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思い出す
「亮介、もう少しだからな」
「……うん」
まだ幼い俺の手を引いてこの道を歩かせたのはじいちゃんだった。
「じいちゃんはな、子供の頃、この道を通って学校に通ったんだ」
「本当に走ったの? だってすげー遠いじゃん」
こんな距離、お母さんだったら車で送ってくれるよ――と俺は口をとがらせた覚えがある。小学校に入って初めての夏。
「本当だぞ。早く友達に会いたくて、朝は走っていったもんだ。それでじいちゃんは足が速くなったんだ」
ふうん、と言う声の裏で、これだけ歩いたらアイスでも買ってもらえないかな、なんて考えていた。そりゃあじいちゃんは国体っていう、すごい大会に出た、足が速い選手だったらしいけど、何十年も昔の話でしょ? と思って、でも口には出さなかった。言って、嬉しそうにしているじいちゃんを困らせたくなかった。そのくらいじいちゃんのことが好きだった。
「いつか亮が大きくなったら、一緒にこの道を走ろうな」
「……うん」
なんだかんだ、その時「僕も走ったら速いかな」と陸上に興味を持った。
ひとつ思い出せば、ずるずると記憶が芋づる式に出てくる。
足の速さを自慢していたじいちゃんは、俺が中学に上がった頃交通事故に遭った。足を轢かれて、二度と走れなくなった。お見舞いに行くと車椅子のじいちゃんは嬉しそうにしていたけど、俺はどう反応していいかわからなかった。陸上で市の代表に選ばれた頃で、走れなくなったじいちゃんに、走れる俺が会うのも残酷なように思えた。
「足の速さはおじいちゃん譲りね」と言われていた。怪我した姿が自分の未来に重なってしまう気がして、見たくなかった。「辛気臭い」とさえ思った。会いたくない理由なんていくらでも出てきて、まとまらなかった。忙しさを理由に田舎から足が遠のいた。なかったことにしようとした。
じいちゃんはそれから、風邪をこじらせて肺炎で亡くなった。
先を行く背中に意識を戻す。
少年は、横断歩道を渡ろうとしていた。
山を一つ越えて、景色が変わってきている。周りには人家が増えて、その先にじいちゃんが通っていた小学校が今もある。その向こうはじいちゃんが亡くなった病院だ。
何を考えているかわからない背中。だけど懐かしい面影があった。
きっと、あの面の下には。
思い切って言った。
「じいちゃん?」
ぴくっと、彼の肩が震えた。
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