10人が本棚に入れています
本棚に追加
きっと、今日もフルートを吹くつもりではいたのだろう。既にその手には楽器が握られている。太陽の光を浴びて、銀色の笛がキラキラと輝いていた。
「私は、自分が弱者だという自覚があります。裕福な家庭に生まれていなければ、今日まで生き延びることもできなかったでしょう。だからこそ、自分の音楽は人に寄り添うものでありたい。誰かを傷つけるために、力を使いたくはないのです」
なるほど、彼が救世楽団に入るのに一番躊躇していたのはそこだったらしい。
確かに、救世楽団は竜神に音楽を捧げるための楽団とされてはいるが、その詳細についてはチャドさえ知らないことも多いのが実情だ。楽譜は渡されているが、いつ、どのようにして演奏するのかについて詳しいことを知っているのは王様だけなのである。
そして、実は竜神を慰めるのではなく、倒すため音楽なのではという説があるのも事実。もしそうならば、セシルの主義主張に反するものだろう。
しかし。
「だったら、あの場所まで、俺がお前をおぶっていくよ。それでどうだ?」
ここで退くわけにはいかない。
チャドは彼の真正面に立ち、まっすぐに彼の目を見て告げた。
「それにな。……俺は、お前にグレージャイアントと戦えとは思ってねえし、竜神様と戦うべきとも思ってねえ。俺もお前と同じ考えた。音楽は、誰かを傷つけるための道具じゃねえよな。言うなればそう、人を幸せにする魔法だと思ってる。例え今、この世界でどれだけの音楽が争いの道具にされていたとしても、だ」
「チャドさん……」
「気分を高揚させる音楽や、人を不愉快にさせるだけの音楽を演奏できるやつはごまんといる。でもな、本当に人の心を癒し、幸せにできる音楽が演奏できる奴はごく僅かだ。……俺はさっき、お前の演奏を聞いて確信したんだぜ?こいつなら……こいつなら、竜神様を傷つけず、人々の心を癒す曲を奏でられるってな」
それに、とチャドは続ける。
「今回はむしろ、お前みたいな奴の出番だろ。俺はお前に、グレージャイアントを倒せと言ってるんじゃねえ。その音楽で、救ってやってくれと頼んでるんだ。あのままあいつが暴れてたら、憲兵が来てハチの巣にされるのは目に見えている。穏便にあいつを森に帰せるのは、この町じゃきっとお前だけだ。……それでも、そのフルートを吹くのは嫌か?」
「…………」
詭弁だと、そう言われても仕方ないとわかっていた。結局グレージャイアントの心を捻じ曲げる理由を作っているだけではないか、と。
でも、チャド自身嘘を言っているつもりもないのである。
捻じ曲げるのではなく、強要するのではなく。自ら正しい選択をさせることができる、そういう力をセシルなら扱えると。自分はそう信じていると。
「……チャドさん、私を……」
やがて、決心したようにセシルは顔を上げたのだった。
「私を、指定する場所まで連れていっていただけますか」
最初のコメントを投稿しよう!