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近年、窃盗が絶えない。
ことの大小を問わないのであればそれ自体はどのような街でも大して変わるまい。
ある者は貧しさに追い詰められ、ある者は出来心で、ある者は復讐のために。おおよそ人間とは過ちを犯しがちであり、盗みはその最たるものであろう。
ひとは集まればよほどの事情でも無い限り不思議と誰かしら盗みを働くものなのだ。
だからこそ、ひと口に盗みと言っても法はその内容ごとに罪の軽重を定めており、現行犯であればまだしも事後の捜査となるとどうしても優先順位が生まれてしまう。
スリよりは空き巣を、ひったくりよりは強盗を、少額よりは多額を、平民よりは騎士貴族の被害を。
「私とて街で商う諸君らの被害を蔑ろにしようと考えているわけではない」
彼ら商人組合の幹部たちが騎士団詰め所へ直談判へ来るのは既に三度目になる。
相対するのは治安担当主任である職業騎士ザルベイル。折り目正しく平民に対しても柔和な態度を崩さず丁重な対応で知られるが、一方で規律に厳しく法に厳格な性格から“無慈悲なる”ザルベイルの二つ名でも知られる人物だった。
間違いなくこの街で最も融通の利かない男だ。
「しかし治安維持に割り当てられる衛兵たちには限りがある。頻発している窃盗が領の経済活動全般に影響を及ぼしているのは重々承知しているが、窃盗が多いのはどこもおなじ。直談判に来ているのは君らだけではないし、誰が来ようと私はどの組織も優先するつもりはない」
平民とはいえ商人組合の幹部ともなれば騎士や貴族にも意見を陳情出来る程度の影響力を持っている。いかな貴族と言えども主だった流通を握っている商人らの要望を無下には出来ない。
だがザルベイルにはそれがない。彼の行動規範は徹底してただひとつ、法の遵守のみ。
「すまないが諸君らに色よい回答は出来かねる。お引き取りいただこう」
ぶつぶつと文句を言いながらも部屋を出ていく商人組合の幹部たちを見送ってザルベイルは深い溜息を吐いた。
理屈の上では彼らの言い分もわかっている。商人たちの窃盗被害が増加し続ければ彼らも生活の為に商品を値上げせざるを得なくなる。そうすれば民は困窮し、ひいては治安にも徴税にも悪影響を及ぼすだろう。
しかし、今領内では騎士貴族の屋敷を狙った犯行も多発しており騎士や衛兵の多くがそちらに掛かりきりになっていた。
ひと知れず屋敷に忍び込んでは宝石や高価な調度品をひとつだけ盗み、代わりとばかりに山トネリコの押し花を一本残していく正体不明の怪盗。
なんの痕跡すら残さずに盗みを行う手腕から“山トネリコの亡霊”と呼ばれるそれの捕縛は、多発しているとはいえ個々の案件としては少額な商人たちの被害よりも対応を優先せねばならなかった。それが治安担当の規律だからだ。
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