが。
「これ、マーヤさんの音?なんて勇ましい……」
セシルは戸惑ったように、南の方を見た。
「素晴らしい演奏です。でも……でも、私はマーヤさんのようには、戦えません」
「何でだ」
「お伝えしたはずです。私には肺活量がない。ここからあの場所まで行く間に息が上がって演奏するどころではなくなるでしょう。きっとあの場所に行ったところで役になど立ちません。それに……音楽を戦いのために使いたくはないのです」
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