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青い空。心地よい風。どこまでも続く、道。
「……」
青年は一人、不思議そうな顔で周りを見つめていた。
道の周りには、空のような真っ青な花がどこまでも咲いている。空に溶けていくようで、どこからが空なのかわからないほどだ。
青年は、自分が誰なのか、ここは何処なのか、何一つとして覚えていなかった。
ふと、一つの答えを導き出したのか、青年は目を見開き考え込むように頭に手を置いた。
「天国じゃないよ」
「!?」
いきなり、青年以外に誰もいなかったはずのその場所で声がした。
驚いた青年は、パッと声がした方を向く。
「綺麗な場所だけどね」
青年が目を向けた場所には、青年のことを見上げる黒猫の姿があった。
普通の猫に見えるが、その瞳は周りの花と同様に空のような青色をしていた。
「ね……猫が」
青年は、混乱しているのか上手く言葉を繋げない様子だ。
黒猫は、何故か楽しそうに目を細める。
ふわりふわりと黒猫の尻尾が揺れる。とても機嫌が良さそうだ。
「猫が喋っちゃだめかい?猫だって、口も舌もあるんだ。喋れたって問題ないだろう」
青年が混乱しているのを無視して黒猫はまた喋る。
猫とは思えないほどに流暢だ。
「え、いや……。でも、……えぇ……」
青年は、ただでさえ記憶がほとんどなくて困っているところに新たに頭の追いつかない出来事が起きたことで最早なにも分からなくなっていた。
「歩こう、ここにとどまっていても意味はないさ」
黒猫は、青年に声をかけると前を軽やかにあるき始めた。
青ばかりのこの場所で、真っ黒なその猫はまるで合成のようで、ここに本当は居ないのではないかと青年は思った。
「まっ、待ってよ。……ここはどこ?」
青年は、こんな場所においていかれれば自分がこの青の中に落ちてしまうのではないか、という恐怖感を感じた。
美しいものは、ときに酷く恐ろしいものに形を変える。青年は、美しい景色だとは思っていたがここにとどまることを良いことだとは思えなかったのだ。
「まぁ、そのうち分かるよ。多分ね」
そんな青年を見た目の前の黒猫は、その様子を見ておかしそうに笑いながら言う。
「そ、そのうちって……」
青年は動揺しつつも黒猫の揺れる尻尾を見ながら、猫って笑うものだったかな?と考えた。
昔、飼っていたことがあったけれど、猫は笑わなかった気がした。
「猫と暮らしたことは覚えてるんだね」
「え?」
黒猫は青年の心が読めるのか、青年の心の言葉に反応をした。
「歩いていれば、色々思い出すさ。こんなに綺麗な青なんだ、よく見ておいた方がいいんじゃない?」
驚いて黒猫を凝視する青年には全く反応せずに黒猫は言葉を続ける。
「……、この道はどこまで続いてるの?」
青年は沈黙になることが怖いのか、楽しげに歩く黒猫に質問をした。
黒猫の言う通り景色を眺めても良かったが、そんな事をしてるうちにこの黒猫は煙のように姿を消してしまいそうな気がしたからだ。
「君が終わりだと思ったところまでじゃない?」
青年の心の中が見えているのかいないのか、黒猫は素っ気なく適当な返事を返してきた。
不安を汲み取る気は全くないらしい。この黒猫は、なんでここにいるのだろうか。
「ここは、夢ってこと?」
周りには花が所狭しと咲いているのに、青年と黒猫が歩く道には雑草の一つも生えてはいなかった。
そもそも、猫が喋っている時点で現実ではないことは明らかだ。
「夢みたいなものじゃない?よくある感じ。あるでしょ?漫画とか小説とかで、そんな感じだよ」
黒猫は、平然と青年の質問に答える。
柔らかい風が時々吹くと、黒猫の毛がふわりと揺れた。
サワサワと小さく花同士が擦れる音がする。
この場所に響くのは、風が起こす音と青年の足音だけだった。
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