無慈悲なる騎士と山トネリコの亡霊

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 ザルベイルが目覚めてから二晩が過ぎた。  ソルブスは食事や治療の世話以外で特に雑談などもせず、昼は何処へともなく出かけ、夜は小さな灯りで読書をして静かな暮らしぶりだった。読み書きの出来る平民は少なくはないが、しかし粗野を装っても彼は群を抜いているとザルベイルは感じ取っていた。  留守の(あいだ)に軽く蔵書を眺めたが、学術書や研究書が多くその範囲も多岐にわたる。街の事情にも通じており明らかに只者ではない。  そして、ザルベイルはこれからどうすればいいのか迷っていた。  他者から理不尽と思われるほど法の遵守に拘っている自覚はあった。  それは職業騎士になったばかりの頃に酔って絡んできた平民を斬ってしまった、権利があったとはいえ若気の至りと呼ぶにはあまりにも重い行いを(あやま)ちとしない為に、法に対して徹底的に厳格であらねばという強迫観念にも似た思いからだった。  しかしまさかそれが原因で命を狙われるほど疎まれていようとは。その厳格さがゆえ他者に(あやま)ちを犯させてしまったのだというソルブスの指摘に、彼は完全に自分を見失っていた。 「ロンダーライツは……」  三日目の晩、ザルベイルはふと口を開いた。 「他の領と比べても窃盗事件が多いように思える。商人たちの話ぶりを聞いても恐らくはそうなのだろう」  ソルブスは手元の本を閉じて顔を上げる。 「ああ、そうだな」 「取り締まりを強化したいが騎士も衛兵も限られている。しかもその大半以上は“山トネリコの亡霊”捜査に充てねばならず十分な配備も難しい」 「ああ、だろうな」 「私はどうすれば良いのだろう。どのように差配すれば正解なのだろうか」  男は答えない。 「もしかして、あなたが“山トネリコの亡霊”なのではないのか」 「……そんなこと聞いてどうすんだ」  職業騎士に、それも治安担当主任に自らが犯罪者であると告白する者などいるはずもない。  だがソルブスはその問いを肯定も否定もしなかった。 「“山トネリコの亡霊”は未だかつて一度たりとも誰かに姿を見せたことはなく、にも関わらず決して多くを盗まず、そして敢えて同一犯であると示すように窃盗を行った証拠を残していく」  最初のうちは度を越した自己顕示欲なのかと考えていたが、果たして本当にそうなのだろうか。私利私欲だけのために盗みを行っているわけではないような、そんな気がしていた。 「あなたがではないとしても、何故あのような盗みを行うのか、あなたならその理由がわかるのではないか」  ソルブスは背を向けると深い溜息を吐いて唱えるように語り出す。 「今日必要でないものを盗んではならない。  手に持てるより多くを盗んではならない。  弱い者から盗んではならない。  仲間から盗んではならない。  徒党を組んで盗んではならない。  暴力をもって盗んではならない。  火を放って盗んではならない。  混乱を起こして盗んではならない。  捕らえられたら観念せねばならない。  その全てをよく心得たら盗め」  繰り返し禁じる句を連ねておきながら最後にはっきり“盗め”と締め括られる詩のような一文。それは法では到底許されないものでありながら、邪悪さとはまた違った異質な意志を感じさせた。 「……それは、いったい」 「一盗九禁の教えっつってな、これを守ってると現行犯以外でほとんど追われなくなる。捕らえられたときに不要な折檻を受けて痛い目を見なくて済む。しかも牢のなかは朝晩飯も出て至れり尽くせりってわけよ」 「あ……」  言われて初めて気付いたが、確かに心当たりがあった。  街で起きる窃盗事件のほとんどはその日を食うためや生活に必要なものを本当に少量ばかりで“山トネリコの亡霊”を追わねばならない騎士と衛兵は逐一相手にしていられなかった。たまに現行犯で捕らえられる場合もあったが、それにしてもやたらと諦めが良い者ばかりで奇妙な不自然さを感じていたのだ。  一盗九禁の教えとやらを流布することで規模の小さな窃盗事件が激増し、優先順位の高い窃盗事件を継続的に起こしてその取り締まりすらも制限する。  “山トネリコの亡霊”が捕まらないという前提が無ければ成立し得ないとはいえ、全ては計算された動きだったのだ。  関連は理解出来た。しかしそれでもまだ肝心の動機がわからない。 「そもそもロンダーライツで窃盗が多い理由ってのをわかってねえ」 「それは、法が守られていないからでは」 「なぜ法が守られねえんだ」 「取り締まりが不十分だから……」 「ったく、全然ちげえよ。じゃあ領民の全てが食うに困らん金と暖かい住処を持っていてもおなじだけ窃盗が起きると思うか」 「いや……それは」 「盗みが横行するのはな、貧しい奴が多いからだ。そして領民が貧しいのは領主が、貴族が、騎士が、平民を富ませる責務を負う連中の(ちから)が足りてねえからだ」 「個々の悪事が全て上位階級の責任だと言うつもりか。さすがにそれは暴論だろう」 「そりゃ全部じゃねえだろうさ。だが捕らえた窃盗犯の調書、ちゃんと全部読んでるか」 「調書だと」 「いつ、どこで、だれが、なにを、なぜ、どうやって盗んだのか。“見る”んじゃなく“読んで”りゃ気付けるはずだ。あんたらは兵役で夫を失った家庭を蔑ろにしていないか。孤児を見て見ぬ振りしていないか。職を失った者は今どうしている」  犯人は誰しも貧しいというところまではザルベイルも気付いていた。だがその理由にまで思い至らなかったと言えば確かにその通りだ。そして、だから平民を富ませて貧しい者を減らすべきだという観点は、彼はもちろん他の騎士貴族にもおそらくは無いものだった。 「治安ってのはそうやって乱れんだよ。ひとの道を蔑ろに法ばっか厳しくしたって誰もついちゃこねえ。法治と人道はどっちかだけじゃ成り立たねえんだ」  つまり“山トネリコの亡霊”が行っていた盗みとは、法治しか行わない支配者に対しての人道的な行為。盗らねば生きられないほど貧しい者たちへの施しの意図があった。という、ことなのだろうか。  それが事実だとしても、そのような無法の行いは決して認められない。だが、それは法で締め付けても到底解決し得ないだろうこともまた、ザルベイルは身に染みて理解していた。
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