<5・フルートのセシルⅤ>

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 この言葉。もしかしたら彼は、“特定の対象に魔法をかける”ような音楽の使い方にも長けているのかもしれない。音色の飛び方、飛ばし方を熟知している印象だ。  よいしょ、とセシルを背負い直すと、マンションの外階段を駆け上がるチャド。屋上に辿り着いた時は流石に息が切れていた。自分ももう少し体を鍛えた方がいいかなあ、なんてことを思う。流石に四十歳にもなると体力の衰えも感じ始めてくる頃だ。同時に、魔法耐性も身に着けておいた方が良いのだろう。マーヤの腕がそれだけ上がってきているというのもあるのだが。 「頼む、セシル!」  チャドがしゃがみこんで叫ぶと。セシルはこくりと頷いてフルートを構えた。強い風が吹く。彼の長い銀髪が靡き、太陽の光を浴びてキラキラと輝いた。まるで星屑を纏ったように。  そして。 「――――……!」  最初に聞いたのとは、まったく違う曲。  その音色を聞いた途端、チャドの脳内に広がったのは、満天の星空と崖の上に佇む二つの人影だった。崖の上、今にも飛び降りようとしている青年を、もう一人の青年が必死で止めている。  とても悲しいことがあったのか。とても辛いことがあったのか。あるいはこの世の全てに怒りを感じて投げ出してしまったのか。苦しみを歌い、駆け上がるメロディは理解する。どうしようもない感情に溺れ、自分で自分がわからなくなる者を。誰かの激情を、誰かの苦悩を。  次の瞬間、もう一人の青年が彼を抱き寄せた。温かく包み込むような友愛。高く優しい音色が、友人を気遣い囁く声を想起させる。音符たちが風を渡り、荒れた町をゆっくりと降りていくのがわかる。聞く者の心臓を震わせ、足を止めさせ、本当の己へと立ち返らせていくのだ。 ――なんて、優しい曲だ。  切なく、悲しそうな旋律が目立つが、それが本当に伝えたいことではない。その旋律を優しく追いかける穏やかなメロディ。どんな悲しみも苦しみも包み込む強い意志、それを持つ者だけが奏でられる曲だと察した。 「オ、オオオオオ、オオオオオオオオ、オオオオオオオオオ……」  やがて、グレージャイアントは少しばかり項垂れるようなしぐさを見せると。ゆっくりと踵を返し、森の方へと立ち去っていった。その背中が木立の向こうに消えるのと、騎兵隊の足音が遠くから響いてくるのはほぼ同時である。  ああ、間に合った。曲が終わるのと同時に、チャドはその場に尻餅をついてへたりこんでしまっていた。あと少し遅かったら、王様の騎兵隊とグレージャイアントでバトルが始まってしまっていたことだろう。そうなればあのモンスターはもちろん、町にも今以上の被害が出ていたことは想像に難くない。 「な、なんだよお……」  フルートを降ろしたセシルを見上げて、チャドは笑った。 「迷ってるみたいなこと言っておきながら。実際は、すんげー迷いない演奏するじゃねえか。……本当は、こういうことの為に音楽がやりたかった、って。そういうツラしてやがるぜ?」  チャドの言葉に、セシルは少しだけ頬を紅潮させて言ったのだった。 「はい。……そうだったのかもしれません、私は」
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