塵も積もれば恋となる

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私の朝はモーニングコールのバイトから始まる。 「おはようございます!(れい)さん起きましたか?」 「起きてる……」 またすぐに規則的な寝息が受話器から聞こえる。 ーーこれはまだ起きてないな? 「今日はいい天気ですよ?私、今日夜にランタン祭りに行くんです!零さんは行った事ありますか?すごい綺麗らしいです」 零さんは、まだ浅い眠りだったようで、返事を返してくれた。 「……ない。人多いだろ。興味ない」 私は予想通りの答えに笑ってしまった。 その笑い声に目が覚めたとブツブツ言いながらも零さんからは絶対電話を切らない。 10分経過したので、零さんの朝の邪魔にならないように、明日のモーニングコールの時間を確認して私は電話を切った。 田舎から出てきた大学生の私は、上京してすぐに芸能事務所にスカウトされた。 バイト感覚で所属したものの世の中に可愛い子なんて星の数ほどいる。 もちろん私にくる芸能の仕事なんてそんなにない。エキストラとか地方のスーパーのイベントに行かされたりとか、そういう仕事しかなかった。 そして、いわゆる売れてない子向けに芸能事務所が持ってきた仕事は、モーニングコールの仕事だった。 タレントを目指していたなら悔しくてしょうがないだろうが、私はお金を貰える事もあり、喜んで受けた。 知らない人に朝のモーニングコールをおこなう。起きればすぐに電話は切っていいものの長くても10分以内で起こさなければならない。 事務所から依頼を受けるだけなので、顧客獲得もしなくていいし、怪しい人でもないだろうと安心していた。 仕事内容は、平日の毎朝5時半にモーニングコールをするものだった。事務所のスマホと零さんの電話番号を渡され何だかドキドキする。 初日は緊張したものの、返事だけでなかなか起きない零さんへのモーニングコールは10分ぎりぎりまで、話す事が多かった。 それは、世話好きの私にとって手がかかる程、燃えてしまうし、愛着が湧き私にもってこいのバイトでもあった。 零さんは言葉数が少なく、そっけない。 始めは嫌われているのかと思ったが、私のくだらない話もちゃんと返事をしてくれてる。悩みを話せばそれさえも必ず返事をしてくれた。 零さんの声は、深みのある低音で耳触りがいい。イケボと言うやつだ。落ち着いた感じがするので、勝手に30代の会社役員か社長だろうと思っている。愛想はないがいい人だ。 私にとって、毎朝の10の電話の相手は、出会った事もないのに、唯一本音を言える人になっていた。 このバイトを始めてもうすぐ半年が経過しようとしていた頃だった。 私は、久しぶりにサークルの飲み会で、朝まで飲み明かしていた。 いつものモーニングコールの時間を知らせるスマホアラームが鳴る。 友達にちょっと電話をしてくる事を伝え、その場を離れた。 明るくなった空を見ながら公園のベンチに座る。 「やばい……酔ってる……」 とりあえず、自販機で買った水を一気に喉に流し込み、頬を両手でパチパチと少し叩き気合いを入れた。 ーー酔っ払ってるの知られたらなんか言われそうだから、零さんにバレませんように……。起きたらすぐに切ろう。 プルルルル……ガチャ。 「もしもし?零さんですか?おはようございます。優里(ゆうり)です。起きましたか〜?」 「起きてる……」 「え?起きてる?」 この半年間全く電話より先に起きてる事はなかった。起こすのに結構こちらとしても苦労していたのに……。 「昨日から研究室にいるから寝てない!」 「え?徹夜?早く寝てください。じゃあ切りますね」 「ちょっと待て!優里なんかいつもと違う」 私は零さんに指摘され、唾を飲んだ。 無言の間が、いつもと違う自分を表しているようだ。酔いが回りすぎていて、いつものように頭が回らない。 「外?お前……飲んでたのか?今まで?」 息を飲んだ。どう返していいかわからない。 「あ……そうです。バレましたか?」 頭は回らないし、隠せない事を悟り、笑いながら正直に話す事にした。 「オールナイトですよ。サークルの飲み会でーす」 正直に話せ、気分が楽になる。 零さんには本当の自分しか見せてなかったから、嘘とかつきたくなかった。 「何やってんだ!こんな朝まで!女なんだから早めに帰れ!危ないだろ!」 突然、今まで聞いた事がない口調で罵声を浴びせる。 ーー何でこんなに怒ってるんだろう? 「ただのサークルの飲み会だし、危ない事とかないです。大学生ってこーいうのみんなやってますよ?」 「女なんだから、何かあったらどうするんだ!」 怒られる意味もわからないし、と言うフレーズが私の頭に残る。 「女だからとかそーいうの今の時代ないです。そーいうの嫌い」 私も何だかムカついてきた。すると受話器の向こうから甘い女の声が聞こえてきた。 (先生……) この声で私は、なぜだか怒りが頂点に達した。 「零さんも女の方と朝までいらっしゃるから、危ないとかなんとかわかるんですね?わかりました。気をつけます。ご忠告ありがとうございました。これからは、今一緒にいる方にモーニングコールしてもらって下さい。半年間ご利用ありがとうございました」 勢いよく電話を切った。 あんまり人に苛立ちの感情を出したりしない私は、押さえられないくらいムカついてしまったのだ。 しかも勝手にモーニングコールの契約も切ってしまった。 電話を切った直後は、酔いもあったので怒りながら、そのまま帰宅して寝てしまった。 内心、本当に契約がきれるとかは思っていなかった。また明日の朝になれば、モーニングコールをするつもりでいたし、売り言葉に買い言葉の勢いもあった。 その日の夜、起きて正気に戻った。 留守電に事務所から連絡が入り、モーニングコールの終了を告げらた。 零さんは、私に言われたとうり契約解除を事務所に告げていた。 明日から早く起きなくてもいいんだと自分に喜ぶように言い聞かせるが、何だか素直に喜べない。 何だか物足りないような、寂しいような……何だかそわそわしてしまう感覚さえある。 ーーこんな終わり方なんて……何でこんな事になってしまったんだろう……。 零さんが私を心配している事は理解できている。 女の声に関しては、零さんに彼女がいても関係ない。私は電話をするだけのバイト。顔も名前も何も知らない。ただ、1日の10分間だけ、私と同じ時間を共有するだけだ。 事実だけを述べれば、無関係という言葉で片付けられる。それはあまりにも悲しい。 私は零さんの事を何も知らないのに、いつの間にか知っているつもりになっていた。 私にとって、毎日の10はどんどん積もり、では片付けられない長い時間になっていたのだ。 私は、出会った事もない零さんの事を忘れられなかった。 バイトが終了し2ヶ月が経過している。 なかなか立ち直れない私は、暇があると零さんの事ばかり考えていた。今日も零さんの事を考え1人で教室移動をしていた時だった。 ーードン! 大学の特別棟で出会いがしらに何かにぶつかり、後ろに尻もちをついた。 相手は蓋をされてないダンボールを持っていたようで、中に入っていたプリントがパラパラと宙を舞い2人の間に散乱していた。 すぐに相手に声をかけた。 「すみません……大丈夫ですか?」 ぶつかった相手は白衣を着て中にはシャツにネクタイをしている。30代前半くらいで180cmくらい。ルックスが良いが髪はボサボサ。大学でこの服って事は、この男は講師だ。 ーーやってしまった。 すると白衣を着た男は、自分の脇に落ちたメガネをかけた。 「君こそ大丈夫か?怪我してないか?」 私はその男の耳触りがいい声を聞くと、男を凝視した。この声を間違うはずがない。 男は私の強い視線に一瞬身を引いた。 「零さん?」 今度は白衣の男が私を凝視する。 「優里……?」 私は頷く。驚きと嬉さとが入り混じる。1番会いたかった人は意外にも同じ大学の講師で近くにいた。 嬉しくて零さんを見て目が潤む。 だがあんなケンカ別れみたいな電話が最後だ。 私に怒っているかもしれない。 会いたかったのは私だけかもしれない。 どう声をかけようかと考えていると、先に口を開いたのは零さんだった。 「あの時はすまなかった……。女とか性別を否定したわけじゃなかったんだ。ただ優里が襲われたりとかしたら危ないと思って……。怒らせてしまって申し訳ない……」 「私こそ、ごめんなさい。酔っ払ってて零さんが心配してくれているのわかっていたはずなのに、女の人の声聞こえて……彼氏でもないのに嫉妬してしまって……モーニングコールも契約切ってしまって後悔しました。零さんとまた話したくて……よかったら、またモーニングコールしていいですか?」 勇気を振り絞った。 モーニングコールしなくなってわかった事は、零さんは私の中では電話だけの相手じゃなくなっていた。 零さんは、驚いた顔をしていたが、すっと立ち上がり私の所に来て腕を持ち立たせてくれた。 そして、私の耳元でそっと呟く。 「モーニングコールはもういいから。……俺の彼女になってほしい……」 私は悲しい言葉と嬉しい言葉を同時に言われ、理解できずに変な声がでた。 「え?」 零さんの顔を見れば微笑んでいる。 「あと……あの時の電話の声は、彼女じゃなくて学生だ。医学部の研究室で実験をやっていた」 私はもうだんだん嬉しくなり、零さんに意地悪を言う。 「もうモーニングコールは新しい人に頼んだんですか?」 「嫌。もともと俺は研究以外に興味がなくて、恥ずかしいけど、母が彼女もいない俺を勝手に心配して、モーニングコールを契約したんだ」 私はキョロキョロ周りを見回し、人がいないのを確認すると、こそこそ話をするように両手を添え、零さんの耳元で小さい声で呟く。 「もちろんOKです……これからは、長い時間一緒に過ごして、貴方を沢山知りたいです」 そして両手で隠したまま、見えないように耳の付け根のギリギリの頬にキスをした。 零さんの耳はみるみる真っ赤になった……。
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