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赤い魚の正体がサメだと気づくのにそう時間はかからなかった。何故なら私が覗き見ている最中に、ご主人の腹部で暴れ始めたからだ。まるでサメ映画のポスターみたいなそれは、ただただ私に恐怖を植えつけた。 サチオ君が見たらいけないと言ったにも関わらず、私は怖いもの見たさで、ご主人の中のサメに見惚れていた。時よりそのサメは円を描くよう回遊したと思ったら、何かに突進するような動きを見せたかと思えば、私には見えない餌を噛み切りるような仕草をしたりした。1番驚いたのは赤いサメが仰向けになり、泳ぎ出した事だった。私が知っている限り魚という生き物が仰向けで泳ぐ魚なんていなかった。もしいるとするならそれは太り過ぎで水中の中で泳げなくなってしまったか、もしく死ぬ間際の魚が見せる姿、そのものの筈だ。それがこのご主人の中のサメは悠々と仰向けで泳いでいた。その事も不可思議ではあったけど、それよりもどうして人間の中に魚が、サメがいるという事だった。何か象徴的な暗示か何かなのだろうか? 「どういう事なんだろう?」 覗き見しながら私はそのような事を考えた。 その思考に一瞬、集中力が奪われご主人から目を離した時だった。物凄い音が耳をつんざいた。私は慌てて隙間に顔を押し付けた。みるとご主人の足元で、奥さんらしき人が倒れていた。その倒れた人にご主人は顔を近づけ何事か言った後、周りを見渡した。 その目はつい先程、私に向かって見せた優しい瞳はどこにもなかった。ご主人は再度、周りに誰もいない事を確かめながら奥さんの髪の毛を鷲掴んだ。 引き上げると自分の方へ一旦引き寄せ、力任せに車のドアに向かって奥さんを投げ捨てた。顔面をドアにぶつけられた奥さんは両手で顔を押さえた。 泣きながら止めて!と叫ぶ奥さんへご主人は容赦なく背中を足蹴にした。鈍い衝撃音と共に奥さんは再びドアにぶつかり、地面に転げ落ちた。ご主人は素早い動きで再び周りを見渡すと、奥さんの髪の毛を掴み、家の方へと引きずり始めた。玄関のドアを開けるとご主人は再び奥さんを罵しった。無理矢理に引き摺り込もうとするご主人の中の赤いサメは、悠々と仰向けで泳いでいた。それが私がご主人を見た最後の姿だった。 2日後、ご主人は奥さんを殴り殺した後で、自らの命を絶った。風呂場で手首を切ったらしい。そのご主人の遺体を見つけたのは私の祖母だった。回覧板を届けに伺った時、玄関ドアが開いていたのを不審に思った祖母は声をかけながら、家の中へ入り、最初に居間の床で倒れていた奥さんを見つけたそうだ。殴られ過ぎて両目は腫れ鼻は変な方向に曲がっていた。 唇は半分千切れ、上下の前歯は全て折られていたそうだ。祖母は短い悲鳴を上げその場にへたり込んだ。 腰が抜けたそうだ。腕だけの力で後退りした祖母は、そのまま玄関へと向かったつもりでいたが、行き止まった先は戸が開かれたお風呂場で、段差により、タイルの床に背中を強かに打ちつけた。そこで、祖母は湯船に浸かった青褪めたご主人の遺体を見つけたそうだ。私はその時、あちこちを歩いていた為に、現場に居合す事が出来なかった。 後になって祖母からその話を聞いた私は、悲しむより先に赤いサメの事が脳裏を過った。赤いサメは、死を、つまり殺害や自害してしまう人間にだけ現れる象徴なのかも知れないと、その時思った。 それから夏休みが終わるまで、私は他人に額の数字より、赤いサメを追うようになっていた。だがそれは私が思うより簡単な事ではなかった。半月程、朝からあちこちを歩き回ったけれど、赤いサメを見ることは出来なかった。やはりご主人の中に現れた赤いサメは、とても珍しいものの様だ。だからこそ、サチオ君も強い口調で私に忠告したのかも知れない。恐らく私には想像も出来ない程の悪い気持ちを、つまり殺意に近い気持ちを持つ者だけに、その赤いサメが現れるのだろう。という事は赤いサメが現れた者はいつか誰かを殺害したりするのかも知れない。私は他人に対してそれ程までの殺意は持った事がないから、多分、私の中に赤いサメが現れる事はないと思う。 あくまで今の所はだけど。私が2階目に赤いサメを目撃したのはデパートの、今で言うショッピングモールの中にあるゲームセンターでだった。 その人は、いや、その子と言った方が正しいか。 何せ見るからにまだ小学の低学年と言った感じの小さな女の子だったからだ。その女の子は友達だろう、男の子2人と女の子1人、その子を合わせ計4人でメダルゲームをしていた。わいわいとはしゃぎながら遊ぶ姿は側から見たらとても仲の良い4人に見えた。 けれど、その中の1人の女の子のお腹の中には赤いサメが泳いでいた。いや、正確に言えばその子の中にいるサメは赤くはなく、ただのサメだった。私は不思議に思いながらその子を観察出来る距離まで近づいた。側にあったゲーム機の椅子に座った。 どうしてこの子の中のサメは赤く無いのだろう?私はそんな風な事を頭の隅で考えながら、楽しそうに遊ぶ4人を見やっていた。 その内、1人の男の子が帰ると言い出した。 どうやら夕方から家族で出かける用事があるようだった。サメの女の子を除いた2人はは批判めいた声を上げたが、仕方なく帰る男の子を見送った。 「僕らも帰ろうか?」 残った男の子は先に帰った男の子がいない事が余程つまらなかったのか、まだかなりの枚数のメダルが残っているのにも関わらず、それを1人の女の子に手渡すとゲームセンターから出て行った。 女の子は女の子で受け取ったメダルの処理に迷い、いきなりサメが中にいる女の子に渡して、男の子の後を追って行った。残されたサメの女の子は手の中にあるかなりの数のメダルを眺めた後、手を握りしめゲームセンターを出た。その足でエスカレーターに乗り、屋上へと向かった。勿論、私はその女の子の後をつけていった。 デパートの屋上にはシーソーや小さな回転木馬が置いてある。数組の親子連れの側を女の子は通り過ぎて行った。突き当たりのフェンスまで行くと、顔を押し付け下を覗き見た。確かそちら側はデパートの正面玄関になっている筈だ。私は女の子との距離を保ちながら、違う場所のフェンスに寄りかかる。 その姿勢のまま、横目で女の子を見やった。女の子は顔に笑顔を浮かべながら手にしたコインを一枚取り、フェンスの金網の穴に手を入れ向こうへ押し出した。まだ小さな指先に摘まれた一枚のコインが日が暮れ始めた柔らかい光に反射して煌めいている。女の子は唇を半開きにし、舌で自分の歯を舐めた。 と同時に摘んでいたコインを手放した。女の子はコインの行く末を確かめるかのようにフェンスに顔を押し付ける。が、それはどうやら出来なかったようだ。 急に膨れっ面になると次々とコインを落としていった。全てを落とし切ると女の子はムスッとした表情のまま、踵を返し屋上を後にした。私も直ぐ後を追った。エスカレーターで1階まで降りると迷う事なくデパートの正面玄関の方へ足を向けた。正面玄関の自動ドアが開く度にざわざわと騒めく声がデパート内に響き渡る。入り口の外では誰かを囲うように数人の人集りが出来ていた。それを見た女の子はすぐさま人集りのある方へ駆け出して行った。私も同じように小走りでそちらへ向かう。 人集りの中の人の話によると、上から物が落ちて来て、それが頭に当たったらしい。私は直ぐにそれが女の子が落としたコインだと思った。女の子は人集りの隙間から地面に座り込みハンカチで頭を押さえている若い男性を覗き見ると満足したのか、今にも笑い出しそうなのを堪えるように両手で自分の口を塞いだ。 そしてしばらく血塗れの男性を見た後、その場を後にした。若い男性の顔の半分が鮮血に染まり、薄いピンクのポロシャツに濃い赤い水玉のような血が点々と飛び散っている。大丈夫ですか?と言う問いかけに何度も頷いて見せた。私は女の子を見失わないよう確認しながら人集りから離れた。 女の子の家はデパートからそう遠くない所にあった。女の子の足で大体、10分程度の距離だ。 2階建ての木造アパートの1階の1室がその子の家だった。玄関の表札には青いマジックで鳥海と記されている。女の子の下の名前まではわからなかった。 私はそれを確認し終えると自宅へ戻る事にした。 女の子な名前が分からなくても、まぁ、観察対象として特に困る事もない。それよりもご主人のを見て以来、沢山の人間を見てきてようやく2回目のサメを見つける事が出来たのが、まさか小さな女の子だとは正直、驚いた。 けれどそれはかえって好都合というものだ。だってもしこれが大人の男か女だとしたら、観察する私の存在に気付くかも知れないからだ。けれど相手が女の子であればその点は必要以上の心配はいらないだろう。 きっと大人に対する程、難しくは無いと思う。 それ以上に、上手くやれば女の子に近づくチャンスもあるかも知れない。例えば公園で遊んでいる時に声をかけるとか、転んだ時に助けてあげるなどすれば、遠目から観察するより、より女の子の中のサメの事を知ることが出来そうな気がした。今はまだ、残り1週間となった夏休み期間が、今は何よりの幸運だと私には感じられた。 女の子の自宅を把握した私は翌日から女の子を、いや、女の子の中のサメの事を観察していこうと決めた。両親の存在も把握しておく必要がある。何時に家を出て何時に帰宅する、そういった情報は無駄なようで実は重要だと私は考えている。これはきっと空き巣のやり口と似てると思うけど、何にしてもあの女の子のサメはご主人のサメとは違い赤く無いのだ。 その要因を私は知りたかった。もしかすると女の子のように赤いサメ以外もいるのかも知れない。 それを確かめるにはどうしてもあの女の子を観察しなければならないわけだ。もし、サメの体が赤色に変わるものだとしたら、それは何故?というその理由は知っておきたかった。そうすれば、ご主人の奥さんのような悲劇を事前に食い止められるかも知れないから。 私は今は空き家となっているお隣の玄関先を通り過ぎて、自宅へと入って行った。
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