其の壱 鬼無 太伽羅は子供を拾う

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其の壱 鬼無 太伽羅は子供を拾う

 何しろ、古道具屋『鬼灯(ほおずき)』が代替わりした若い主人によって二階建ての擬洋風建築とやらに建て替えられたのは、陸軍大将乃木希典夫妻が天皇のあとを追って殉死したことに、人々が驚き嘆き悲しんだその年のことであった。    その建物は、入り口の扉は鮮やか朱色に塗られ、すぐ上にある白塗りのバルコニーの彫刻には雲と麒麟が、さらに見上げた先にある塔の上には、何故か青銅で出来た蝙蝠に似た翼を広げた悪魔が呑み込む途中と見られる人間の下半身を口から覗かせたまま、頬杖を突いて下を眺めている、といった具合の奇妙な建物である。  擬洋風建築を西洋と東洋の調和を取る美しい建築物とするならば、目の前の古道具屋『鬼灯(ほおずき)』は、その調和を絶妙な匙加減で乱し、見る者の神経を逆撫でした。  ところがその所為で、客足が遠のいたと思うのは早計である。  奇抜な建物が敬遠されるどころか、人寄せに一枚噛んだのは間違いなかったが、それ以上に『鬼灯』には人を寄せるものがあった。    店主である鬼無(きなし) 太伽羅(たから)、その人である。  噂の建物を見に来たつもりで訪れてみれば、ぞっとするような美貌の若い店主を目にして魂を抜かれる、との評判に人々は(こぞ)って『鬼灯』に足を運んだ。    成る程、怜悧に整ったその顔の美しさは若さと相まって、ある種の傲慢ささえ感じるほどである。服装もまた一風変わっていた。ロング丈の真白な詰襟シャツに中羽織りと袴を合わせ、足元はブーツを履いたその姿は、奇妙な建物と良く似合い、自分の魅力を知る者独特の佇まいがあった。  だが、澄ましていると近寄り難いその容貌も、言葉を交わすとガラリと印象が変わる。  柔らかな笑みを浮かべた如才の無い物言いは商人そのもので、訊けば前の店主とは叔父甥の関係の、生家は大店として名を知られた呉服店で、その次男坊というのだから血は争えず立ち振る舞いは()もありなんである。 「おや? どうしたの?」  『鬼灯』は、得意先回りで留守がちな手代と若い店主の二人で切り盛りしていることもあり、店にいるのは専ら店主の太伽羅(たから)だった。  なので商いを終えた夕刻に『鬼灯』の、朱色の扉の前に汚らしい子供が膝を抱えて(うずくま)っているのを見つけたのも自然なことである。  元結の辺りを、鋏でバッサリと切り落としたような髪は汚れて固まり、継ぎ当てだらけで垢まみれの絣の着物の丈は身体に足りず、泥つきの牛蒡のような手足が見えていた。 「迷子……では、無さそうだね。さて、どうしたものか」  太伽羅(たから)は、困ってしまった。このまま店先に座らせて置くわけにもいかず、()りとて巡査を呼ぶのもまた、躊躇(ためら)われる。  酷い臭いに鼻を摘みたくなるのを我慢しながら、蹲っている子供に向かって屈み込むようにしたとき、俯く着物の衿から覗く首の後ろに痣のようなものを見つけた。  いや、痣ではない。  皮膚は蚯蚓のように盛り上がり、火傷の痕のようだ。  良く見れば、泥がついた手足も傷だらけである。  太伽羅(たから)が、その火傷痕をようく見ようと子供に手を伸ばそうとしたその時、それまで膝に埋めていた顔が(おもむろ)に上がった。  驚いて伸ばした手は宙で止まる。  太伽羅(たから)を睨みつけるその目、その瞳の色が見たことのない色だったからだ。  落ち着いた灰みがかった青いその色は、静かに太伽羅(たから)を映し出していた。 「……舛花色(ますはないろ)」  着物では良く見るその色も、瞳の色としては初めて見た太伽羅(たから)にはとても美しく思えて、じっと覗き込んでしまったのである。  先に目を逸らしたのは、子供の方だった。 「名前は? 家は何処に? 親は?」 「逃げて来た。名前なんて、無い」 「名前が、無い?」 「あんたは店の商品に、名前を付けるのか?」 「……商品?」  後は太伽羅(たから)が何を尋ねようと、それきり口を噤んでしまった子供は、どうやら気を失いかけているようである。  話し掛けてしまった手前、何となくこのまま見捨てるわけにも行かなくなった気がした太伽羅(たから)は、抱え起こすと店の中へ運ぼうと身体を持ち上げその軽さにまた驚いた。  驚いたのはそれだけではなかった。  店の中に足を踏み入れた途端、その子供が薄目を開け途切れとぎれに呟いた言葉は―― 「嗚呼……(バケ)モノ、だらけ……だ」 と、いうものだったからである。
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