無慈悲なる騎士と山トネリコの亡霊

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 ザルベイルが目を覚ますとそこは薄暗い室内だった。意識は明瞭、痺れや酩酊感は無いが全身、特に右腕の痛みが酷い。骨を傷めている可能性がある。装備はなにも無さそうだ。  刹那のうちに視線を巡らせ、そこが木材を組み合わせた粗末な小屋で、ランプの小さな灯りと自分以外のひとがひとり居るのを把握する。自分の物と思われる革鎧と剣は少し離れたところに置かれている。飛び付けば一動作で剣を手に出来るだろうか。傷の具合によっては難しいかもしれない。  と、彼がその数秒で現状把握を終えたところで、室内に居た人物がまるで待っていたかのように横たわるザルベイルへ視線を向けた。 「深い傷はほとんどねえが、右腕は折れてるからあんま動かんほうがいいぜ」  それはザルベイルより一回りは年上だろう細身の中年男性だった。 「あなたが傷の手当てを?」 「まあな」 「私はザルベイル・フォン・ガーデンフィールド。麓にある街、ロンダーライツの騎士だ。この礼は必ずさせてもらう」 「……ソルブス・コンミクスタだ。まあ、そんな気負うこともねえさ」  粗野ではあるが悪人では無さそうだ。 「ところで、私は山奥の崖から落ちたと記憶しているのだが、ここはどこだろうか」  ザルベイルが落ちた崖は決してひとは踏み入らないような山奥のそのまた奥にあった。隠遁しているとしてもあの辺りにまともな住人がいたとは考えられない。 「崖の下に川があってな。この小屋はその対岸から少し離れたとこに建ってんだ。だからすぐそばだよ。まあ、あんたの馬はお連れさんが引いて帰っちまったがね」 「そうか……」  やはり見間違いではなかったのか。ティードボルトが自分を罠に嵌めて亡き者にしようとしたのだろう。敢えて衛兵を使わず手勢を傭兵で固めていたのも、その上で自分ひとりに声を掛けてきたのも、全ては計画のうちだったというわけだ。 「なぜ、こんなことを……」  ザルベイルが零した一言にソルブス含み笑いを漏らす。 「なにがおかしい」  心当たりなく仲間から命を狙われる苦悩を笑われては、いかな相手が恩人とはいえ心穏やかではいられない。刺すような語気にしかし男は怯みもせずおどけるように肩を竦める。 「本当にわかんねえんだな。さすが“無慈悲なる”ザルベイル。噂通りの石頭だぜ」 「私を、知っているのか」  ソルブスが指差すようにザルベイルに向けたのは食事に使う肉切りナイフ。 「田舎の酒場であんたにを向けてかかってこいと喚いた酔っ払いを問答無用で叩っ斬ったってな、平民の(あいだ)じゃ割と有名な話さ」  ザルベイルはその言葉に答えられず、眉間にしわを刻んで歯を食いしばった。  職業騎士はその威厳を守るため、敵意を持って刃を向けられた場合“その場に限り”かつ“自らが手を下す限り”において相手が誰であろうとも斬り捨てを許される、名誉維持特権という権利を与えられている。  その平民に本気の敵意が無かったのは誰の目にも明らかだったが、彼が食器とはいえ刃物を向けて職業騎士を挑発したのもまた疑いようのない事実であり、結果としてザルベイルは同席していた上司から厳しい叱責を受けたものの名誉維持特権の正当行使を認められ法的な処罰は下らなかった。  以来、元々生真面目で通っていたザルベイルは異常なまでに法に固執するようになり、今に至る。 「後悔。贖罪。自己正当化。まあなった理由は色々とあるんだろうが、あんたは法に拘り過ぎて“ひと”が見えなくなっちまってんのさ」 「私がティ……あの騎士を見誤っていたと言うのか」  名前を出すのは憚られたが、それは全く無駄な気遣いだった。 「ティードボルトってんだろ。あいつはあんたを妬んでんだよ。自分よりあとから入った、酔っ払って絡んできた平民をいきなり叩っ斬ったとんでもねえやつがいつの()にか自分より出世してんだからな」  実際には能力だけでなく法に対して厳格なその態度が評価されての抜擢ではあったのだが、ティードボルトの嫉妬には関係ないことだろう。 「それから窃盗被害対応の陳情に来た商人組合の幹部どもを無下にしたのもまずかったな」 「なんだと」  困惑の表情を浮かべるザルベイルに、ソルブスはとひとの悪い笑みを浮かべた。 「ティードボルトは目の上のたんこぶを始末したい。商人組合の幹部どもは融通の利かない治安担当主任の首を挿げ替えたい。わかるか……グルなんだよあいつらは。ティードボルトが用意したって傭兵は全員商人組合の暗部を引き受ける私兵だ」 「馬鹿な……証拠も無しに憶測でものを言うなっ」 「憶測ねえ。じゃあ逆に聞くが、どんなご立派な理由がありゃ身内に嵌められて毒まで仕掛けられた挙句に後ろから斬られるってんだよ」 「そ、それは……それは……」  ソルブスはそれ以上を言わず、ザルベイルも言葉を失ったままその日は暮れた。
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