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1
オレは今までよりも強い声で言った。
「他の道があるはずです!そんなことを娘さんは望んでいませんよ!」
目の前の男は少し目を見開いたが、すぐに無表情に戻り、覇気のない声で悲観的につぶやく。
「でももう死にたいんです。娘が生まれてからの4年間が本当に幸せでした。あれが私の人生のMAXなんです。これからたとえ出世しても、いい家に住んでも、再婚しても、また子供が生まれても、あんなことがあった以上今後あれを上回る幸せなんてきっとこない。だからもういいんです。」
そんなことは断言できないし、わからないだろう。とオレは思った。
でもそんなのはお互いに根拠のない水掛け論だ。
長時間話し込んでこんな鬱蒼とした樹海の奥で、日が暮れるまで話すのもごめんだ。
男は身長も体重もオレよりひと回り以上小柄で、年齢はおそらく40近い。
取っ組み合っても負けはしないだろうが、こんな時と場所で逆上させたくはない。
切り替えたオレは今度は声を抑えて言った。
「娘さんの死の事情はわかりませんし、そういうことならこれ以上は聞きません。でも一度だけ考え直してください。僕はあなたみたいな人達に立ち直って欲しいんです。」
オレは慎重に相手の反応を伺う。聞く気はあるように見える。
よし、ちょっと早いが勝負を賭けるか。
そう思ったオレはさらに声を低くしてゆっくり話す。
「ここに百万円あります。今から一晩遊んでも残った金で部屋ぐらいは借りれます…。住所があればあなたの若さなら仕事もみつかるでしょう。娘さんと一緒にここで死んだと思って、新しい環境でもう一度だけ生きてみましょうよ。」
オレは涙を拭うようなフリをして男の反応を見る。
男は金に少し反応したが、驚きほどの感情は引き出せなかったようだ。
やはり死を目前にすると感情が動きにくくなっているのだろうか。
ここは畳み掛けるよりも少し考えさせることにしよう。
そう思いつつオレは上着のポケットに仕込んだ、ボールペン型隠しカメラの角度を手で触って再調整する。
そしてオレはそのまま内ポケットから煙草とライターを取り出し、火をつけながらの今朝からの段取りを回想する——
2
「マッミムッメモー!皆さんこんにちは。迷惑系YouTuberの元祖!悪戯王です〜」
樹海の道なき道を踏みしめながら、アクションカメラの前で手を振る朝のオレ。
「先日の告知通り、今日は私、悪戯王の罪滅し企画です。迷惑行為は善行で贖えるのか、その検証企画の第二弾です!みなさんのいいねの数で罪が償えたかどうかが決まります!今日の企画はこちら!ジャジャン!」
ここで用意していたフリップを出す
『百万円で自殺を止めれば今までの悪行はチャラになる説』
3
迷惑系で名を上げてきたオレだが、二番煎じ三番煎じの後発組のおかげで、すっかり世間から疎まれるようになってしまった。
それもこれもアイツらがどんどん過激な行為に走るようになったからだ。
誓っていうがオレの企画なんて大したことない。
せいぜいセレブの家のゴミを漁って晒したり、高校生カップルに元カレのフリをして馴れ馴れしく話しかけてみたり、道行く老人に虫や蛇のジョークグッズを投げつけたりして反応を見て笑う程度。
本当の意味でイタズラ。くだらない。小学生並みだ。
でもこんなことが金になるんだから仕方ない。
悪いのはオレじゃない。何でも金になる社会や、それを放置する世間が悪いのだ。
しかしそれももう通じない。後発組の過激さのインフレは止まらず、最近は業務妨害から暴力や窃盗なんでもありだ。オレから見てもひどすぎる。
潮時だ。長く稼がせてもらったし、結婚も決まっている。
女はこんなこともあろうかと絶頂期にキープしてあった。
ノーブラ散歩動画で釣って外部サイトで稼ぐお色気系YouTuberだ。
あっちは固定客も多く単価も高い。
オレの稼ぎが減っても女が若いうちはまだまだ安泰だろう。
「賢いなら悪知恵じゃなくそれを社会に役立てろ」みたいなアンチコメントは常にくるが、オレに言わせりゃ逆だ。
「賢い者ほど社会のためになんて生きない」裏道が目的への最短の道なのは当たり前じゃないか。
今後の方針はまだ決めていない。
しかし引退にせよ、ほとぼりを冷まして再起にせよ、区切りとして「反省しました」や「更生します」のポーズは今しておく必要がある。
なんたってこれから先の人生があるのだ。これから先の長い長いオレと——
4
目の前の男が何かを答えた。が、考えに没頭して聞き取れなかったオレは尋ねようとした。
その時だった。
後ろの茂みからガサッという音と何かが飛び出す気配。
次の瞬間右脇腹に鋭い痛みが走る。
見ると包丁の使い込まれた柄が深々と刺さって見えている。
右後ろには老婆が立っている。
痛みは大きくないのにショックのせいか足の力が抜ける、膝を地面につけ煙草を落とすオレ。
何がなんだかわからないオレとなにか直感的に危機を察知してるオレが共存している奇妙な感覚があった。
顔を上げると目の前には先程から話していた男がどこから出したのか、野球の金属バットを振りかぶっている。
震える声でオレは聞く。
「だ、誰だ。なぜ、なんでこんなこと……」
視界に入るギリギリ後ろに見える老婆が答える。
「おまえのせいで私達の家族はバラバラなんだよ!」
男もつられたように感情を昂ぶらせて叫ぶ。
「お前が悪いんだ!お前の『屋上からリアルマネーをリアルバラマキ企画』だ!あの混乱のせいで私の娘は…くっ!」
男がバットを振り下ろす。
こいつら前回のオレの企画の被害者なのか…。
そこまで考えたところで脳天を貫く激痛と同時に視界が暗転する——
4
どのくらい意識を失っていただろう。
周囲にあの2人は見当たらない
ドクドクと脈打つたびに腹から出血すると、実際に血液がなくなっていくような感覚がある。
よくこの痛みで意識を失っていたものだと思うほどの激痛だが、不思議と頭は冴え渡っている。
走馬灯に代表されるように死の瞬間人は脳をフル回転させるという。
ならオレは虫の息なのだろうか。
焦りながらも冷静なもう一人のオレが考える。
あの男と老婆は親子だろう。
オレの企画で死亡事故があったことは知っていた。
バラ撒いた金額は大きくなかったし、金目当てというよりは野次馬達の起こした事故だ。
これもオレのせいじゃない。罪にも問われていない。
やっぱり悪いのは社会と世間のはずだ。
血はどんどん流れていく。流れる血のぶんだけどんどん冴え渡る頭で考える。
しかし金を押し付けることも迷惑行為と言えるのだろうか。
自ら金を失うという不利益を被ったからといって、相手に幸せを与えるとは限らない。
もしかしたら使った金の分だけ増幅した迷惑を撒き散らしただけかもしれない。
ああ、やはりオレは更生なんてできてなかったのだろうか。
血を流しすぎたのか、ついに思考にもやがかかってきた。
そのもやからは死の臭いがする。
道など最初からなかったのだろう。そうだ。賢者の裏道なんてない。
この死に至る樹海と同じだ。自分で選んだ、道なき道だった。
やり直したい。
冴え渡った、しかしもやのかかった頭で考える。
帰りたい……そう。妻の待つ家に……
先の長い長いオレと妻と、そのお腹の子供が待つ家に——
いつの間にか地面にうつ伏せになっている。
泥に突っ込んだ顔も気にならない。
薄れる意識で最後に思う。
道なき道をゆく外道には帰る道もまた存在しないのだ。
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