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ゆえに、演奏前のチューニングが欠かせない。そして、耳が良い人間は機械に頼らずとも音合わせができると知っている。チャド自身は楽器の演奏などできないが、職人である以上そういった知識は豊富だった。
――こいつ、いい耳してんな。
初夏のこの時期、気温はその日によってまちまちである。比較的暖かい日なので音も高くなるのだろうなと思っていたが、案の定彼はBの音を少し吹いてすぐ菅の長さを調整した。音を低くするためには菅を長くし、高くするためには短くする。そして彼が菅を一度伸ばしただけで、ほぼどんぴしゃりに音が合った。
低すぎず高すぎず、丁度いいBの音。B=実音におけるシ♭だ。国によってはA=ラの音で揃えるケースもあるが、この国はBの音で調整するのが一般的である。
「では」
そして、チューニングと慣らしが終わると、彼はすぐに一曲演奏し始めた。聞いたことのない曲だ。さながら、ゆっくりと丘の上を登っていく春風のように。とことこと音階を登り、時折スキップでもするように跳ね回る。そして高音で高らかに歌い上げられるトリルは、今日自慢げに男爵夫人が演奏していったものとはまったくレベルの違うものだった。
無駄な力が一切入っていない。それでいて、どこにアクセントが入っているか、スタッカートがどこか、楽譜を見なくても手に取るようにわかる。
気づけば口をあんぐり開けて固まってしまっている自分がいた。演奏が終わっても暫しその場で固まって動けなくなるくらいには。
「す、すげえ……!」
肺が弱いからなのか、少々音量は不足しているが。この程度ならば、練習次第でどうにでもなるだろう。
それよりも細かな指先の動き、息の調整、まさに素晴らしい技術だとしか言いようがない。驚いた、こんな近くに、これだけの才能が眠っていようとは。
「なんて曲だ?聞いたことがなかったんだが」
「お恥ずかしながら、私が自分で作りました。作曲が趣味なのです。今のは“丘を渡る春風”という曲でした」
「ああ、ああ、やっぱりそうか!俺にも見えたぜ、この丘の上で踊る春風の姿が!」
素晴らしい音楽家は、無意識に魔法を使っている。曲に魔力を乗せて、聞いた人間に幸福感を与えたり、時には傷を治すようなこともできるという。
今、セシルは音楽に魔力を乗せていた。聞いていたチャドの焦りも、僅かな苛立ちも、憂鬱も。全て消し飛ばしてくれるような、さわやかな魔法の音色だ。
「なあ、セシル。あんた、救世楽団に入る気はないか?あんたも知っているはずだ、この世界を救う音楽を奏でる救世楽団。竜神様を慰める音楽を演奏する者達を、俺は探してるんだ!」
このような人物に、自分の楽器を演奏してもらいたい。チャドは前のめりになって頼み込んだ。
彼ならばきっと、楽団随一のフルート奏者になれるに違いない、と。
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