2nd Sign : 色欲のダークプリンセス

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「――そっか。お兄さんも、大変なんだね。ところでだけど、私、実はホームレスなんだ」 「え?」  お兄さんが、得体の知れないモノを見る目でこちらを見てきた。世の中には、こんな人も居るんだよ。 「この歳でホームレス、大変なんだから。年齢のせいでこの時間帯はロクな店に入ることすらできないの。だからお兄さんに『犯されてーのか』って言われたとき、私今夜はホテルだ、鍵のついたドアと壁と屋根に風雨から守られながらシャワーを浴びてベッドで寝るんだって嬉しくなっちゃった」 「親は?」  当然の疑問だよね。 「察してよ。どうしても聞きたいなら、お兄さんの部屋に泊めて。他のひとが居ない場所なら、なんでも話すしなんでもできるよ」 「――わかった。ただ、無理はしなくていい。風呂もベッドも、好きに使ってくれていいから」 「ありがと。お兄さん、優しいね」  私たちはお兄さんの部屋に向かった。今度は私がお兄さんに手を引かれた。 「おにーちゃん、いってらっしゃーい!」  ぶかぶかの男物のスウェットから無理やり出した手を振ると、お兄さんははにかみながら部屋を出た。  お兄さんの目覚まし時計の音で迎えた、ベッドでぐっすり寝たあとの朝。お兄さんがシャワーを浴びてるそのうちに、私はハムエッグを図々しくふたりぶん焼いた。  自分でも焼いてるから食材が置いてあったんだろうに、お兄さんは感激してた。 「さて、やりますか」  何日ぶんも洗濯槽に放り込まれた洗濯機に洗剤を入れてスイッチを押し、洗濯機が回っている間床に投げられた衣服を畳んだ。あからさまなゴミだけをゴミ袋に入れ、書類はまとめて机に置いて、足の踏み場が出てきた床をフロアワイパーで掃除した。  男物のトランクスは男のための肌着なんだと、履いて作業して私は思った。 「意外とあっさり終わっちゃったな、お兄さんが帰ってくるまでどうしよう」  この格好で外出して、もし不審がられなんかしたらお兄さんが大変だ。当然ながら、このアパートはお兄さんが通う大学のすぐそばだ。 「別にいいか、春休みだし」  せめて肌着と靴下くらいは持って家を出るべきだったと後悔してる。私は近所のスーパーに、生乾きの一張羅を着てそれらとお昼を買いに行った。ちょっと警戒が甘すぎたと、後に悔いることとなる。 「ただいま。なんだよこれ、てかマジかよ」 「おかえり。お兄さんごめん、勝手に掃除なんかしちゃった」  リアクションがうれしいな。掃除した甲斐があった。 「いやありがとう。ホント助かるよ」 「どういたしまして。ついでにこれも勝手だけど、ご飯炊いて魚も焼いてあるよ」 「マジかよ。バイトがキツかったから真っすぐ帰ってきたけど正解だったな」  私は茶碗にご飯をよそって差し出した。自分のぶんは、昼ごはんの弁当ガラに無理やり乗せた。 「てかお兄さん。正直さ、私、あと何日くらいここに居れる?」  一気に平らげて落ち着いた様子のお兄さんに、私は聞いた。 「好きなだけ……、って言いたいけど、家主として事情はちょっと話してほしい」  だよね。得体の知れない家出少女が素性も話さず居候はムシが良すぎるよね。 「話すとどうしても長くなっちゃうよ。私のいまの人生は、実の両親の事故死から始まった」 「いいよ、続けて」  お兄さんは、腹が決まった顔をしていた。 「わかった。姉の高校の合格祝いの帰り道、お父さんの運転する車は不幸にもトラックに正面から突っこんで下敷きになった。後部座席のわたしとお姉ちゃんは軽傷で済んだけど、運転席と助手席のお父さんとお母さんは即死みたいなものだった。私たち姉妹の身元は自堕落な叔父夫婦に引き取られた」  黙々と相槌を打つお兄さんに、私は話を続けていった。 「引き取られてすぐに遺産は高級外車に換えられた。お姉ちゃんは、叔父に処女を奪われて売春で金を稼ぐことを迫られた」 「お姉ちゃんはそれをよしとはせず、進学校に通いながらオモテの仕事でお金を稼ぐ苦学生をしようとした。お姉ちゃんはその学校でも、凄惨な仕打ちを受けてたみたい」  生唾を飲んで話を聞くお兄さんに話を続けた。 「私は見るに堪えられなかった。私は裸で叔父に迫り、股を開いて純潔を捧げ姉の役割を引き受けた」  お兄さんは目をそらしながら何かをぐっと堪えていた。 「お姉ちゃん、昔から不器用な頑張り屋さんだったんだよね。その姉の唯一の誇りが、お父さんに頭を撫でて褒めてもらえた学業成績だったんだ。私はそれを、支えたかった」 「その姉が、つい先日ついにとうとう自殺しちゃった。新幹線に飛び込んだ。逃れよう、防ごうとしたその結末は、逃れきれるものではなかった」  お兄さんが、涙を流し同情の目をこちらに向ける。悪気は無くとも嫌いな目だった。 「私は家から児童売春の証拠品を大急ぎでかき集めてすぐ飛び出した。だから私、帰る場所が無いんだよね」 「……。そっか。……うん。そうだったんだね。話してくれて、ありがとう」  お兄さんは、涙目のまま私を強く抱き締めた。 「ところでさ。お兄さん、ホントに童貞?」 「どうしたんだよ急に」  お兄さんの目が泳ぐ。そのリアクションが答えみたいなもんだけど、お兄さんの口から言葉で聞きたいな。 「答えて。私は質問に答えたよ」  お兄さんは観念した顔になった。 「童貞だよ」 「じゃあさ、私が卒業させてあげよっか?」  今度は怪訝そうな顔になった。 「なんでそう思うんだ?」 「理由はひとつじゃないから順に。まずいちばんは、やっぱり一宿一飯の恩義かな。私にとって、十分過ぎるよ」  きれいな世界で生きてきたお兄さんとは、貞操観念が違うだろうとは思うけどね。 「次に、お兄さんはいちど経験しといたほうがいい。人間って、未知の領域に踏み込む勇気にすごい覚悟が要るもんね。見たり触ったり挿れてみたりして女を知って、男になろうよ」 「なんでそう思うんだよ」  それにはね、ちゃんと理由があるんだよ。
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