十字路

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十字路

 生気の無い目で街を彷徨う青年――――小汚いその姿は誰が見ても浮浪者にしか見えない。当てもなく足を進めながら彼は思った。    何と言うザマだ。こんな姿を家族や顔見知りに見せたくない、何より自分のプライドが許せない。  何の見通しも立てぬまま逃げるように街から出た。疲労と真冬の風に当てられ膝が悲鳴を上げている。  仕事も奪われ食べ物を買う金も無い。何故、こうも自分の人生は上手くいかない?  気付けば人気(ひとけ)の無い道。地面でひっくり返ったカエルの死骸が車に潰され内蔵が露出している。  内蔵に群がる黒く大きなハエの大群は黄泉から使わされる亡者のようだ。  魔の十字路――――街ではそう言われている。  悪魔や幽霊を見たという噂ばかり聞くが確かに異様だ、まるで異世界に迷い込んだ気分だ。  精も根も尽きかけた青年は小石につまずき無様に地面に倒れた。  寒い……手も足も感覚がない……何だか、とても眠くなって来た……。  青年の意識は次第に遠退いて行き静かにまぶたを閉じる――――。 (死ぬのか?)  誰だ……?    聞き覚えのない声。青年は最初、疲労から来る幻聴かと思った。 (おい、死ぬのか?)    彼は声のする方へ顔を向ける。    そこには卑しい顔で除き込む男がいた。  全身黒尽くめで、その顔は白目の部分は紅く、不気味な笑顔は歯が全て八重歯のように尖っている。    まさか……悪魔?  男は嬉しそうに答える。 「ご名答。お前達、人間が言う悪魔だよ。画家のお兄さん」  何だ? 私の心を読んだ? いや、まさか……。 「絵も描けず仕事も無くし救いを差し伸べる者もいない。死ぬのを待つだけ、可哀想に~」  無礼な男だ! 何の言われがあってこうも侮辱されなければならない? こいつは悪魔では無くイカれた浮浪者に違いない。  不気味な男はしゃがみ、首を傾げてこちらを見つめ何かを悩む。  男は何かを閃き顔が明るくなる。そして、道に転がるカエルの死骸に手をかざし何やら怪しい呪文を唱える。  すると――――死骸に群がるハエの大群が水飴のように溶け黒いオイルに変わると、散乱するカエルの臓器や血と共に腹に吸い込まれる。  白い皮膚が自然に縫合され腹を閉じた。  元の身体を取り戻したカエルは両足をヒクヒクと動かし反り返る。  甦ったカエルは自分が死んだことを知らないのか元気に飛び回った。  画家は目の前光景が信じられ無かった。  画家が驚愕(きょうがく)の眼差しでカエルを見つめていると、男はカエルに投げキッスをした。  突然、カエルは飛び回るのを止め動かなくなる。  しばらくするとカエルはひっくり返り、苦しそうに自分の腹をかきむしる。  やがて、カエルの腹は風船のように膨らみ画家の目の前で破裂――――内蔵と共にハエの大群が飛び出した。  画家は目の前の光景に正気を保つ自信がない。腹から飛び散る内蔵を見て男は子供のように手を叩き喜んでいた。  (ほほ)にひんやりとする感触が流れた。破裂した時、外気に触れ冷えきったカエルの血がこべり付く。  顔に付いた瞬間の血は生暖かかった……カエルは間違いなく生きていた。いや、甦っていた。こんな見技が出来るのは――――。 「悪魔……だから、さっきから言ってるだろ?」悪魔は呆れたように言う。  次に悪魔が画家の額に手をかざす。  殺される!   画家は身構え、あまりの恐怖でまぶたを閉じることも出来ず目の前の悪魔を凝視する。  しかし、画家の覚悟と裏腹に気分は楽になり、さっきまで疲労と寒さで動かなかった身体は軽くなる。画家は身体を起こし自分の身に異常が無いか調べた。  画家は新たな混乱に思考がついて行けない。  顔を上げ悪魔と目が合う。  何が目的だ?  悪魔は不快な顔付きで言う。 「おいおい、言葉を話せ! 人と猿の違いは言葉の文化を持ってるかだろ? 相手の思考を読むのは神経を使うんだ」  画家は恐る恐る答える。 「……どうして助ける?」 「人間を堕落させるだけが悪魔じゃない。人間の未知の可能性を見極めるのも悪魔の仕事さ」  あくまが――――「悪魔が人間の肩を持つなんて信じられない」  悪魔は肩をすくめながら言う。 「よく言われるよ。そのせいか人間と契約を結ぶのに時間がかかる」 「契約だと?」 「これでも俺は商売人だ。人間の望むモノを提供し代わりにこちらが望むモノを現世で人間に得て貰う。お前が欲しいものは何でもやろう。金、名声、将来」  画家は安易な提案に悪魔の真意を探る。 「代わりと言うのは私の魂か?」 「そうだな、魂は欲しい……だが、お前のじゃない」  この悪魔は何を企んでる?   画家は見据える。  ふざけた悪魔の表情は身構えた様子がなく、逆に腹の内が読み取りづらい。 「やめときな。人間が悪魔の腹を探ろうなんて土台、無理な話しだ」  こちらは心の内を読まれる一方なのに、なんと理不尽な事か。悪魔なんかと契約など冗談じゃない。  悪魔は陽気に話し始める。 「芸術大学に受験するも二度落ち、絵を売って日銭を稼いでも、評論家や売れている画家からは、模写ばかりで独創性や面白味が無いと言われる。まともな職に着いても人間関係が下手だから、すぐ追い出される。情けない限りだ」  画家は感情的になった。 「違う、仕事は奪われた! この国に流れ込んだ移民が仕事を横取りした。奴らの祖先は神殺しだ? なのに、この国へ来て我が物顔で暮らしている。それに誰も私の芸術性を理解出来ない。私を認めない社会が悪い!」 「意識高いねぇ~、何でも人のせいだな? 本心は兵役が嫌で逃げて来たくせに」 「当たり前だ! 戦争は愚かな人間がすることだ」 「口だけは偉いなぁ、とても家族から金をせしめる堕落した人間の言葉とは思えない」  画家は動揺し慌てて反論する。 「あ、あれは……仕方ない。芸術には金がかかるんだ」  悪魔は人間の見栄に笑う。 「ははは! 人間の虚栄は救いようがない。どんなに偉く大きく見せても小さき弱者には変わりないんだぜ?」  心を見透かされた画家は恥ずかしくなった。  本当は妹の学費を無断でせしめて娯楽に費やした。  それを芸術を学ぶ為と言い訳した。 「いいんだぜ、お前が悪い訳じゃない。芸術は麻薬みたいなもんだな、一度魅了されたら悪魔ですら魂を奪われる。人類が発明した虚構の麻薬だ」  人をたしなめるような悪魔の物言いは、画家にとって度々、不快に感じる。 「しかしなぁ~、そろそろ絵の才能にも限界を感じているんじゃないか?」  まったく人の心に土足で入り込み全てを悟るように語る。下世話な悪魔め。  悪魔は画家を見つめニヤける。下世話と思われることを喜んでいるように見えた。  だが、悪魔の言うことはその通りで画家はうつむきながら答えた。 「全てを諦め故郷へ帰り職を見つけようと考えた。だが父のように公務員として働くのは社会に負けたも同然だ……それに、私は人に使われる仕事は向いていない」 「お前は端っから人を見下し他人をあざ笑う。そんなことだから浮浪者施設に入っても、お仲間と仲良く出来ないんだぜ? 惨めな奴」   「馬鹿を言うな! 私は周囲の人間のように下劣な蛮人とは違う! 私のような――――並外れた天才は凡才に配慮する必要はない」  「凄いね~、その世界を斜めから見下す感じ、神だよね~」  悪魔は手を叩き笑う。屈辱された気分だ。 「お前は用量が悪いくせにプライドだけは高い、どこへ行っても失敗する。致命的だよなぁ、インテリジェンス・クオシェントは凡人より高いのにねぇ~。120? いや、140より上……」  悪魔が画家の額に手を当て、知能指数を計ると彼はその手を煙たそうに払う。  せせら笑う悪魔は問い掛ける。 「何ならお前の気に入らない人間の名前をノートに書いて、そいつら消そうか?」 「何だと?」 「旧約聖書のソドムとゴモラは俺の手腕だ。インドラの(いかづち)も俺が発明したんだぜ?」  それが本当なら魅力的な提案だ――――完全に全ての手段で相手を倒す――――いや。  画家は悪魔の囁きに心を揺さぶられるが、首を振り誘惑を断ち切る。 「そんな陰惨で卑劣な真似はしたくない……それは臆病者のすることだ」  悪魔はつまらなそうに口笛を吹いた。が、こりもせず尚、持ち掛ける。 「俺と契約すれば全て上手くいくぜ? 古代ローマの王も極東に存在した将軍達も俺が才能を見出した」 「やけに契約を急がせるな? 逆に信用出来ないぞ」  画家は少し優位なったつもりで返す。  悪魔の腰が低くなる。 「お前みたいな才能ある奴を援助してやりたいのさ~。画家だけじゃない、建築家や音楽家にだってなれる。数いる人間の中から冥界により選ばれた存在だ。普通の人間と違うのは当然だ」  わずらわしい奴だ。侮辱したかと思うと褒め称える。しかし、皮肉だな。私の全てを認めてくれるのが悪魔とは……。  画家は不意に悪魔へ心を開く。 「私には建築家は向いていない。音楽家か……クラシックやオペラは好きだ。図書館に通い詰め名だたる作曲家の歴史を学んだ。タンホイザーのような傑作を作りたい。冥界での快楽に溺れ、街を彷徨う騎士タンホイザーが恋人エリーザベトの悲劇に自らも……」  その時、画家の中に微かな違和感が生じる。  ふと、悪魔にもて遊ばれたカエルを見て考えを巡らせた。  悪魔が見えるなど常識ではあり得ない。契約とは私を冥界に連れて行く為の予約なのでは? こいつは息絶え魂をハゲタカのように喰らう機会をうかがっているのか?   まさか! 魔の十字路にたどり着いた時、飢えと寒さで意識が遠のき眠った。そして、そのまま目覚めることなく私は凍えて……。  画家は悪魔を見る。  何だ、その哀れむような顔は? 一体、私の身に何が起きた?  画家は悪魔に問う。 「まさか…私は死んだのか?」  画家が悪魔にしがみ付く。 「嘘だ! 嘘だと言ってくれ!」  悪魔は画家をただ見つめ沈黙が全てを物語る。  そんな、この世には慈悲すらないのか……。  画家は絶望し、すがることすら諦め力無くうな垂れる。  その姿を見た悪魔は笑いをこらえているのか、肩を震わせて終いには吹き出した。  笑いを止められなくなった悪魔は腹を抱えて、大笑いして道で転げ回った。 「う、嘘だよ! ほ、本当に死んだと思ったのか!? ははは! 安心しろ、生きてるよ。その証拠に……」  悪魔は画家の腕を取り袖をまくると噛みつく。獣のように尖った歯が腕の肉を引き裂き食い込むと、彼は思わず叫んだ。  腕を振り払い悪魔を突き放すと傷口から真っ赤な血が流れた。  画家は痛みで震える腕を押さえながら、悪魔にナイフのような鋭い眼光を向ける。   この悪魔め――――どこまでも侮辱しやがって!  悪魔は血の付いた歯で不気味な笑顔を作り、吸血鬼のようなおぞましい印象を与え言う。 「いいね、その顔……お前には怒りの顔がよく似合う。なぁ……俺と契約しようぜ」
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