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夏祭り
まだ前の苗字の頃、俺は祭が嫌いだった。
それは、良い思い出が無いからだ。
俺の親父は売れない芸人で、面だけは良かったのもありモテていたらしい。
稼ぎは看護師の母さん任せで、親父は
「いつかビックになって、楽させたる!」
が口癖だった。
しかも女癖が悪くて、何人もの女に貢がせて豪遊するような最低な人間だった。
そんな親父は、祭りになると俺を祭りに連れて行くという口実を作り、俺に100円握らせると
「ええか。あの時計が9の所に来たら、ここに戻ってくるんやで」
と言うと、他人の顔になって人混みの中に消えて行く。
ただでさえ祭りの食い物は高いのに、100円で食べられる物などある訳は無く。
俺は境内の階段に座り、待ち合わせした女の肩を抱いて祭りの人混みの中から現れた親父が、他人の顔で祭りの雑踏に消えて行くのを見送った。
握り締めた100円が、やけに重く感じたっけ……。
階段の端に座っていると、目の前をヨーヨー風船をしながらりんご飴やチョコバナナ。焼きそばにたこ焼きと、様々な食べ物を食べて楽しそうに帰宅していく同じ歳くらいの奴等をぼんやり眺めていた。
そんな中で、俺の目を一際引いたのはピンクか水色の袋に入った綿あめだった。
境内の入口から甘い香りを漂わせ、綿あめを作っては袋に入れて行く姿を見ているだけで、時間があっという間に過ぎていた。
「新太、待たせたな」
目の前に足が見えて、見上げると親父が立っていた。
毎回、ほのかに香る家のとは違う石鹸の香りが不思議だった。
今なら、俺を待たせていた3時間の間に何をしていたのか予想は着くが……。
親父に手を引かれ、楽しそうな人達とは真逆の悲しい感情になりながら帰る祭りの帰り道は、いつも足が鉛のように重かった。
「おかえり~。新太、お祭り楽しかった?」
笑顔で迎えてくれる母さんに
「楽しかったよな、新太。あれこれ遊び回ったり、色んな物買うて散財やわ。お前からもろた軍資金、全部つこうてしまったわ」
ご機嫌に答える親父の言葉に、母さんからお金を貰っていたのだと知る。
「良いのよ。新太はいつもお家の手伝いしてくれたり、1人でお留守番してくれてるもんね。年に一度のお祭りくらい、楽しんでくれたら母さん嬉しいから」
頭を撫でられて言われて、何度
「母さん、本当はお腹ペコペコだよ」
「母さん。父さんは知らない女の人と一緒で、俺、ずっと階段に座ってたんだよ」
の言葉を飲み込んだだろう。
そして俺が小学校に入学した夏に、その生活が終わりを告げた。
いつものように階段に座っていると
「新太!」
俺を呼ぶ母さんの声が聞こえた。
声の方に視線を向けると、血相を変えた母さんが俺に向かって一目散に走って来た。
そして俺の身体を抱き締めると
「何で何も言わなかったの!」
母さんの第一声だった。
どうやら誰かが、母さんに毎年夏祭りで俺が境内の階段に何時間も座って親父を待っていると話したらしい。
「ごめんね、新太。辛かったね」
泣きながら俺を抱き締める母さんの腕の中で、俺は初めて声を上げて泣いた。
そしてこの日、母さんは俺の手を引いて爺ちゃんの家に向かった。
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