89人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ
病室
「亮!」
母親の声だ。涙が混じった声。
目を開けると部屋がまぶしくて、まばたきした。
「亮!」
「亮ちゃん」
父親の声、ばあちゃんの声。
「……ここ、は」
やっとのことで口を開く。のどが渇いていた。
起き上がろうとして、力が入らない。
「病院だよ」と答える父親の声も震えている。
よかったよかった、一時はどうなることかと。
周りの騒ぐ声をよそに、俺は記憶が波のように押し寄せてくるのを感じていた。
夏の陸上大会、その予選で俺は足に激しい痛みを感じて倒れた。医者の判断はアキレス腱断裂。「5か月後には陸上に復帰できますよ」と聞いても、手術をして、リハビリをしても、回復に向かっている間も、暗いどんよりした気持ちがまとわりついていた。
せっかく大会に向けて頑張っていたのに。大会に仲間が出る中、参加もできずに終わった。こんな状態で、元のように走れるようになるのか。怪我で走れなくなったじいちゃんの姿がよぎる。大丈夫だろうと思っても心は焦る。
LIMEの陸上部グループには、大会の写真が上がっていて、同級生が入賞して関東大会に進む話が出ていた。誰かが「亮も来れればよかったのにな」と言ったのを皮切りに、俺への気遣いの言葉がずらずらと並んだ。
たまらずスマホを放置した。皆優しくて悪気はない。それがたまらなかった。不安な日々。勉強にも身が入らない。
夏休みも終わりが近づく。つのる焦燥感。クラスメイトにもきっと大会の結果を聞かれるだろう。学校に行きたくない。居場所がないように思えた。
そんな中、気晴らしにもなるかも、と母親が田舎に行くことを提案してきた。
「おじいちゃんの墓参りもしなきゃ」という言葉に、複雑な気持ちのまま、しぶしぶ従った。
久々の田舎は居心地がよかった。
ばあちゃんが作ったそうめんを皆で食べ終えて、セミの声を聞いて、ゆっくりしたひとときが流れる。
そこで父親がテレビのチャンネルを変えた時、マラソンの中継が一瞬、映った。
「ごめんな、亮」と言って慌ててテレビを消す父親。気まずくなる茶の間。気にしていない風を装って、ふらふらと家を出た。足が痛んだ。歩くしかできなくてみじめだった。
行くあてもなく、踏切前の道路に出た。道を渡ろうとしてもたついたところに、車が走ってきた。耳をつんざくブレーキ音。衝撃。
間に合わない……だけど、もう死んでもいいかな。
確かにその時、俺は自分の人生を諦めた。
そこで記憶は途切れ――俺は、無人の田舎で狐の面の少年と出会った。
最初のコメントを投稿しよう!